2024年10月14日月曜日

統合論と「解離能」推敲4

我が国にも翻訳されているDIDの治療に関する書籍としては、「心の解離構造―解離性同一性障害の理解と治療」(エリザベス・F・ハウエル 著, 柴山 雅俊翻訳 2020 金剛出版)というかなりためになる本、ないしはテキストブックがある。私達もしばしば参考にしているが、この fusion という言葉をこのHowell 先生のテキストの中に探してみた。ところがこれが出てこないのである。その代わりに出てくるのが、conextualization 文脈化という概念だ。そしてこれは例のPutnam 先生の離散的行動状態 discrete behavioral states (DBS)の概念と密接にかかわっている。今度はこのHowell 先生の説に耳を傾けてみよう。 Putnam先生の DBS とは次のようなものだ。そもそも人の心は統一体 unity としては出発しないという。人の心は時間をかけて統一体となるというのだ。そして人間の行動の構成要素ないしは自己状態 self state は連合的な経路 associative pathaway により繋がっていく。ところがトラウマによりこの経路が障害され、それぞれの自己状態は最初の状態に繋がったままになってしまうという。 逆にそれがないとそれぞれの部分は文脈から独立して(context independent) 存在するようになる。そしてHowell先生がトラウマの例として出しているのは次のような例だ。ある男の子が背の高い男性にたたかれる。多分養父だったり実父だったりするだろうが、上級生かもしれない。するとその自己状態は文脈化されずに、ほかの背の高い男性を見ておびえてしまうというのだ。ところが解離の程度が弱い場合には、文脈的に使用できる contextually available ほかの自己状態にサポートしてもらえるであろうという。 このような考えについて Stephen Mitchell もこう言っているという。「精神分析によりより統一された自己が達成されるのはいいが、人格がまじりあうことが、互いに移行する葛藤的な自己をコンテインする能力に優先されるとは思えない。」