以上自我状態療法の流れに沿ってワトキンㇲ、杉山先生、ポールセンなどについてみて来たが、結局統合についての立場はどうなのだろうか? 本家本元のワトキンㇲ夫妻にとっては、おそらく統合は眼中になかったのであろう。すでに述べたとおり、彼らは自我状態療法において一人の人間の心に家族療法やグループ療法を応用しようと考えたのだ。彼らは家族の構成員たちに一つの心にまとまれ、とはまさか言わないだろう。あるべき姿はあくまでも平和共存である。 「講座精神疾患の臨床4(中山書店、2020)」で福井義一先生が「自我状態療法」(p.165~)で書いていらっしゃるが、「[自我状態療法は]あくまでも自我状態理論に基づいて事例を概念化するので、必ずしも自我状態との(ママ)統合という方向だけを目指すわけではない」とある。(文中の「ママ」とは、「自我状態の統合」の表記間違いかも知れないと私が思うからだ。) ちなみに同書では野間俊一先生にお願いした「解離症の治療論」(p.155~)が治療論としてはもっとも本格的で包括的なものと言えるだろうが、そこで先生はかの Colin Ross 大先生が最近出版した、小さな著作(Ross CA.Treatment of Dissociative ldentity Disorder :Techniques and Strategies for Stabilization. Manitou Communications, 2018.)を紹介した上で、そこにも依然として治療目標としては「完全な統合を目指す」と書かれているという、しかしそのような志向性を持つことで、どのパーツも排除しないこともまた強調しているのだという。
付録)
ロス先生の近著( Ross CA.(2018)Treatment of Dissociative ldentity Disorder :Techniques and Strategies for Stabilization. Manitou Communications.) の該当箇所を読んでみたが、なんともトーンダウンしていることが分かる。
そのまま訳そう。
「治療のゴールは安定した統合 stable integration である。少なくとも私の立場はそうだ。しかしそれは患者にとってのゴールではないかも知れない。ある人は全てのパーツが共意識状態になり一緒に作業をする段階に留まることを望む。それは彼らの選択であり、その人にとって正しい選択かもしれないし、それはそれでいいのだ。」(662/1438)
そして Ross はそれでも統合の方がベターである理由を以下のようにあげる。
「1.ほんの少しの精神障害を持つことよりは、まったくもたない方がいいのではないか?
2.内部のグループ全体をマネージするよりも、一人の人間である方が時間もエネルギーも少なくて済むだろう。
3.「すべての人が調和している」状態がどれだけ続くかは誰にもわからない。
4.あなたが[パーツ同士が]協力している段階で留まるとしたら、人生で深刻なトラウマが将来生じた時に、あなたは完全に統合している状態よりも、葛藤あるDIDの状態に戻ってしまう可能性がより高いだろう。」
そして続ける。「完全に統合したDIDと部分的に統合したDIDを比較した長期的な予後の研究は存在しない。」(662/1438)。これは気弱な発言だ。そしてこの章の最後にこんなことも言っている。
「これは言っておかなくてはならない。統合はずっとずっと先のことだ。このことを現在の時点でこれ以上話す必要はない。このセッションの残りの時間は他の問題に焦点を当てよう。」「統合についてこの種の話をすることにより、パーツの抵抗も和らぎ、治療作業もスピードアップするだろう」(715/1438)。
これははっきり言って歯切れの悪い「統合論」の撤回と言えるのではないだろうか。
ところでRossはこの本の中で面白い表現を用いている。ある人格が、他の人格は消えて欲しい、と言った時に、それは integration by firing squad つまり 銃殺刑執行部隊による統合、つまり他の人格たちをdumpster 大型ごみ容器に投げ込むようなものだという。