2024年2月1日木曜日

脳科学から見た子供の心の臨床 (2)

 愛着形成が損なわれた時に起きる事

 ところでこの愛着の問題を考える上で一つ触れておきたいことがある。それは私たちはともすれば「乳児は放っておいても育つ」と思いがちであるということである。ただし全くそうではないことは過去に行われた以下のような「実験」からもわかる。

 およそ800年前のローマ皇帝フリードリヒ2世は「言葉を一切教わらなかった赤ちゃんは、どんな言葉を話すようになるのか?」という疑問を持ち、実験を行ったという。部下に50人の生まれたばかりの乳児を集めさせ、部屋に隔離し、乳児の目を見たり、笑いかけたり、話しかけたりせず、それ以外の養育(ミルクを与える、風呂に入れる、排泄の処理をする)のみを認めたという。

 フリードリヒ2世は、人間は生まれた時から何かしらの「言葉」を持っていると信じていて、その言葉を確かめたかったのだが、実験の結果は、とても恐ろしいものであったという。50人の子どもたち全員が、1歳の誕生日を迎えることなく死んでしまったというのである。この実験から分かったことは、言葉の獲得うんぬんの前に、乳児には、物質的な栄養だけではなく、スキンシップという名の精神的な栄養も欠かせないということだったのだ。

(以上は、「小林司(1983) 出会いについて―精神科医のノートから. NHKブックス」から。さらに詳しくは以下の論文が参考になる。

Campbell, RN and Grieve, R (1981) Royal Investigations of the Origin of Language. Historiographia Linguistica 9(1-2):43-74

 これとの関連で、アメリカの心理学者ルネ・スピッツらはGrief: A Peril in Infancy (ルネ・スピッツの乳児観察映像集成(全9巻) 5. アタッチメント欠如の事例観察)

という記録映画の中で遺児病院 foundling hospital と保育園 nursery で育った乳児を比較している。両者とも乳児たちは十分な食事とケアを与えられたが、後者では母親が育児を行った。すると12か月後には、前者では知覚、身体機能、社会的な交流、記憶、模倣などの機能が後者より45%も劣っていたという。

Eva-MariaSimms, E-M Intimacy and the face of the other :A philosophical study of infant institutionalization and deprivation Emotion,SpaceandSocietyxxx(2013)1-7

アランショアの業績


 いよいよアラン・ショアの話に入るが、その前置きとして、現代の精神医学の大きな潮流について一言触れたい。それは現在のネット社会では様々な情報がそれこそ瞬時に行きわたり、またそれらの情報の間の結びつきやそれらの融合も加速度的に行われているという事である。そして乳幼児精神医学は脳科学やトラウマ理論、愛着理論、解離理論等が融合される傾向にあるのだ。そしてその立役者の一人がショアである。

 ショアはUCLAの精神科で活躍する心理学博士(80歳)である。精神分析、愛着理論、脳科学を統合する学術研究をこれまでに広く発表し、特に「愛着トラウマ」の概念が知られている。欧米には関連領域について縦横無尽に研究をし、論文を発表する怪物のような人がいるが、ショアもその様な人と言えるだろう。

以下がわが国で邦訳された二冊の本と原書である。

Schore,A. (2019) Right Brain Psychotherapoy Norton Professional Books. 2019.(小林隆児訳(2022)右脳精神療法. 岩崎学術出版社.)

Schore,A. (2019) The Development of the Unconscious Mind. Norton Professional Books.2019.(筒井亮太、細澤仁訳(2023) 無意識の発達.日本評論社.

 これらで展開されるショアの右脳理論についてそのエッセンスを示すと以下のようになるだろう。

  • 乳児期は右脳の機能(愛着、間主観性、社会性)が優位で、愛着を通して母親と子供の右脳の同調が生じる。

  • 母親は眼差しや声のトーンや身体接触を通して乳幼児と様々な情報を交換している。

  • 母親との愛着は乳児の情動や自律神経の調節に寄与する。


 ここでショアが右脳を強調していることが、彼の理論のユニークな点なのである。彼は近年脳の側性 laterality の研究が進み、右脳の発達が左脳に先行するという事実が明らかになったとする。そして右脳の急成長は妊娠の第7~9ヶ月で開始され、左脳の急成長の開始の時期(生後二年目の中期~後期)に終わりを迎える。以下はそれをさらに詳細に示したものである。

生後2∼3ヶ月  右扁桃体基底外側部(間主観的機能)が発達の臨界期を迎える。

生後3∼9ヶ月  右前帯状皮質(社会的合図への反応性に関与する)が稼働する。

生後10∼12ヶ月 右眼窩前頭皮質(愛着実行制御システム)が成長する。


 これらの点を考えあわせると、いわゆる愛着の時期において乳児の脳において生じていることを、もう少し具体的に理解することが出来る。それはあくまでも右脳を中心とした出来事であり、そのことを知っておくことは子供のケアの際にある種のアドバンテージを与えることになる。少なくとも母親は乳児と関わっていて、それが乳児の脳のレベルにどのような影響を与えているかを知ることが出来るのだ。