2021年9月25日土曜日

大文字の解離理論に向けて 推敲 3

 精神医学の中での解離理論の位置づけ

フロイトがそこまで苦心して守り続けた立場、すなわち心は常に一つであるというとらえ方は、その後も精神分析において受け継がれていく。しかし精神分析外では、多重人格や意識の多重性は特にタブーとなることなく論じられていった。つまり多重人格や重篤な解離症状を認めるか否かについて、精神医学と精神分析学の間に乖離が生じて行ったのである。これについて解離性障害についての第一人者といえるヴァンデアハートは、次のように述べている (van der Hart, 2009)

「精神分析においては解離は防衛機制と考えられ、自我のスプリッティングを主として扱うのに対して、精神分析外では、次の二種類の用いられ方をする。
1). 統合されていた機能がストレスにより一時的に停止してしまうこと。 
2
. 同時に生じる、別個の、あるいはスプリットオフされた精神的な組織、パーソナリティ、ないしは 意識の流れ。」
  ヴァンデアハートのこの分類では、精神分析は1)の意味での解離だけを扱っていることになる。それに比べて2)の場合の「もう一つの精神的な組織」とは、トラウマ的な出来事により形成された、知覚的で心理的な要素であり、このパーソナリティの組織は個人の意識外で働き、そこにアクセスできるのは催眠や自動書記によってであるとされる。
 このヴァンデアハートの分類はおおむね妥当なものと言えるが、実は精神分析の歴史では、1893年のブロイアー、フロイト以外で、この2)に属する解離について論じた分析家がいたと考えられる。それがサンドール・フェレンチであり、「大人と子どもの間の言葉の混乱 ― やさしさの言葉と情熱の言葉(1949/1933」に描かれた解離現象である。この論文には解離状態においてあたかも新たな心が生み出され、自律的な機能を有することへのフェレンチ自身の驚きが描かれている。(以下は森、大塚ら訳から)

「私たち分析家は、強直性発作を起こしている患者に対してもいつもの教育的で冷静な態度で接しますが、そうして患者とつながる最後の糸を断ち切ってしまいます。患者はトランス状態のなかでまさしく本当の子どもなのです。」(同p.143、下線は筆者)
 この記述は子供の人格状態に対してはそれを個別の人格そのものとして扱うというフェレンチの姿勢が表れているであろう。彼は以下のようにも述べる。
 「次に、分析中のトランス状態において起こる現象をつぶさに見ていくと、衝撃や恐怖があれば必ず人格の分裂の兆候があることがわかります。人格の一部が外傷以前の至福に退行することで外傷が生じないようにすることにはどの分析家も驚かないでしょう。驚くのは、そんなものがあるとは私などもほとんど意識していなかつた第二のメカニズムが同一化にさいして働くのを知ったときです。衝撃を受けることで、それまでなかった能力が、魔術で呼び出されたかのように前触れもなく突然花開くのです。日の前で種から芽を出させ花を咲かせてみせるという魔術師の魔法を思い起こさせるほどです。」 (pp. 147-148,下線は筆者) このようにフェレンチは解離において新たな別個の人格が新生されるといった現象を驚きを持って描いている。こうして新たな人格が生まれていく現象を、フェレンチは原子化 atomization と呼んでいる。
 その後も解離やスプリッティングの概念は、英国の対象関係論や米国のサリバンなどにより扱われたが、おおむねそこでの議論はバンデアハートの分類では1)に属するものに限られていたと言ってよい。