右脳という「私」
さて以上を予備知識としたうえで,本章での私の主張を多少誇張した形で申し上げよう。
右脳の考えや感じ方こそが私たちの本音であり,真の自己(true self)である。
つまり人は右脳の考えに基づいて行動を開始し,左脳はあとからそれを理屈付け,正当化しようとする。その意味で左脳は右脳の真の意図を押し隠す機能を有するとさえ言えるのである。
ちなみに私はいつもは「真の」とか「偽りの」という表現をなるべく避けるようにしている。というのも,「何が真で何が偽りか」という考え方は究極の二分法であって,現実世界はこのようにすっぱりと二つに分けることができないものばかりだからだ。というか、白黒をつける事が思考の始まりである、とすら言えるのだ。だから人間の思考がこちらに走ってしまうのはやむを得ないことなのである。
その意味でこの右脳の思考や感じ方が真の自己という表現は決して言い過ぎではないと思う。なぜなら右脳は私達の体験の最初期の相を反映しているからだ。ただしこの主張を理解していただくためには,左右それぞれの脳についてもう少し詳しくお話ししなくてはならない。
右脳が先に働きだす──愛着と発達の関連
右脳に関して一番興味深いことは次のことである。右脳はおそらく人間の心の基礎部分を担っている。というのも赤ん坊が最初に心を持ち始める生後1年間,脳はもっぱら右側しか機能していないのである。最初の外界との接触,そして母親とのやり取りなどは,ほとんどこの右脳が行なうことになる。だから心の基本部分は右脳に備わると言えるのだ。
右脳の主たる機能は,この世に生を受けたばかりの赤ん坊がまさに必要としているものである。右脳は外部からの情報の全体を捉え,空間的な大枠を理解し,母親の感情を読み取り,非言語的な情緒的な交流を行うことができる。つまり世界全体を大づかみに捉えるのだ。そしてそれはまさに赤ん坊が生まれ落ちてからさっそく必要としていることである。
他方では赤ん坊は母親の言葉の意味を理解できないのは当然であるが、そうする必要もまだない。物事の詳細を理論的に理解するのは左脳の役割だが,その活動が本格的に開始するのは生後二年目からだし、それまで待てるのである。さらには左右脳をつなぐケーブルである脳梁自体が最初の1年は十分に機能していないため,左右脳の情報交換も十分できない。ということで赤ん坊は右脳のみの片肺飛行で生きているようなものだ(ただし身体を動かし,感じるという機能は左脳でも生下時にすでに開始している)。