2026年2月10日火曜日

バウンダリーについて 3

  さてなぜ柔構造の概念が面白いかと言えば、構造が規定する境界線上で様々な駆け引きやダイナミクスが起きるからである。アーウィン・ホフマンは「儀式と自発性」の中で liminal space (境界空間)、すなわち患者がオフィスに入ってくる瞬間から、カウチに身を横たえて自由連想が始まるまでの短い時空間に様々なことが起きる様子を書いてある。(もちろんカウチから起き上がり、最後にドアを閉めて退出する間も、やはり境界空間である。)最初の一瞬は二人の社会人としての出会い(町で偶然出会った時のように)であり、普通にあいさつを交わすであろう。お互い愛想笑いを浮かべるかもしれない。そしてカウチに横になりアナリストとアナリザントの関係に入る。ところがその間の移行期に、実に様々な人間的なやり取りことが起きる可能性があるのだ。例えば治療の終了時に境界空間が始まるが、患者がそれまで話しかけていたことをいかに収めるか、いかに話し終えるまでの時間を(それでも話し続けることで)治療者に要求するのか、という人間的な駆け引きが起きるのだ。あるいは「今日は緊張してあまり話せなくてすみません」等の本音もこの空間で聞かれるかもしれない。 この問題と、「臨界状況」をめぐる議論とは繋がっている。臨界状況とは複雑系においてある種の部分的、ないしは総合的な相転移が生じかけている状況であり、そこでも様々なことが起きる。人間の脳の活動で考えれば、ある行動を起こす、ある言葉を発する、という現象自体が臨界状況から析出してくる。(これを書きながら、アマゾンで「ALT236著 佐野ゆか訳 リミナルスペース ー新しい恐怖の美学 2025年」をさっそく注文した。)

 臨界状況の面白さをどう表現したらいいのだろうか。そこでは何が起きるか分からない、いろいろなものがギリギリのバランスをとっていて、どれかが一気に結晶化するような不可知性、偶発性が関係していることは間違いない。