2026年4月27日月曜日

甘えの相互性 6

 「甘えさせる」は甘えの一形態である!

   甘える側が、同時に「甘えてあげている」という関係性についてうまく描かれている例がある。それは土居による夏目漱石の「坊ちゃん」についての考察である(土居、1972)。そこではまさに坊ちゃんが下女の清に「甘えてあげ」る一方では、清が実は坊ちゃんに「甘えて」いるという関係が描かれているのである。
 坊ちゃんは、下女の清に三円を借りたが、返そうとしない。その意味では彼は清に甘えているわけだが、坊ちゃんは清のためにそうしているんだ、と考えている。そしてこう言う。

「その三円は五年経った今でもまだ返さない。返せないんじゃない、返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにはしていない。俺も今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちをつけるのと同じ事になる。返さないのは清を踏みつけるのじゃない、清をおれの片破れと思うからだ。」(同著p27、漱石からの引用。)

 何とも自分勝手な理由付けであるが、坊ちゃんに言わせれば実は清の方こそ、身代り的に、代理的に、坊ちゃんに甘えているというわけだ。このような関係性については、土居自身がこう述べている。

「清の方がより強く『坊ちゃん』に愛情を求めていたと言わなければならない」「清は内心は彼との関係に甘えていたとも言えるのである。」(同著,p.24)