2022年9月30日金曜日

同窓からの寄稿 5

 さて最初に病棟、外来の順で一年間ずつ研修を行わして欲しいという私の要望を病棟も外来も受け入れてくれた。しかし恐らく私の本気度は伝わらなかったらしい。実は私の二年先輩の柴山雅俊先生、先日亡くなった関直彦先生も両方での研修を希望したのであったが、様々な経緯からそれが叶わなかったという事情があった。そこで私も場合も結局は最初の研修場所(赤レンガ病棟)に留まることになるであろうと先生方は思ったらしい。私は約束通り一年づつの研修を実行したわけであるが、そのために両方の陣営の先生方にいろいろなご迷惑をおかけすることとなった。しかし私の側からは(自ら選んだとはいえ)一研修医にとっては過酷な体験となった。
 最初の一年の病棟での研修は全く問題がなかった。私は恐らく赤レンガ病棟にすっかりなじんだのである。当時の病棟を運営していたのは森山公夫先生、吉田哲雄先生を筆頭に、富田三樹生先生、佐藤順恒先生、といった方々であり、私は人間学的な患者へのアプローチを学んだ。しかし二年目の外来での研修を開始した当初から、「病棟からの回し者」的な存在となってしまったのである。「病棟の先生方と関係していて、外来での情報を流しているのではないか?」とも疑われた。実際私は一年目からアルバイト先にしていた北区の富士病院での勤務を二年目以降も継続していたが、そこでは病棟関係の先生と週に二日は顔を合わせていたので、そう思われてもやむを得なかった。富士病院の医局で外来で受けている研修について話すことで、私は事実上悪い意味での「パイプ役」になってしまっていたのも確かである。その結果として外来での先生方の私の扱い方は、まるで腫れ物に触る感じであり、露骨に嫌な顔をされることも多かった。(ちなみに私が一年目に外来を選び、二年目から病棟に行くことになったら、ちょうど逆のことが起きていてもおかしくなかった。だから当時の外来の先生方を責めるつもりはない。)その中で私は二年目の教室での研修で私をよそ者扱いせずに真剣にレクチャーをして教え導いてくださった先生方のことはよく覚えている。栗田広先生、斎藤陽一先生、中安信夫先生。そして研修で一緒になった原田誠一先生には特に感謝を申し上げたい。
 ということであっという間に紙数が尽きたので、この位にしたい。

2022年9月29日木曜日

神経哲学 neuro-philosophy の教え 1

 さて私は精神分析のプルーラリズムを考える上で極めて重要なことは、脳科学的な所見を心に関する理論に反映させることではないかと思う。その上で重要なのが「脳の安静時活動」であるという事実をお伝えしたい。これはいわゆる神経哲学neurophilosophy という形で提唱されているものである。これは脳科学と哲学の統合という視点で研究されている分野であり、Georg Nortoff neuro-philosophy and the Healthy Mind Learning from the Unwell Brain 脳はいかに意識を作るのか脳の異常から心の謎に迫る という本がその代表的な著作です。(白揚社、2016年)

脳とは何かという問題について、有名なチャールズシェリントン(18571952)は、外界からの刺激に自動的に反応するものであるという捉え方をした。これはある意味で自由意志を否定する見方になるであろう。それに対して弟子のグラハムブラウンはそれに反対して「脳の活動は、脳内の内因的な活動によって駆り立てられる、とした。」ノルトフp41。外的な刺激で引き起こされるもの、と内因的な活動によるもの、というこの対立は今でも続いているが、後者に対する支持となる所見が得られるようになって来ている。それが「安静時活動」の問題だ。ちなみにフロイトはシェリントンと同時代人であり、前者の考えに即した考えを持っていた。つまり自由意志を否定する考えである。ところがデフォルトモードの発見によりそれに異が唱えられるようになったのだ。これは神経ネットワークとしての心に一つの重要な特徴を与えるのである。それはいわば自由意志の存在ともいえるが、見方を代えれば、揺らぎの存在なのである。

2022年9月28日水曜日

Multiplicity of the therapeutic action 1

 First thing that I would like to say is that although I am a fully trained psycho-analyst, I do not need to look to traditional psychoanalytic theories to decide what say and how I practice in the clinical setting. My last supervisor in the United States, Dr. Eric Kulick clearly stated that there is only one rule in psychoanalysis, which is to be ethical whatever you do. This statement no matter how it sounds simple, put us in a deep dilemma: what if for some patients psychoanalysis is not the choice of treatment modality, ethically speaking?

I consider that this potentially self-sacrificing attitude as an analyst is still most valuable and most needed in this era of multiplicity, as it means that we are constantly reflecting on ourselves and see if we are critical about whether we are using analytic method when needed and not when not needed. As some of my supervisors stated that knowing psychoanalysis is to know when not to use it. I consider that this attitude is still psychoanalytic on the meta-level. The only thing that reveals that we are psychoanalytic is that we are speaking psychoanalytic language no matter what. We can still use terms such as transference, resistance, interpretation, suggestion.most of which were originated by Freud himself, without necessarily abiding by the principle rules in psychoanalysis as Freud demonstrated.

2022年9月27日火曜日

同窓からの寄稿 4

 ちょっとリライトし始めた

私は京都大学教育学研究科をこの春に退官となったが、どうせ請われた原稿ならば、そこでの職務について書くよりは、私の研修医時代について書いてみたい。こちらの方が私の人生にとってははるかに波乱に満ちていたからだ。それに今の教室出身の若い先生方はあまり知ることのない精神科教室の歴史にも触れることになるからである。

私は1982年に東大医学部を卒業し、精神科の研修を開始した。その当時にわが大学での本院の精神科の研修を望んだ卒業生たちは、一つの現実に直面した。大学病院の精神科が真っ二つに分かれている・・・・。それもいびつな別れ方だ。お互いに険悪という言葉をはるかに超えるレベルの対立をしていたのである。通常は外来部門と病棟部門は一つの精神科がともに持つべきものだが、両者は長い間政治的な対立から全く交流が経たれたままになっていたのだ。そこで医学部を卒業した精神科志望の研修医は、本院での研修を望む限り、二つのいずれかを選ばなくてはならなかった。

(ちなみにこのころの様子をお知りになりたかったら、富田先生の著書をお勧めする。 富田 三樹生 (2000) 東大病院精神科の30年―宇都宮病院事件・精神衛生法改正・処遇困難者専門病棟問題. 青弓社 クリティーク叢書 )

外来部門は旧本館ビルの半地下にあり、病棟はそこから100メートルほどの距離にある現在の南研究棟の一階にあり、通称赤レンガ病棟と呼ばれていた。もとは精神科の先生方を両者を行き来していた。当たり前の話である。ところが外来と病棟はそれぞれが政治色の濃い医師の集団により運営され、両者は激しい対立を続けていた。これは1960年代からの学生運動の名残である。精神科を志すがこれらの政治色に染まったところでの研修を敬遠する卒業生は大学病院の今は亡き「分院」での研修を望んだ。

