2021年9月24日金曜日

大文字の解離理論に向けての推敲 2

  そのブロイアーが特に熱を入れてフロイトに語ったのが、有名なアンナ O. (本名ベルタ・パッペンハイム)のケースである。彼女は明確な多重人格、今の呼び方では解離性同一性障害(dissociative identity disorder, 以下DID)の症状を示していた。フロイトは当初はこのケースに強い関心を寄せたことは間違いない。そしてそのブロイアーと「ヒステリー研究」(Breuer, Freud 1895)を著すことになったのであるが、フロイトは、治療者であったブロイアーのアンナO.についての説明に最初は納得していたはずである。ブロイアーの考え方はいわゆる「類催眠状態 hypnoid state」を想定することであった。アンナO.はしばしば催眠にかかったような、もうろうとした解離状態を示し、その後に様々な症状を呈したのである。ブロイアーは、ある種のトラウマを体験した人はこの類催眠状態になり、いわばもう一つの意識の流れが出来上がると考えた。しかし「ヒステリー研究」の後半では、フロイトはブロイアーの類催眠状態というアイデアについて異を唱え始めている。
 フロイトとブロイアーの考えの違いを追ってみると、そもそもフロイトはヒステリーの原因を一つに絞る上で、ブロイアーの類催眠—解離理論を捨てたという経緯があったことがわかる。フロイトは自分自身はこの類催眠状態を見たことがないとし、代わりに内的な因子であるリビドーを中心に据えた理論を選択した。しかしフロイトはこの多重人格という不可思議な現象のことを本当に忘れたわけではなかった。

 実はフロイトはこんなことを1936年に書いている。「離人症の問題は私たちを途方もない状態、すなわち『二重意識』の問題へと誘う。これはより正確には『スプリット・パーソナリティ』と呼ばれる。しかしこれにまつわることはあまりにも不明で科学的にわかったことはほとんどないので、私はこれについては言及することは避けなくてはならない。」(Freud, 1936. p245) ところがフロイトはそうは言いながらも、この多重人格状態に関する仮説的な考えに触れていたのだ。1912年の「無意識についての覚書」の中でフロイトは多重人格について、いわば「振動仮説」とでもいうべき理論を示している。「意識の機能は二つの精神の複合体の間を振動し、それらは交互に意識的、無意識的になるのである」 (Freud, 1912p.263) 。また1915の「無意識について」でもやはり同じような言い方をしている。「私たちは以下のようなもっととも適切な言い方が出来る。同じ一つの意識がそれらのグループのどちらかに交互に向かうのである。」(Freud, 1915, p.171.
  
ここで注目されるべきは、「ある一つの同じ意識 the same consciousness」という言い方だ。同じ一つの意識がそれらのグループのどちらかに交互に向かうのである。」つまり結局意識は一つであり続けるという事になる(Brook,1992)。