結局以下のような形にまとめた。でも字数は大幅にオーバーしている。あと1,2回手を入れる必要アリ。それにしても今回も非常に勉強させていただいた。
本書は2017年に発刊された「週一回サイコセラピー序説」(北山修、高野晶編)の内容を受けた形で新たに編集され、出版された著書として位置づけられる。本書には高野晶氏、山崎孝明氏の両編者による並々ならぬリーダーシップとエネルギーが結実している。この「週一回」の議論(週4回以上の高頻度の精神分析とは異なり週に一回の精神療法を精神分析的に行うことの意味付けについての議論)はこの間に盛んに論じられているが、本書はその全体を俯瞰するうえで最良の書となっている。本書が時宜を得てまとめられたことで本テーマは確実に前進していくものであると思う。
本書の優れた点は、「週一回」の議論の先駆けとなった高野氏に加えて藤山直樹氏、岡田暁宜氏といった論客の寄稿とともに、この議論を推進した山崎氏、関真粧美氏、山口貴史氏、縄田秀幸氏といった若手の療法家の原著論文の再録を含む論考が掲載され、その議論のすそ野の広がりを感じさせてくれるということである。そしてそれと並行した形で進んだいわゆるPOST(精神分析的サポーティブセラピー)の流れも追うことができる。
「週一回」は本来の精神分析における力動をそこに再現することができない、いわば精神分析未満の治療ではないか、という懸念を多くの療法家に抱かせる。彼らは精神分析理論から多大なことを学び、それについての教育をもとに臨床やトレーニングを続けてきたが、現実には時間的にも料金的にも週に一度が限界である大多数のクライエントに対峙している。その彼らがそれでも「週一回」をどのように精神分析的に、しかし本来の精神分析との違いを意識しながら行うかについての神療法家の呻吟が実によく伝わってくる。
ところで本書の論者たちはおおむね一つの合意事項に沿っての議論を展開しているといえる。それはいわば古典的な精神分析観に従ったものであり、それはかつてジェームズ・ストレイチ―が1934年に提唱した「変容惹起的解釈」、すなわちいわゆるヒア・アンド・ナウの転移解釈こそが真に精神分析的であるという考え方である。それに従えば「週4回では成立する力動は週1回では無理である」という藤山氏の議論は非常に説得力があるのだ。しかし広く現代の世界の精神分析の流れを見るのであれば、何が分析的な作用かという議論はストレイチー議論の時代を超えて様々な議論されるようになってきている。しかしその点の言及はあまり見られず、それが本書の特徴でもあり、ある意味での限界かもしれない。
この問題についての評者自身の読書感も申し添えておこう。評者の立場は「序説」で担当した一章で、「週一回でも精神分析的な作用は生じる」という見解を述べてある。そこでは精神分析的な作用は、どのような出会いがそこで生じるかに大きく依存する。そしてそれがいかに、どのように生じるかはまさにケースバイケースであり、週4回でも進まない治療もあれば、週一回でも進むものもある。そこで起きる「何か」は言葉にするのは難しいが、一種の「出会い」と言ってもいい。その見方からすれば、週一回の議論もおのずと変わってくるであろう。おそらくはそのような方向からの週一回の議論もなされるべきであろうというのが評者の感想である。しかしそのような外野からの感想は、本書の価値をいささかも損なうものではない。