卒業をしたての私は政治のことなどまるで知らず、両者の対立の根の深さなど知る由もない。卒後研修を行う医学生にはそのような対立のために病棟での治療、外来での治療のどちらかしか経験できないのはおかしい、そうする権利があるという至極もっともな理屈でこれに対処しようとした。つまりは二年間の研修のうち一年ごとに外来と病棟での研修を行うことを表明したのである。両者の根強い対立、そこに無知で未経験の研修医が飛び込み、それぞれで研修を行うということ自体がおよそ不可能なことだったということは今になってわかるのであるが、その当時はそのことが分からなかった。若さや無知とは恐ろしいものである。(ちなみに私は対立の根深さを実は感じ取っていたという可能性がある。すると両方での研修を望むことはいかにも無謀な試みだ。だから「知らない」ことにしていたのではないか。うん、これは十分考えられる。

2022年9月26日月曜日

同窓からの寄稿 3

 さて最初に病棟、外来の順で一年間ずつ研修を行わして欲しいという私の要望を病棟も外来も受け入れてくれた。しかし恐らく私の本気度は伝わらなかったらしい。実は私の二年先輩の柴山雅俊先生、関直彦先生も両方での研修を希望したのであったが、様々な事情からそれが叶わなかったという事情があった。そこで私も場合も結局は最初の研修場所(赤レンガ病棟)に留まることになるであろうと先生方は思ったらしい。私は約束通り一年づつの研修を実行したわけであるが、そのために両方の陣営の先生方にいろいろなご迷惑をおかけすることとなった。しかし私の側からは研修の初っ端から色々なストレスを抱える経験となった。
 最初の一年の病棟での研修は全く問題がなかった。私は恐らく赤レンガ病棟にすっかりなじんだのである。しかし二年目の外来での研修を開始した当初は、「病棟からの回し者」的な存在となってしまったのである。「病棟の先生方と関係していて、外来での情報を流しているのではないか?」とも疑われた。事実私は一年目からアルバイト先にしていた北区の富士病院での勤務を二年目以降も継続していたし、そこでは病棟関係の先生と週に二回は一緒になっていたので、やむを得ないことであった。そこで外来で受けている研修について話すことで、私は事実上悪い意味でのパイプ役になってしまっていたのも確かである。その結果として外来での先生方の私の扱い方は、まるで腫れ物に触る感じであり、露骨に嫌な顔をされることも多かった。何も知らない研修2年目の医師の体験としては厳しいものである。(ちなみに私が一年目に外来を選び、二年目から病棟に行くことになったら、ちょうど逆のことが起きていてもおかしくなかった。)その中で私は二年目の教室での研修で私をよそ者扱いせずに真剣にレクチャーをして教え導いてくださった先生方のことはよく覚えている。栗田広先生、斎藤陽一先生、中安信夫先生。そして研修で一緒になった原田誠一先生。

 

2022年9月25日日曜日

同窓からの寄稿 2

 私は政治のことなどまるで知らず、両者の対立の根の深さなど知る由もない。卒後研修を行う医学生にはそのような対立のために病棟での治療、外来での治療のどちらかしか経験できないのはおかしい、そうする権利があるという至極もっともな理屈でこれに対処しようとした。つまりは二年間の研修のうち一年ごとに外来と病棟での研修を行うことを表明したのである。両者の根強い対立、そこに無知で未経験の研修医が飛び込み、それぞれで研修を行うということ自体がおよそ不可能なことだったということは今になってわかるのであるが、その当時はそのことが分からなかった。若さや無知とは恐ろしいものである。

当時の病棟を運営していたのは森山公夫先生、吉田哲雄先生を筆頭に、富田三樹生先生、佐藤順恒先生、といった方々であり、他方外来は本多裕先生、斉藤陽一先生、栗田広先生、丹羽真一先生といった先生方の顔が浮かぶ。

 

2022年9月24日土曜日

教室年報 「同窓よりの寄稿」1

精神医学教室年報 「同窓よりの寄稿」

一文を頼まれたので、古い時代の話を書くことになる。このような機会にこの文章を書くように頼まれたとしたら、私には他に書くことが思い浮かばないからだ。一つの使命のようにも感じる。
 私には●大精神科についての深い思い入れがある。私の精神科医としての出発点にそれはあった。今の時代一昔前の話に興味を持たない先生方が多いだろうが、私が卒業した1982年の春に精神科の研修を望んだ卒業生たちは、一つの現実に直面した。大学病院本院の精神科が二つに分かれている・・・・。それもいびつな別れ方だ。喧嘩をしているのである。外来、病棟(赤レンガ)、そしてもう一つは分院精神科という進路もあったが、ここでは話をシンプルにするために、分院のことは言及しないことにしよう。
 外来と病棟は本来一つの精神科がともに持つべきものだが、両者は長い間政治的な対立から口もきかない様な状態であり、医学部を卒業した私たちは、本院での研修を望む限り、二つのいずれかを選ばなくてはならなかった。外来とはその名の通り、大学病院の地下にある外来部門、病棟はそこから
100メートルほどの距離にある建物にある精神科病棟。もとは精神科の先生方を両者を行き来していた。当たり前の話である。ところが外来と病棟はそれぞれが政治色の濃い医師の集団により運営され、両者は激しい対立を続けていた。もちろんこれは1960年代からの学生運動の名残である。精神科を志すがこれらの政治色に染まったところでの研修を敬遠する卒業生は大学病院の分院での研修を望んだ。

2022年9月23日金曜日

臨界状況としてのデフォルトモードネットワーク

  私が最終的に持つ脳のイメージは以下の通りです。普段の脳はアイドリング状態であり、それがデフォルトのあり方です。それは何かのタスクを与えられて即座にベータ波を出しながら計算機的な動きをするまでは、ある種の待機状態、アルファー波の状態であり、自由な発想やファンタジーが浮かんでは消え、浮かんでは消えを行っています。この状態は一種のカオス状態で、一番イメージしやすいのは、凍る直前の冷水のような感じです。いつどこから小さな氷の結晶が生まれるかがわからない状態です。そこでは小さなアイデアの断片がいたるところで浮かび、一気に大きな結晶へと発展するチャンスをうかがっています。

ちなみにこの動画は動かないはずだ。youtube から取ったものなので、著作権がかかっているのだろうか?それとも私のやり方が悪いのか・・・・。




ちょっとそれに似せた画像をお見せしましょう。ただしこちらは砂山  sandpile のコンピューターシミュレーションです。あることを発想しようとしているときの脳はちょうどこのような状態であり、そこで浮かび上がってくるアイデアはちょうどこの小さな雪崩現象に例えることが出来るのです。

2022年9月22日木曜日

不安 推敲の推敲の推敲 4

 過剰なD不安はまた、CSTCループ自身の過活動も関与している可能性がある。強迫観念はそのような機序として近年研究が進められている。

ところで「不安システム」の変調としてもう一つ述べておかなくてはならないのが解離の機制である。恐怖体験は時にはT不安以外の反応を引き起こす可能性がある。それが最トラウマに対する解離反応であり、PTSDの「解離タイプ」という存在である。

