変換症およびびFNDとしての歴史 (DSMの登場)
ここまではヒステリーについて論じてきたが、1980年代以降はヒステリーという名称が避けられ、変換症 conversion disorder という名前になる。それが具体的に反映されたのがDSM-Ⅲ(1980)の診断基準においてである。DSMの旧版、すなわち1968年のDSM-IIにはヒステリー神経症(解離型、変換型)という表現が存在した。ただ1970年代になり、様々なトラウマを体験した人々、例えばベトナム戦争の帰還兵や性被害者や幼児虐待の犠牲者にさまざまな解離及び身体症状が見られたこともあり、それまでともすると偏見の対象になりがちで、いわば手垢のついたヒステリーという概念や呼称が表舞台から去るきっけとなった。
しかしDSM-IIIで定義された変換症は本質的には従来のそれと変わらなかった。すなわちそれは、心理的要因が病因として関与していると判断され、そこに疾病利得が存在すると考えられるものとされた(B項目)。変換症 conversion dirorder という名称は、無意識領域に抑圧された葛藤が身体領域に象徴的に「変換」されたもの、という Freud の理解がそのまま引き継がれたものと言える。
このDSM-Ⅲの診断基準で注目すべきなのは、それまでヒステリーの名のもとに分類されていた変換症が、「身体表現性障害」として分類されることになったことである。これはDSM₋IIIが「無理論性」を重んじ、身体症状を示す変換症と精神症状を示す解離症を同じカテゴリーのもとに置くことを回避したせいであるが、その後2013年のDSM₋5に至ってもこの方針は変わらず、もう一つの世界的な疾病の診断基準であるWHOのICDとの間の齟齬が生じたままである。
1994年に発刊されたDSM-IVでも上記の分類のされ方は変わらなかった。ただしDSM-IIIでは心因の存在と疾病利得をうたったB項目は心理的要因のみとなり、疾病利得の存在を診断基準として含まなくなったことは注目すべきであろう。