今回🔵先生と共に編集を任せられた当誌「●●●●」の特集のいくつかのテーマの一つは、解離をめぐる誤解や否認についてである。 このテーマに関連して、2年ほど前に興味深い執筆依頼を受けた。「精神看護」誌の2023年1月号の特集「この10年で覆った常識とは-不要な神話を手放した人たち」への寄稿論文である。それは「解離性同一性障害の臨床における『出会い』-『交代人格は無視する』ではうまく行かない」という形で発表された。(精神看護 2023(1)pp.18-21) この論文の発表はそのタイトルからもうかがえる通り、結果としてある事情を前提としていたことになる。それは「『交代人格は無視する』という神話」が従来存在していた(そして今でも存在している)ということである。そしてそのことは、日本における精神科の臨床において、解離性障害、特に解離性同一性障害の認知度が精神科医の間に依然として低く、それが臨床的に存在しているにもかかわらず、的確に診断されないことが実に多いという私の体験から来たものであった。 さてその様な印象を持ち、著作によりそれを主張するということを20年足らず続けているのであるが、私は結局はある驚きや意外さを日々体験している。それは解離性障害の認知度の低さが、結局は依然として見られ、解離が解離として診断されないでいるというケースを依然として体験することの驚きである。 実はこの驚きや意外さには三段階あるということを申し上げないと正確ではないかも知れない。一段階目は今申し上げた事実、つまり解離性障害が臨床家により認識されない、あるいは否認される傾向が強いということである。そして二段階目は、精神科看護に寄稿した論文にもつながることである。それは「解離性障害を認知したうえで、それでも交代人格にあったり認めようとしなかったりする傾向が多く見られる、ということだ。そして三段階目は、例え交代人格と出会い、それを扱う事を行なったとしても、交代人格の存在を病的なものとして扱い、出来ればそれを失くすこと、すなわち人格の統合を図ることが半ば解離の治療の常識となっているということである。
第一段階 解離性障害は存在しない
第二段階 交代人格は無視すべきである
第三段階 交代人格はやがて統合されるべきである
ただこの第三段階については誤解を受ける前に断り書きをしておきたい。統合はそれが自然と生じる場合にはそれは恐らく望ましい方向性と言え、その可能性を否定するものではないということだ。あくまでも治療者がその統合を望ましいものとして積極的にそれを促す場合について言えることだ。