以上不安の精神病理について、フロイトの見解の後に付け加えられた生物学的な所見によりそれを拡張した形で論述を行った。不安という私たちになじみの体験は、私達生命体が破局的な体験を乗り越えて心身ともに生き残るための極めて基本的かつ必須のものである。「不安システム」は私達の心がトラウマ的な状況に際して症状として現われた強烈な不安(T不安)に対してそれを意識的、無意識的レベルで常に予測し、いわばD不安に変換することで準備するという、脳科学的なレベルで巧妙に作り上げられていると言っていい。ただしこの精妙な「不安システム」は時に変調をきたし、それが様々な不安障害として体験される。そしてそのメカニズムの詳細やや薬理学的な治療手段は日夜研究されている。しかし日々の不安とどのように向き合い、T不安をD不安に昇華していくのは私たち一人一人の意識的な心的活動の重要な局面であり、また精神療法家が寄り添い、援助するような課題でもあるのだ。

2022年9月21日水曜日

不安 推敲の推敲の推敲 3

 不安の精神病理学とは「不安システム」の失調ないしは機能不全を意味するが、それは具体的にはT不安、D不安が病的に高まる状態として理解される。まずT不安が異常に高まる状況としては、トラウマ的な状況そのものが深刻で心に深い傷跡を残す場合である。トラウマ的な状況により生じるトラウマ記憶(より専門的には「恐怖関連記憶 Fear-Related Memoryと呼ばれる」が通常の記憶といかに異なる性質を有するかについては近年さまざまな研究がなされている。トラウマ的な状況で分泌が促進されるストレスホルモンは、扁桃体における情動的な出来事の刻印付けを促進すると同時に海馬の機能を抑制し、それが通常のエピソード記憶とは異なるトラウマ記憶の形成を促す。

トラウマ記憶はフラッシュバックの形で蘇る頻度も非常に高く、またそれに対する心の準備を行うまでには時間がかかる。そのために必然的にD不安も高まり、継続的に体験されることになる。これは例えばパニック発作やトラウマの体験の後に生じるフラッシュバックのような場合であり、いずれも扁桃体の異常な過活動を意味する。パニックに関しては青斑核による過活動が扁桃体を刺激し、不安と共に様々な自律神経症状を生み出す。またトラウマ記憶においては、仮説的にではあるが、海馬がトラウマ的な状況を「憶えて」いて(Stahl, p.372)、それが扁桃核を介して恐怖反応を引き起こすことを繰り返す。

特定のトラウマ記憶が時間と共に忘却(消去)されるどころか、逆にさらに強化(再固定化)されてしまうという事態についての研究も進められている。喜田によればトラウマ記憶の再想起の行われる際の時間経過によりどちらかが決定されるとする。また治療中にトラウマ記憶を呼び起こす際に特殊な薬物(Psilocybin, MDMAなど)の注入により再固定化を阻止するという試みもなされている(Stahl,p.376)。

2022年9月20日火曜日

不安 推敲の推敲の推敲 2

  以上フロイトの至った不安の精神病理学的な考察と現代の脳科学的、精神薬理学的な理論を示したが、その趣旨はほぼ一致した方向性を示していることがお分かりであろう。臨床的にも生物学的に見ても、不安はいわば二層構造を有している。過去に現実の、あるいは想像上の恐怖体験ないしは強烈な不安があり、それを想起したり予期したりすることにともなう、より緩徐な不安がある。これらをフロイトの呼び方に準じてそれぞれT不安とD不安と呼ぶことにしたのだった。そして前者はちょうどそのまま Stahl の恐れ体験 fear experienceに、後者は心配worry に相当するのである。

 T不安は恐怖であり、自分がどの様な境遇に晒されるかわからず、また一瞬先も予測することが出来ず、体験に受け身に翻弄される事態である。そこでは自らの精神的、ないしは身体的な存亡が危機に瀕し、あるいはその様に感じる状態であり、まさにフロイトが表現したように、トラウマとしての性質を有すると言えよう。そしてその体験が過ぎ去ると、心はそれが再度起きることを予測し、備えざるを得ない。その時に生じるD不安は、その恐怖体験への心の準備を促し、またそれが不十分であることを知らせる。その意味でD不安は警戒信号としての意味を有するであろう(フロイトの「不安信号説」に相当する)

さて事態が望ましい方向に進むなら、トラウマ的状況に対する精神的、身体的な準備が進み、あるいはトラウマ的状況そのものが繰り返されることなく時が過ぎ、D不安も軽減していく。トラウマ的状況は対処可能な状況に変わるか、二度と起こりえないことに変わっていく。後者の場合は、そのトラウマの記憶が徐々に薄れていくこと、それが忘却されることと同義であろう。そしてむろんこのような事態は私たち人間にのみ生じることではない。これまで生存競争に生き残ってきた生命体は、多かれ少なかれそのような装置を備え、機能させてトラウマ的な状況に対処するすべを学んだのだろう。

ちなみにここで一つの疑問がわく。心は恐怖体験に対する万全の準備を行うことで、D不安を最終的にゼロにすることが出来るのだろうか。おそらくそれは不可能であろう。なぜならトラウマ的状況は将来どのように形や強度を変えて襲ってくるかは完全に予測できないであろう。そしてそれに自分自身もこれまでと同様にそれに対処できる保証はない。その意味では将来来るべきトラウマ的状況を完全に予測し準備することは不可能であろう。すなわちD不安を完全に解消することはできないと考えるべきであろう。しかし生命体は自らに被る危険を最小にするために、この準備を極力最大にするように努めるであろう。

最近の「自由エネルギー原則」(Friston,2010)が雄弁に述べているように、私達の中枢神経は「予測する装置」でもある。常に予測誤差の最小化 prediction Error Minimization (PEM) に向けられていると言っていい。そしてそれはトラウマ的な状況に対する予測に十分反映されていると考えることが出来る。Friston の言う予測誤差による不快(Holmes, 2020)とは、まさにこのD不安をさしていたと考えることが出来る。

Fristn,KJ (2010) the free energy principle. A unified brain theory? Nature Reviews Neuroscience, 11.127-138.

Holmes,J (2020) The Brain has a Mind of its Own. Confer Books, London.

