2025年3月4日火曜日

関係論とサイコセラピー 15

 この文脈でヘンリー・ピンスカーの「サポーティブ・サイコセラピー入門」(秋田、池田、重宗訳、岩崎学術出版社,1997) を久しぶりにひも解いてみる。ここにはさぞかし「週4回でないなら、転移はあまり扱わない」ということが強調されているかと思いきや、案外そうでもない。まずピンスカーの言うサポーティブセラピー(支持療法)のエッセンスは私も承知している。これは私が好きなものだ。 「サポーティブ・セラピーは、症状を改善し、セルフ・エスティームや自我機能、適応スキルを維持、回復あるいは改善させるための直接的な方法を用いる。」 そしてそう言う一方で、転移ということについて論じている個所はとても多いとは言えない。つまりこういうことだ。サポーティブ・セラピーにとっては、もう転移云々はあまり関心がないのである。彼らは治療は患者のためになればいい、と思っている。(そして確かに治療は第一にそうあるべきである)。そこに転移を通しての自己理解,などのことは、そもそも優先順位から外れているようなのだ。エビデンスに基づく治療においては、患者が望むのは「自己が変容すること」とはかなり別のことという理解は、もう前提となっているのであろう。 ただしピンスカーの本ではいわゆる表出的、と支持的、という区別に関して論じてはいる。というのも「支持的」という表現の対概念は「表出的 expressive」 であり、表出的、とはつまり分析的(ブンセキ的、と言ってもいい)、ということなのだ。つまり解釈を含んだ本来の分析的な手法との関係については論じていることになる。 ピンスカーの本をさらに読んでいくと、表出的とは「当初は患者の意識外にあるように見える思考や感情に注意を向ける」とある。つまり精神分析的な治療とは「転移解釈」というよりはもっと一般化して「(解釈により)無意識を扱う」と理解でき、それよりも意識レベルを扱う手法として支持的療法を定義づけているのだ。 少し言い直すとこうだ。ピンスカーの支持療法とは「週4ではなく週1だから支持的」というよりは「解釈的ではなく支持的」という意味だ。まあ支持療法では週1,2回が普通であろうが、場合によっては週4回であっても支持的でありうる、ということか。いずれにせよピンスカーの本では「頻度が低いから分析的にやらない(やれない)」という文脈がどうしても薄いのだ。我が国で起きている週4だから転移解釈OK、それ以下なら転移解釈は無理、という議論がどうしても明確には見えてこない。むしろ支持的にやるのが患者の(少なくとも意識レベルの)望みにかない、それを行うのに週4回セッションを行う必要は必ずしもない(それに患者の側もそこまでの金銭的、時間的負担は通常は望まない)というニュアンスか。