引き続き精神分析の草創期について。ギャバ―ド先生は言う。「精神分析の歴史の早期には、分析家たちは患者の向ける転移の強さに驚いたが、逆転移の意味についての理解が洗練されていなかった‥‥」え?そういうこと?という事は分析理論が十分でなかったから「患者の強烈な転移ゆえに」境界侵犯が起きたという風に理解できる。しかしだったら後になって精神分析の理論がより発展して、その結果として問題がなくなったのかと言えば、そうではない。境界侵犯や治療者による患者の性的搾取の問題は起きるべくして起きているのだ。ただし一つ違うのは、ユングやフェレンツィなどの様に悪びれることなく境界侵犯を行うケースは減ったという事であろうか。現代では境界侵犯は倫理的に大変問題であると自覚し、またそのように扱われることも知っているのだ。でも秘密裏に依然としてそれは起きていると考えるべきであろう。どうもこのギャバ―ド先生の説明にも「誘った患者が悪い」的なニュアンスが透けて見えるようだ。 1118ページには大切なことが書いてある。精神分析には誘惑の要素が確かにあった。Friedman が述べているように、フロイトは精神分析が患者からの恋愛転移に力を得て進められるというような考えを持っていた(p.1119にあるように、フロイトは性愛的な魅力を治癒を真に導くものと考えた。Freud regarded erotic attraction as the true vehicle of cure….)。患者からの愛をそれに代わる代替物(それ自体があまり定義されていないが)を与える形で治療が進むとしたら、治療者が返すものの中になにがしかの「愛らしきもの」が必然的に混入することになり、これは境界侵犯にきわどく迫る事になりはしないか。こんなことを考えていたフロイトはやはり問題だろう。 精神分析では患者との個人的な関係に関しては、治療を終えてからはよろしい、とか終えてから一定期間が経ったらよろしい、などと考えた時期もあったが、ユングとシュピールラインの関係がそうであったように、そのような約束は何にも意味をなさなかったのだ。