2022年9月19日月曜日

不安 推敲の推敲の推敲 2

 2.不安についての脳科学的な理解

 不安に関しては近年脳科学および精神薬理学的な研究が進んでいる。それらの知見を基にして不安を恐れfear と心配 worry とに分けるという見解が見られる(Stahl,2013)。恐れとはある種の恐怖体験のさなかに体験される急性の不安であり、その体験にはパニック発作やトラウマ的な体験及びフラッシュバックが該当する。それに対して心配とは、恐怖体験が将来起きるであろうということを予想しつつ感じる不安のことである。Stahl は不安をこれらの二つに分け、それぞれ異なる神経ネットワークに関連しているとする。

恐れ Fear は扁桃核中心の経路 (「恐れ経路」と呼んでおこう)であり、心配 Worry は皮質線条視床皮質(CSTC)ループ(同じく「心配経路」)であるとする。

(これから起きること)「心配ループ」すなわち「恐れ回路」に関しては、扁桃核-眼窩前頭前野、扁桃核―前帯状皮質の二つのネットワークが過活動を起こしている状態とされる。そしてそこで中心となる扁桃核は視床下部-下垂体-副腎皮質(HPA)軸を刺激してストレスホルモンを分泌させ、青斑核を刺激して血圧や脈拍の亢進を引き起こし、傍小脳脚核を刺激して呼吸に影響を与え、過呼吸などの症状を引き起こす。

2022年9月18日日曜日

不安 推敲の推敲の推敲 1

  精神病理学とは、「精神の異常を心的資質の異常な変異として[捉える]」(Schneider, 1962)学問である。そしてそれは「面前する生きた病者の臨床的観察と記述に基礎をおく」(松本, 2011)という。しかも精神病理学は「生物学的精神医学・社会精神医学・司法精神医学等の諸領域の統合の結節点というべき位置にある」(日本精神病理学会ホームページ)とされ、極めて本質的かつ包括的な学問ということになる。とすれば不安の精神病理学について語る責任は重大である。

Schneider, K (1962) Klinische Psychopathologie. Sechste, verbesserte auflage Georg Thieme Verlag. Stuttgart. クルト・シュナイダー (), 臨床精神病理学 増補第6, 平井静也鹿子木敏範訳, 1977 

松本雅彦 現代精神医学事典 加藤敏・神庭重信ほか編 弘文堂、2011

 筆者が思うに、不安について最初に心と脳科学を見据えながら包括的に不安の精神病理について論じたのは、一世紀ほど前のシグムンド・フロイトだった。そしてそれはある位置まで到達したまま、あまり進んでいないように思われるのだ。読者の中にはこれほど脳科学的な研究が積み重ねられた現代において、不安の精神病理学が新しい進歩を遂げていないことが信じがたいかもしれない。しかし脳科学的な所見を援用しつつ、心の立場から不安という現象の全体像を理解する努力は、現代においても決して十分になされているとは言えないのである。

 精神医学の歴史における「不安」

精神医学においては過度の不安症状は主要なテーマの一つとなっていることは言うまでもない。ただし現代の精神医学においては不安の占める位置は若干低下しているらしい。これまではいわゆる神経症群は事実上不安症群として扱われ、そこに様々な障害が入っていたが、現代の精神医学的診断のゴールドスタンダードであるDSM-5American Psychiatric Association)やICD-11World Health Organization)では「不安障害」として分類される障害は減少している。DSM-52013)では強迫神経症、PTSD、急性ストレス障害が不安性障害から「旅立って」いった(塩入、p.2中山書店 2014)。
 不安の精神病理学は、もっぱらその身体症状の記載から始まったといえる。不安という概念以前には米国の神経学者George Beard (1869) により提唱された神経衰弱 neurasthenia の概念が広く浸透していた。これは神経過敏、頭痛、めまい、神経痛、不眠、疲労感、心気的訴えなどの複合的な症状を「神経の力 nervous force の枯渇」と見なしたもので、不安に関連する疾患はほとんどこのカテゴリーに属していた(加藤敏,2011)。ただしこのBeard の論文には「不安」という言葉は見られず、あくまでも身体症状の列挙であった。そしてフロイトはこの神経衰弱という概念にヒントを得て不安に基づく疾患概念を作り、それを不安神経症と名付けたのである(大川、清水,2020)。この様に考えると、不安を初めて精神医学の俎上に載せたのはフロイトその人だったといえるだろう。(以下略)

2022年9月17日土曜日

不安 推敲の推敲 3

  さてD不安を引き起こすファクターとして何が考えられるのだろうか。一つはT不安の大きさである。それが恐怖体験であるほど、その準備には時間と心的労力が必要となる。T不安が大きいほど、D不安が訪れる頻度も増えるであろう。それは心がT不安への心の準備が出来るようになるまでは続くのである。そしてその仕組みそれ自身は適応的と言える。心は常に驚きを嫌う(Friston????)からである。
 ではこのメカニズムが変調をきたし、D不安が執拗に、しかも軽減することなく生じる場合があるのはなぜだろうか?それは例えばパニック発作やトラウマ記憶のフラッシュバックのような場合である。これはいずれも扁桃体の恐れ反応が生じている場合であり、パニックに関しては青斑核による過活動が扁桃体を刺激し、不安と共に様々な自律神経症状を生み出す。またトラウマ記憶においては、仮説的にではあるが、トラウマ的な状況を「憶えて」いて(Stahl, p.372)、それが扁桃核を介して恐怖反応を引き起こす。そしてどのようなトラウマ記憶が消去extinction されて、どの記憶が想起の際により強化(再固定化)されていくかについての研究も進められている。後者によっては治療中にトラウマ記憶を呼び起こす際に特殊な薬物(Psilocybin, MDMAなど)の注入により再固定化を阻止するという試みもなされている(Stahl,p.376)。

過剰なD不安はまた、CSTCループの過活動も関与している可能性がある。強迫観念はそのような機序として近年理解されている。

不安装置の変調としてもう一つ述べておかなくてはならないのが解離の機制である。恐怖体験は時にはT不安以外の反応を引き起こす可能性がある。それが最近注目されているトラウマの解離反応であり、PTSDの「解離タイプ」という存在である。

 この様に不安という私たちになじみの体験は、私達生体が破局的な体験を心身ともに生き残るための極めて基本的かつ必須のものであることが分かる。私達の生が意識的、無意識的レベルで常に予測し、準備するという仕組みは脳科学的なレベルで巧妙に作り上げられていると言っていい。そこでの日常的で軽度の不安(D不安)は生そのものと切り離せないほど日常的で、それは疎ましいものではあっても私たちの心身を防衛する役割を果たしてくれるのだ。そしてこれは一世紀前にフロイトが至った理解でもある。

ただしその仕組みは変調をきたし、それがパニック、フラッシュバック、全般性不安等の形で体験される。そしてそのメカニズムや薬理学的な治療手段が日夜研究されている。しかし日々の不安とどのように向き合い、それをいかに私たちの人生にとって有意義な形で対応していくかは、私たち一人一人の課題であり、また精神療法家が寄り添い、援助するような課題でもあるのだ。


