2026年2月20日金曜日

バウンダリーについて 11

バウンダリーの問題の難しさは、「バウンダリーの問題をどこまで及ぼすかについてのバウンダリーが曖昧だ」という事だろうか? 2015年2月3日に私はこのブログで次のようなことを書いた。

「ここで小出監督とキューちゃんの話を載せよう。週刊文春に「阿川佐和子のこの人に会いたい」という企画があるが、その342回目(2000年)の記事をとってある。わりと理想的な師弟関係が描かれているようである。「高橋は(タイムが)遅かったから、最初に『お前は今に世界一になるよ』と言ったら『えーっ!?』なんて意外な顔していた。ところがそれを毎日言いつけてみな。『ほんとかな』って首をかしげるようになるんですよ。そこでもっと『お前は強くなる!』っていうとね、『よし頑張ってみよう』という気持ちが芽を出してくる。その芽を摘んじゃいけないんですよ。子供だって同じだよ。」とある。
 ところがそれと一緒に保存してあるのが「噂の真相」の記事。「国民栄誉賞をもらったシドニーの英雄高橋尚子と小出義雄監督の●●関係」というもの。(2000年12月号)
 これを読んで師弟関係についていろいろ考えさせられた。これは醜聞に属する話だ。(●●は私が施した伏字である。)しかしここで浮かび上がるのは師弟関係とバウンダリー(境界)の問題、ないしはパワハラの問題である。ということで記事を再度読み始めると・・・・ウーン・・・・・・・・・・・・・。やはりこれは問題だ。というより詳しくは書けない。いろいろな人が傷つくだろう。ということで一般論に移るしかない。
 どうやらアスリートとコーチや監督の関係には、「一心同体」ということがよくあるらしい。そうじゃないとコーチが務まらないというところまであり、だからコーチは一人しかできないという常識のようなものもあるそうだ。いっそに暮らし、一緒に風呂に入り、一緒に生活をする。問題のK監督はと言えば、そのような形で選手とズブズブの関係にあり、しかも過去には明白なセクハラもあったという。」

つまりこういうことだ。分析家と患者の間のバウンダリーの問題をるるつづってきてが、現実世界ではこのようなことが非常に頻繁に、日常茶飯事で起きているのではないか。そしてもしこれが現実だとすると、バウンダリーの問題はかなり深い闇の世界に繋がっているのではないか、という事である。