2025年11月4日火曜日

ヒステリーの歴史 改めて推敲 5

 変換症およびFNDとしての歴史 (DSMの登場)

 ここまではヒステリーについて論じてきたが、1980年代以降は欧米の診断基準ではヒステリーという名称が避けられ、conversion disorder (転換性障害 → 変換症)という表現が用いられるようになった。それが具体的に反映されたのがDSM-Ⅲ(1980)の診断基準である。DSMの旧版、すなわち1968年のDSM-IIにはヒステリー神経症(解離型、変換型)という表現が存在した。しかし1970年代になり、様々なトラウマを体験した人々、例えばベトナム戦争の帰還兵や性被害者や幼児虐待の犠牲者に頻繁に解離及び身体症状が見られて臨床的な関心を集め、それまでの偏見の対象になりがちで、いわば手垢のついたヒステリーという概念や呼称が表舞台から去るきっかけとなったのである。
 しかしDSM‐IIIにおいて定義された変換症は本質的には従来のそれと変わらなかった。すなわちそれは、心理的要因が病因として関与していると判断され、そこに疾病利得が存在すると考えられるものとされた(B項目)。変換症 conversion dirorder という名称自体が無意識領域に抑圧された葛藤が身体領域に象徴的に「変換」されたもの、という Freud の理解をそのまま引き継いでいたのである。

このDSM-Ⅲの診断基準で注目すべきなのは、変換症が解離性障害とは異なる「身体表現性障害」に分類されることになったことである。これはDSM‐IIIが「無理論性」を重んじ、身体症状を示す変換症と精神症状を示す解離症を同じカテゴリーのもとに置くことを回避したためであるが、その後も2013年のDSM‐5に至るまでこの方針は変わらず、もう一つの世界的な疾病の診断基準であるWHOのICDとの間の齟齬が生じたままであることである。
 1994年に発刊のDSM-IVでも上記の分類のされ方は変わらなかった。ただしDSM-IIIでは心因の存在と疾病利得をうたったB項目は心理的要因の存在のみとなり、疾病利得の存在を診断基準として含まなくなったことは注目すべきであろう。その意味で変換症→FNDへの移行はすでにこの時点で起きていたと考えるべきであろう。