2022年9月16日金曜日

不安 推敲の推敲 2

 考察、結論 

 以上フロイトの至った不安の精神病理学的な考察と現代の脳科学的、精神薬理学的な理論を示したが、その趣旨を追っていただければ両者はほぼ一致した方向性を示していることがお分かりであろう。臨床的にも生物学的に見ても、不安は二層構造を有している。過去に現実の、あるいは想像上の恐怖体験ないしは強烈な不安があり、それを再び想起したり予期したりすることからくるより緩徐な不安がある。これらをフロイトの呼び方に準じてそれぞれT不安とD不安と呼ぶことにする。前者は Stahl の恐れ体験 fear experienceであり、後者は心配 worry に相当することは言うまでもない。T不安は恐怖であり、一瞬先も見えず、自分がどの様な境遇に晒されるかわからないで、受け身に圧倒される状態である。ここでは自らの精神的、ないしは身体的な存亡が危機に瀕し、身動きが取れない状態であり、まさにフロイトが表現したように、トラウマとしての性質を有するとも言えよう。そしてその体験が過ぎ去ると、心はそれが再度起きることを予測し、備えざるを得ない。その時に生じるD不安は、その恐怖体験への心の準備を促し、またその強さはまだそれが不十分であることを知らせることになる。その意味でD不安は警戒信号としての意味を有するであろう(フロイトの「不安信号説」に相当する)。しかしそれはやがては逓減されていく。これはそのトラウマの記憶が徐々に薄れていくこと、それが忘却されることと同じことであろう。そしてむろんこれは私たち人間にのみ生じることではない。これまで生存競争に生き残ってきた生命体は、多かれ少なかれそのような装置を備え、機能させてきていると見たほうがいい。

ちなみにここで心は恐怖体験に対する万全の準備を行うことで、D不安を皆無にすることが出来るかという疑問が生じるかもしれない。しかし恐怖体験はそれがどのように形や強度を変えて襲ってくるかは完全に予測できないであろう。その意味では恐怖体験を完全に準備仕切ることでD不安を解消することはできないと考えるべきであろう。しかし生命体は自らに被る危険を最小にするために、この準備を極力最小にするように努めるであろう。
  最近の「自由エネルギー原則」(Karl Friston)が雄弁に述べているように、私達の中枢神経は「予測する装置」でもある。常に予測誤差の最小化 prediction Error Minimization (PEM) に向けられていると言っていい。そしてそれは恐怖体験に対する予測に十分反映されていると考えることが出来る。Friston の言う予測誤差の最小化が人に快を生むという主張は、まさにこのD不安の解消によるものとして理解できよう。

さてD不安を引き起こすファクターとして何が考えられるのだろうか。一つはT不安の大きさである。それが恐怖体験であるほど、その準備には時間と心的労力が必要となる。T不安が大きいほど、が訪れる回数も頻度も増えるであろう。それは心がT不安への心の準備が出来るようになるまでは続くのである。そしてその仕組みそれ自身は適応的と言える。心は常に驚きを嫌う(Friston)からである。

2022年9月15日木曜日

パーソナリティ障害 抄録

 とほほ・・・。抄録を忘れていた・・・・。

本章ではパーソナリティ障害についての総括的な解説を行なう。まず「概念と病態」においては、パーソナリティ障害が19世紀のフランスにおける心的変質論に始まり、 ドイツ精神医学においてKoch, Kraepelin, Schneider らにより洗練され、精神分析の影響を受けつつ1980年の米国におけるDSM-において現代的な体裁を整えられた過程について論じた。また現代のパーソナリティ障害論における最大のトピックと言えるカテゴリカルな診断からディメンショナルな診断への移行の背景に触れ、それが現代の精神医学におけるエビデンスないしは生物学的な知見を重視する潮流と深い関連がある事情について述べた。次に「診断」においては、カテゴリカルな診断の代表としてDSM-5(第Ⅱ部)、ディメンショナルな診断の代表としてICD-11の分類をベースに論じ、両モデルの持つ特徴や問題点についても言及した。すなわち前者は直感的に把握しやすいが疫学的な検証を行う上での問題が多い一方、後者はより正確にパーソナリティ障害を把握し表現できる一方では煩雑で臨床における利便性を妨げる傾向にある。最後に「治療」においては、パーソナリティ障害の心理社会的なアプローチや薬物療法に関して、境界パーソナリティ障害を中心に主要な論点に触れた。パーソナリティ障害の概念は今なお流動的で、今後も更なる発展や変化を経る可能性を秘めている。ディメンショナルモデルに基づく最新の分類についても、今後の医療者側の反応が待たれる。

2022年9月14日水曜日

不安 推敲の推敲 1

 「不安の精神病理学」再考             

精神病理学とは、「精神の異常を心的資質の異常な変異として[捉える]」(Schneider, 1962)学問である。そしてそれは「面前する生きた病者の臨床的観察と記述に基礎をおく」(松本, 2011)という。しかも精神病理学は「生物学的精神医学・社会精神医学・司法精神医学等の諸領域の統合の結節点というべき位置にある」(日本精神病理学会ホームページ)とされ、極めて本質的かつ包括的な学問である。とすれば不安の精神病理学について語る責任は重大である。それを論じる資格があるのは、精神科の臨床医であろうか?精神病理学者であろうか?しかもそれを「再考」するだけの見識や資格を誰が備えているといえるのだろうか?

筆者が思うに、不安について最初に心と脳科学を結び付けながら包括的にその「精神病理学」を論じたのはシグムンド・フロイトだった。そしてそれはある位置まで到達したまま、そこに留まっているように思われるのだ。読者の中にはこれほど脳科学的な見地が積み重ねられた現代において不安の精神病理学が新しい進歩を遂げていないことが信じがたいかもしれない。しかし不安という精神現象の様々な脳科学的な所見を応用し、かつ不安という現象をその全体像として、しかも心の立場から理解するという努力は、現代においても決して十分になされているとは言えないのである。

 

精神医学の歴史における「不安」

不安の概念は精神医学のみならず精神分析や哲学においても主要なテーマであった。その後は過度の、ないしは病的な程度の不安症状は、精神医学における主要なテーマの一つとなった。しかし現代の精神医学においては不安の占める位置は若干低下しているらしい。これまではいわゆる神経症群不安症群にあらゆるものが入っていたが、現代の精神医学の診断基準のゴールドスタンダードであるDSM-5American Psychiatric Association)やICD-11World Health Organization)では、「不安障害」として分類される障害は減少している。DSM-52013)に至っては強迫神経症、PTSD、急性ストレス障害が不安性障害から「旅立って」いった(塩入、p.2中山書店 2014)。
 不安という概念以前には米国の神経学者George Beard (1869) により提唱された神経衰弱 neurasthenia の概念が広く浸透していた。これは神経過敏、頭痛、めまい、神経痛、不眠、疲労感、心気的訴えなどの複合的な症状を「神経の力nervous force の枯渇」と見なしたもので、不安に関連する疾患はほとんどこのカテゴリーに属していた(加藤敏,2011)。ただしこのBeard の論文には「不安」という言葉が出てこない。あくまでも身体症状の列挙である。そしてフロイトもこの神経衰弱という概念にヒントを得て不安に基づく疾患概念を作り、それを不安神経症と名付けたのである(大川、清水,2020)。この様に考えると、不安を初めて精神医学の俎上に載せたのはフロイトその人だったといえるだろう。

