2026年4月8日水曜日

バウンダリー論 推考の推考 10

  ある患者の精神分析のセッションが、午後2時に開始し、2時50分に終了するという設定を考える。つまり治療時間は2本のバウンダリーにより挟まれていることになる。そして3時までの10分間は治療者が記録をつけたり洗面所を使ったりするための休み時間である。この場合日本ではしばしば患者は「ちょうど2時」に治療者のオフィスをノックする(あるいはブザーを鳴らす)という申し合わせがなされているのが普通だ。なぜなら治療者の私的なオフィスでは、家賃の都合上待合室は用意できないからだ。  さてこの「ちょうど2時」という設定をめぐってさまざまなことが起きるのだ。まず治療者は当然ながら2時きっかりか、それ以降のノックには素早く反応して患者を招き入れなくてはならない。なぜなら彼の2時からの50分はいわば患者への「売り物」だからだ。  ただし治療者にとっての開始時間というバウンダリーは、2時以前に関しては異なる意味を持っている。つまり患者の少し早めのノックに反応するか否かについては、治療者の側のある程度の裁量がある。たとえば患者が2時きっかりより5秒だけ早くノックしたとしよう。治療者が「まあいいか」と多めに見てドアを開けることはよくあるだろう。患者の時計が数秒だけ進んでいたのかもしれない。こうして2時より5秒どころか10秒、20秒前のノックでもドアを開けることは治療者の側の「持ち出し」としては十分にありうるのだ。  しかし治療者は2時より2,3分ほど早いノックにはそれほど鷹揚にはなれないだ。治療者はそれをルール違反と感じ、それについては無視するか、「しばらくお待ちください」と声をかける事になるだろう。そもそも前の患者さんがその終了時間がなぜか遅れに遅れてまだ立ち去っていないかもしれないからだ。  このような意味で治療者にとっての2時というバウンダリーは後ろ向きには弾力性が乏しく、前向きにはよりしなやかであると表現できるだろう。そして前向きのしなやかさは、治療者のサービス精神、あるいは大雑把さなどとかかわっていると言えるだろう。  さて興味深いことに、患者にとってはその2時というバウンダリーのこの弾力性の向きが治療者のそれとは逆であることがわかる。患者にとっては、2時以降は自分の時間だという感覚がある。だから2時に10秒遅れてもさほど気にしないかも知れない。それに2,3分遅れることで治療者の側もほんの少し延びた休み時間にほっとしているかもしれない。しかし遅刻はまた治療者の機嫌を損ねるかもしれない。患者があからさまに5分ないし10分遅れることは、治療への抵抗だと思われかねず、さすがになかなか実行できないかもしれない。  それに比べて患者は2時以前に、例えば5分前にドアをノックすることにはよほどの事情や勇気が必要だろう。治療者はさぞかし迷惑に思うだろうし、第一ドアを開けてもらえないだろう。契約違反を犯しているという感覚も伴うはずだ。このように患者にとっての2時というバウンダリーは、後ろ向きには弾力性があり、前向きには弾力性に乏しい、という治療者のそれとは逆の関係があるのだ。この後ろ向きの弾力性は患者の自由さの発揮、自発性、治療者への反抗心などを反映していると言えるだろう。  さて実際の治療場面は、患者と治療者の双方がこれらのニュアンスを様々にまといながらバウンダリーをめぐる駆け引きを行う。そして現実の治療開始時刻は揺らぐものなのだ。その意味で治療構造は実際には「柔構造的」と言える。こうして私はすでに大野裕先生が唱えておられた「治療的柔構造」という概念に行きついたのである。ちなみに柔構造とはもともと建築学の用語であり、コンクリートのように固くしなやかさのない西洋建築を剛構造と呼び、それとの対比でしなやかで柔軟な和風の建築を柔構造と呼ぶのである。)