守秘について色々述べたが、私が最終的に至っている考えをお伝えしたい。
先ず自傷他害の恐れがあるため守秘義務を破って通報を行った際、そこで治療関係が崩れるとは必ずしも限らないということだ。昔自殺の計画を持っている患者さんについて地元の警察に連絡をしたことがあり、その方は入院となったが、それから10年以上たつ治療関係の中でその人がそれを恨みに思っているという印象は全くない。その際通報する必要があることを伝えることは誠意をもって伝えたつもりである。
あるいは患者さんとの話から、通報の義務が生じそうになった時に、自傷他害の切迫した恐れについて知った場合は家族や保護義務者に伝える必要もあることをリマインドしたことが何度かあるが、それで悲劇が起きたことはない。(例えば実際に自傷他害の強い恐れがある場合、私に通報をされることを恐れて言わず、そのあと実行に移されてしまったこと、など。)このような行為は治療者が自分の身を守るためにすることだ、と言われるかもしれないが、治療者として従わなくてはならないルールを告げることは治療者自身を守るうえでも大切である。
あくまでも治療関係がしっかり維持できていればこの問題を両者で克服できることが多いように思うのだ。
もう一つ思うのは、報告義務は社会と本人を守るもの(ただし後者については本人の自覚はかならずしもない)のに対して守秘は患者のプライバシーや治療関係を守るものであり、しばしば矛盾するという事実を、出来れば患者と共に受け入れる事であろう。報告をすることで治療関係が壊れることを覚悟することもそれに含まれるが、上記の通り、必ずしも報告がすべてを台無しにするわけではないということだ。
このように患者さんが一時的に自傷他害の危機に陥っている場合の介入は、それが一時的な影響で済んでいる場合(例えば暫くの間の入院治療、休職し療養すること、場合によっては退職せざるを得なくなることなど)は、まだ扱いやすいと言える。問題は以下のような場合だ。
それは加害的な人が同時に保護者でもある場合である。子どもにとっての親、成人にとっての配偶者等は、その存在との関りを絶つこともまた別の意味でトラウマとなる可能性がある。フェアバーンの bad object is better than no object (悪い対象でもいないよりはいい)とは確かにその通りなのだ。だから児相の介入、DVシェルターの活用には大いに意味があると言えよう。しかしそれがどの程度長期的な影響を及ぼすことが出来るか、それが問題なのだ。そしてその場合出来る範囲で少しずつ加害―被害関係を改善していくしかない場合が多い。