不安の精神病理について論じるにあたり、フロイトの思考を追うことは必須である。フロイトがある程度の道筋をつけてくれているからである。フロイトは1895年の「ヒステリー研究」(Breuer, Freud, 1895)で神経衰弱と不安神経症はしばしば混在する(F191)と述べ、神経衰弱から不安神経症を切り離すべきだと述べている(F190)。そして性的な起源をもつ生理的緊張の蓄積an accumulation of physical tension (of sexual origin) 取っているのだ。そして神経衰弱については「十分な活動が不十分な活動、つまり最も好ましい形での性交ではなく、マスターベーションや夢精に置き換わった場合に生じる。」(F271)つまりBeard により概念化された神経衰弱はフロイトの手により、これもまた性的な起源をもつものとされてしまったのだ。

ところでこの時期のフロイトの不安理論は、リビドーの鬱積して生じる不安という意味で「鬱積不安説」と呼ばれるものだ。これはBeard の神経衰弱の概念を反転させ、つまりエネルギーの枯渇ではなく、鬱積を彼は問題にしていたのである。そこでそこにはH.W. Neumann (18141884) の影響が明らかであった。19世紀半ばのいわゆるローマン派医学に数えられるNeumann こそが、「充足を得られない欲動が不安になると言ったのだ(Ellenberger, 214)。つまり彼はFreud に先んじて、鬱積不安説を示していたことになる。

こうして精神分析の前夜の1898年にフロイトはすでに次の分類を行っている(Freud, 1898)。
現実神経症:不安神経症、神経衰弱、心気神経症
精神神経症:ヒステリー、強迫神経症、恐怖症、自己愛神経症

このうち現実神経症とは日々の「不適切な性生活」において生じ、精神神経症は幼児期由来の性的欲動から生まれる葛藤に由来するものとして説明された。

 そしてこう述べている。

 この段階でのフロイトの不安理論は性愛論への過度の偏重があり、私達には実感として追うことが難しいであろう。ただ心の動きを一種の物理学的・流体力学的な発想で説明することは、当時のフロイトが影響下にあったヘルムホルツ学派の基本理念であった。

2022年9月13日火曜日

高機能のサイコパス 2

 そもそもサイコパスとはどのような症状を示す人たちだろうか。有名なロバート・ヘアのPCL-R (サイコパシーチェックリスト、改訂版)はそれを4つの分野、つまり対人面、情緒面、生活様式、反社会性に分けている。

対人面:口達者で表面的な魅力/誇大的な自己価値感/病的な虚言/偽り騙す傾向・操作性

情緒面:良心の呵責や罪悪感の欠如/浅薄な感情/冷淡さ、共感性の欠如/自分の行動に責任を取らない

生活様式:刺激を求める・退屈しやすい/寄生的な生活様式/現実的・長期的な目標の欠如/衝動的/無責任/放埓な性行動

反社会性:行動の制御が出来ない/幼少時の問題行動/少年非行/仮釈放の取り消し/多種多様な犯罪歴/数多くの婚姻関係

 ところでDSMに出てくる反社会性 PDはどうであろう。その診断基準は まず「他者の権利を侵したり無視したりする傾向。①社会のルールを守らない。②人を騙す/噓をつく。③ 衝動性/無計画性 ④攻撃性 ⑤自分や他者の安全を無視する ⑥仕事を続けられない。

DSMでは行動面を重視しているが「情動的な欠損」を強調していないということをDuttonは強調している。つまりサイコパスは空虚で情緒がない。反社会 PD から情動を抜いたものがサイコパスだ(Dutton)。これはわかりやすい定義だと言える。ちなみにDuttonが述べるには、ヘアによれば、囚人のうち 85% が反社会性PDを満たすが、サイコパスは 20% に過ぎないという。ところでICD-1011の「非社会性PD(Dissocial PD)は概ねサイコパスに相当する。つまり米国風ではなく、ヨーロッパ風の考え方を踏襲しているというわけだ。さてサイコパスの示す生物学的な所見ということだが、それはこのFallon の著書に出てくる図を紹介しよう。

要するに眼窩前頭皮質から、前帯状回、扁桃核、島皮質に至る部分の活動が低下しているということだ。これはファロンの著書に掲載されているMRIの図であるが、上の二人のMRIの図に比べて一番下のサイコパスの人の図は確かにこれらの部分の活動が低下しているように見える。そして驚くべきことだが、この最後の図がファロンその人自身の画像だというのだ。

 

2022年9月12日月曜日

交代人格を無視? 4

 最初の部分の書き直し。

「交代人格は無視する」ではうまく行かない

 という題で書くことになるが、実はこの事を常日頃から患者さんや治療者に対して言ってきた。交代人格が出現したら、主人格とは別の人として会うべきか。基本的にはそうである。ただしここで「基本的には」と付けることには意味がある。なぜならここには多くの例外や注意すべき点が含まれているからだ。時には交代人格さんは「もう誰が出てたっていいじゃないですか!」という反応を見せる。あるいは交代したことを気付いて欲しくない、いちいち反応しないでほしい、という人格さんもいるだろう。そこにはいろいろな配慮が必要になる。でも一つ言えることは、「交代人格は無視する」ではうまく行かないのであり、もしそれがこの特集の趣旨のように、これまで一種の常識として信じられてきたとすれば、それは非常に大きな問題と言えるだろう。

2022年9月11日日曜日

高機能のサイコパス 1

高機能のサイコパス

 サイコパスのことを、この犯罪心理学会で先生方にお話するのは釈迦に説法という気がする。というのも私はサイコパスの問題には以前から非常に興味を持っているが、それは彼らがただの欠損というだけでなく、一種の才能を有しているかのようなことが言われているからである。何しろ良心が普通にある私達には考えられないようなことを平気ですることが出来るからだ。

 まずこの「高機能のサイコパス」とは何かということを最初にお話してから、サイコパスという病理そのものの話に戻りたいと思う。

 普通用いられている意味は、これは「暴力的な傾向を持たず、社会で成功を収めている人々である。」「ヘア・チェックリストの4因子中3因子(浅薄さ、冷たさ、信頼性の欠如)を満たすが、反社会的傾向はないとも言われる」(Fallon :サイコパスインサイド 2006ホワイトサイコパス、などの表現も見られます。この高機能のサイコパスの存在が投げかけてくる課題があります。それは

1.社会的な成功者はことごとく「高機能のサイコパス」なのか? ということです。

2.「高機能のサイコパス」は特殊な才能 talent を有する人々なのか? そして最後にこの発表のテーマである、

3.高機能のサイコパスに心理療法は有効か?(「純系のサイコパス」には無理だが)ということです。

ところでサイコパスに関する議論を盛り立てた人たちとして二人を挙げることが出来る。それは1930年にMask of Sanity という本を書いて広く読まれたHarvey Cleckley であり、それに影響を受けこの問題について深く論じ、サイコパス度についてのチェックリストを作り上げたRobert Hare である。この後者は「診断名サイコパス」という題名がつけられ、わが国でも広く読まれている。私もとても感銘を受け、サイコパスの問題がいかに興味深く、私たちの生活にとっても身近な存在なのかについて教えてくれたのがこの本である。

