遊戯療法と精神療法 - そのかけ橋としての愛着理論
本稿では精神療法における遊びやプレイフルネスの持つ意味について、愛着理論や最近の脳科学に基づいた理論を援用しながら、その臨床的な意義について論じる。
精神療法で「遊び」を感じる瞬間とは?
さて心理療法、カウンセリングは常にプレイセラピー的である、ということはどういうことなのかから始めなくてはならない。私は精神分析の出身であるが、私がこれからお話しすることは、精神分析的な超自我からの抑制がかかる可能性もある。しかし後に出てくるように、精神分析の世界ではドナルド・ウィニコットやジョン・ボウルビー、ダニエル・スターン、ピーター・フォナギー、アラン・ショア、ジェレミー・ホームズといった大先輩たちが私と同様のことを考えているのである。そこで彼らに勇気をもらいながら論を進めていこうと思う。
さて私が心理療法はプレイセラピー的だと考える際、別にセッション中に冗談を言って笑い合ったり、一緒に卓球やオセロをして楽しむというようなことではない。それは患者さんとの対話の中で自然に生じてくるのである。それらの具体的な例としては、一緒に他愛のないおしゃべり chatting をしたり、時には一緒に笑ったり、一緒に心を動かしたり、ということである。
例えば新患さんとのインテーク面接の始まりに、「東北の森林火災は大変だね。」とか「長嶋さん、なくなったね。」とか「毎日鬱陶しい雨ですね。」などなど治療者としてではなく、一隣人として話しかけることがあります。向こうはこちらをいちおう一種の権威と思っているのが普通だから、それで表情が硬く、緊張した様子を示すこともある。それを少しでも解消するためにこのように話しかけるのである。時には私が軽く自分のことを話したり、今度は患者の趣味や専門分野について尋ねてその世界について子供の様になって質問をしたりすることもある。