 Robert Hare はまた本発表の主たるテーマである高機能のサイコパス、知的なサイコパスについても「スーツを着た蛇」(日本の題名は「社内の知的確信犯を探し出せ」という本を2006年に書いている。そしてこの二冊は高機能サイコパスという本発表のテーマに関して私に大きな影響を与えた二冊である。Kevin Dutton の「サイコパス・秘められた能力」とJames Fallon の「サイコパスインサイド」である。この後者は後でも述べるが、サイコパスの脳科学者が書いた自分自身の有するサイコパス性についての記述である。


2022年9月10日土曜日

治療機序の多元性について 2

  私は精神分析は出来るだけサイエンスであり続けるべきだと思います。ですから精神分析はどのような機序で患者に変化を与えていくかという厳密な議論は必要だと考えています。そしてフロイトが、それは無意識の意識化であり、そのために最も決定的な介入は無意識内容の解釈であると唱えたこと、そしてそれが精神分析において長い間半ば常識とされてきたということは歴史的に見て極めて大きな意味を持っていると思います。そしてそれに対するアンチテーゼとして支持的、ないしは関係性という考え方が生まれたわけですが、従来考えられてきた「洞察的か、支持的か」や「解釈か、関係性か」という対立軸はもはや意味がないということです。
 ところでMPRP(メニンガー精神療法研究プロジェクト)は解釈的な要素と支持的な要素は常に入り混じっていた(Wallerstein, 1986)という結論が出ました。それからは解釈による洞察」と「新しい関係性を体験することによる変化」は相乗効果的 synergisticである!という考え方が重要になりつつあるということです。
 さてその結果としてどうなったかというと、では患者が何を求めて治療を訪れるかということを考えた場合、それこそ数えきれないほどのニーズがあり、それぞれに対して有効なメソッドが存在するということです。それは例えば心理臨床への多元的アプローチという本に示されるCooker McLod の主張とあまり変わらなくなってしまいます。

 そこで私は最近は一つの方針を決めています。それはまず、病態の理解としては神経ネットワークの考えを念頭に置くことです。
 これは恐らく同じようなことについて思案している分析家であり精神科医のギャバード先生が考えた末に主張していることで、行ってみれば当たり前のことですが、比較的わかりやすいことです。それはおそらく私たちは私たちが持っているある種のパターンについて扱っているということです。そしてそれはある意味では十分意識できないからこそ代えられないのです。それを潜在的なシステム:無意識的な連合ネットワーク unconscious associative networks* UAN) が改変することで、問題となる情動的な反応や防衛システムや無意識的な解釈のパターンが変化すること。とします。そしてこれとは別に顕在的なシステム:意識的な思考、感情動機付けや調整のパターンが変化すること が存在します。

(*)Westen,D., Gabbard G. (2002) Developments in cognitive neuroscience. J Am Psychoanal Assoc 50. pp.54-113.

さてそこに脳科学はどのように関わってくるのでしょうか? それが彼が言う無意識的な連合ネットワークの概念です。
 これは具体的に何を意味するかと言えば、表象と情動の自動的、直接的な結びつきが繰り返して起きているという事情です。それは例に挙げれば父親のイメージから怒りの感情が直接湧き出てくるようなパターン、あるいは自己イメージを思い浮かべるとそこに自己嫌悪感が生じるというパターン、つまり自分のことを大したことがない、あるいは生きている価値がないと考える場合。あるいは自分が楽しむことを想像すると、「お前にそのような価値はない」という内的な声がするというパターンです。私の患者さんでディズニーランドに行くことを楽しみに感じたら、即座に「お前には楽しむ権利などない」という声が聞こえたというケースがありました。

2022年9月9日金曜日

治療機序の多元性について 1

 治療機序の多元性について

まず最初に申し上げたいのは、実は私はすでに精神分析そのものに対して義理立てをする必要は何もないということです。私は分析家でありますが、そこで最も大事なことは、というか唯一大事なことは、と私のスーパーバイザーのドクターキューリックに言われましたが、「倫理的ありさえすればいい」。ということです。しかしそれは実は大変なジレンマを生むことになります。それは私が出来るベストのものは精神分析ではない場合に、自分の仕事を封じることになるかもしれないということです。これはとても悩ましいですね。しかし最近ひとつ開き直ったのは、私は母国語としての精神分析を持っていて、それなしでは精神療法を語ることができないと言うことです。それは精神分析の概念を使ってあるべき精神療法について語ることでやはり精神分析家であるということです。でもそれでも少し分析の世界を離れて精神療法一般について考えてみたいと思うようになりました。そこで目を向けたのが、前から気になっていた多元的な精神療法という考え方です。

 私の準拠枠は、ドクターギャバ―ド先生のテキストですが、彼はその論文でこう言っています。「現代の精神分析はこれまで経験したことのない多元主義 pluralism に特徴づけられる。(Gabbard, 2002*)

「その多元主義は、精神分析における治療的作用 therapeutic action の議論についてもいえることである。

「作用機序は洞察の獲得にある」という一元論はもはや通用しない(Sandler, Dreher, 1996)

* Gabbard, G.O. Westen, D. (2003). Rethinking therapeutic action.

   Int. J. Psycho-Anal., 84(4):823-841.

どうでしょう? この言いっぷりは。 



2022年9月8日木曜日

不安の精神病理学 推敲 19

 考察、結論

私がフロイトの不安理論は精神病理学的には一定の高みに立っていたという事情は理解していただけるだろうか。フロイトは不安を考えるにあたって、トラウマ状況と危険状況の二つの状況を提示した。人間はある種の極限的な恐怖体験を持ち、その後はそれを心の中で準備するという性質を持つ。ここで不安は前者によるもの(T不安)と後者によるもの(D不安)の二つに分かれることになる。T不安は強烈な恐怖の体験と言い換えたほうがいいであろう。D不安はそれに比べてより緩徐で、私達が不安と呼んでいる感情に近い。そしてここで時間のファクターが大きな意味を持つ。T不安はそれに心が対処しきれない状態であり、いわば時間に追われる状態である。それに比べてD不安はそれを前もって予期し、準備する性質を有する不安である。

フロイトはそこで不安の対象が未知なものか否かという区別をした。前者は何を対象にしているかわからない、恐怖の真っただ中にある。対象というのはその状況そのものなのだが、それを客観視できていない。何に向かっているのかわからずに翻弄される。後者はそれを対象化し、それを予期するという余裕を持つ。このD不安は、いわば信号の様なものである。「しっかり危険状況の準備をせよ」という信号だ。それにより危険に十分に対処できることになる。ただしそれを完全に把握し、その準備も万端であるなら、それは恐らく不安を呼び起こさない。未知な要素、今度は以前のように自分はそれを対処できるのだろうか、何かの原因で今度はダメではないか、という意味での未知な部分も含まれる。その意味ではD不安は、必ずF不安を部分的に有する。すると不安は反応としての部分と、信号としての部分を併せ持つことになるだろう。このフォームレーションは不安の在り方を実に見事に示しているように思われる。

さて現在の脳科学的で神経ネットワークを中心とした理解の仕方は、結局このフロイトが至った結論を裏打ちしているといえる。T不安は扁桃体―皮質のループの賦活化であり、後者はCSTCループの活動、ないし過活動である。このありかたは実は人間の心の在り方を全体としてとらえる自由エネルギー理論に合致している。人の心は(ある意味では)常に未来のシミュレーションであり、予測値と実測値の合致を目指しているのだ。Friston はこれをその合致が快楽であるという表現をするが、これは実はそれが一番不安を軽減するからだと言い換えるべきであろう。ただし付け加えるならば、私たちのやっていることは、この一致だけではない。一致しないことによる刺激をも求めているところが人間の心の面白いところだ。不安理論は純粋な快というよりは、不快の(未来における可能な限りの)回避による安堵の部分のみを扱っているということもできるかもしれない。

2022年9月7日水曜日

感情と精神療法 2

 治療において必須となる転移感情

治療的な関りには様々な情緒が伴うであろうが、その中でも重要なのが、転移―逆転移感情であろう。患者の感情が動かず、自らについての言及も少ないだけでなく、治療者にも積極的な関心を抱かない場合には、その治療にはあまり進展は望めないであろう。しかしここに治療を動かす一つの決め手となるのが、転移感情である。患者が治療者に対して人間的な興味を持ち、あるいは治療者との情緒的な関係を重要と感じるようになると、そこに新たな力動が生まれる。ここら辺の事情は、すでにフロイトが100年以上前に述べていることだ。

 比喩を用いればわかりやすいかも知れない。職場や学校でのさして興味のない仕事や勉強に追われ、それ以外は単調な毎日を送っている人が、ある人に出会う。その人は自分にとっての理想の人に思え、その人と話すことで勇気や希望が生まれる。その人にとって誇れる自分、振り返ってもらえるような自分であろうと思い、行動や身だしなみを整えるようになる。その人からの一言、例えば「あなたの○○なところは素敵ですね。」などと言われると、天にも昇る気持ちになり、その○○な部分をさらに伸ばして、もっとその人に評価してもらいたいと思う。
 この例は自分が興味を抱いた異性に関するものとして書いたつもりだが、別に上司や先輩であっても構わない。自分にとってのアイドル的な存在一般についても言えるだろう。
 私達はその様な人の存在が、普段はあまり人生に幸せを感じることが出来ず、自分に対しても他人に対しても関心を向けることのない人が、なぜここまで変化を遂げるかが不思議であろう。無論このような一種の「ほれ込み」が健康的でその人の成長につながるとは限らない。その相手が想像とは実際はかけ離れている場合には、けっこうややこしいことが起きてしまいかねない。しかしここで注目すべきことは、人が誰かを好ましく思い、その相手の幸せや不幸に自分のそれを同期化させるような対象が、その人の普段は変わることのない思考、行動パターンに変化をもたらすための重要な機会を与えるということである。そして興味深いことに、フロイトはそれが「転移」現象として、分析的な治療関係に入れば、当然のごとく生じると考えたことである。

2022年9月6日火曜日

交代人格を無視? 3

 解離症状は封じるべきか?

  解離を無視するという立場にとってある種の支えとなるような理論がある。それは「○○(症状名)はそれを放置しておくとどんどん悪化する」という考えである。古くはマスターベーションがそうであった。「放っておくとますます性欲が増し、性的に放縦になってしまう。だから禁止しなくてはならない。」(この種の対応を親から受けたことがある人はきっと読者の中にもいるだろう。)あるいはリストカット。禁止しないと癖になってしまうと考える。過食も、強迫行為も、親や保護者は見つけたら「芽のうちに摘んで」おこうとする。

 どうやらこれは解離についても言えるらしい。ほっておくと癖になるから、見て見ぬふりをする。解離を認めてしまうと歯止めが効かなくなってしまう。これはかなり強烈で説得力のあるナラティブで、明らかに嗜癖を形成するようなものならまさにこの考えのとおりである。シンナーを吸って陶酔している若者にはやはり急いで止めないといけないだろう。しかし解離の場合は事情が違う。
 解離を禁止する立場の治療者はある種の強いメッセージを持っていることがある。「私は解離の存在を否定するつもりはありませんし、私の患者さんにも解離を起こす人がいます。ただ私はそれを認めることでそれを促進したくないだけです。」これは私が常に言っている「解離否認症候群」よりもその対応が難しい。なぜならトラウマ関連の症状には確かに症状の発現が呼び水のような意味を持つことがあるからだ。
 ある患者さんは昔のトラウマについて治療者に聞かれてから、フラッシュバックが頻発するようになった。一週間で治めてまた来院するが、またそれが繰り返される。そこで暫く治療を中断することになった。これは実際に起きる話である。解離においても別人格Bちゃんが治療者の前で出て来て、優しい対応を受けたことで、その治療者に会うたびに出現したくなる、ということも起きる。「その時はその時で少し抑えて下さい。」などと言って済ませる問題ではない。なぜ、どうしてそれが生じて、今後どう対処していくべきか、という点が問題であり、それが精神医学の臨床研究の対象となるのだ。 

2022年9月5日月曜日

高機能のサイコパスと治療

 昨日とある学会で発表した内容の結論部分である

仮説を含めた結論 高機能のサイコパスの治療的なアプローチは可能か。

 まずここでサイコパスの治療の目標としては、彼らの向社会性を少しでも高める関りと考えることが出来るであろう。それは彼らの共感力を高めるという類の治療目標とは異なる。

サイコパス自体がある種のheterogenous 異種性の、異成分からなる一種の症候群である以上、そこには反社会性の部分を含まないサイコパスも存在し得るであろう。これはある意味では異なるネットワークからなり、それぞれのネットワークの性質から第4成分を含まないものも出て来て、その上に高知能性を有する場合にHFPとなるであろう。だからHFPはサイコパスの中の一定の割合を占めるであろう。そしてそこで高知能と幸運に恵まれた彼らが社会で成功する可能性はより高くなる。

ただしニューマンの研究が示すとおり、ここにはスイッチング効果もありうる。那須川天心が、昨日の「チコちゃん」で「自分はビビりだ」と言っていた。

サイコパスにとっての快感の一部としては自己愛的な満足が必ず含まれるだろう。そして彼らの向社会性は彼らの自己愛的な満足と結びつけることで可能ではないか。

彼らのサイコパス性についての理解を得たうえで、彼らにとって一番の喜びは、サイコパス性を持つ人にとって最も難しいことを達成することである。それは人を助けるための行動を行うことで、彼らは自分たちのサイコパス性を少なくとも行動面で克服できるという力を示すことである。