2021年7月18日日曜日

嫌悪の精神病理 7

 この問題はおそらく記憶に関係している。カエルより高等な生物が記憶の機能を備えると、以前餌を捕まえた時に味わった記憶はそれを思い出すこと自身がある種の快感を伴うのだろう。では先取り嫌悪はどうだろう? それは天敵から襲われるという体験がなくとも、恐らく先取り報酬と同時に体験されるだろう。コオロギが口に入る寸前に逃げてしまったら、想定していた快が奪われたことを知ったカエルは相当なダメージを味わうだろう。それはおそらく先取りされた快の分だけの苦痛のはずだ。こうして手に入る見込みのコオロギによる快、手に入るはずだったのに逃げられたコオロギの喪失による苦痛、という仮想的な体験による快、不快が体験されるが、より高度な生命体では、これらは抽象的な物事に関する快、不快へと容易に拡張される。お金などはその最たるものだが、名誉も、プライドも、叱責もすべて報酬系を刺激して、快、不快を体験させることになる。

なお動物実験ではサルを使ってトレーニングをすると、最初は果物などの報酬を与えたときに興奮していた報酬系が、それをもらえるとわかった時点での興奮に前倒しされることが分かっている(Schultz 1993)。

Schultz W, Apicella P, Ljungberg T1993Responses of monkey dopamine neurons to reward and conditioned stimuli during successive steps of learning a delayed response task. J Neurosci 13:900-913.

実は報酬が得られる可能性ですでに反応することがとても必要であり、だからこそそれを実際に得ようとする行動が生まれる。おそらく生体にプログラムされているのは、近くにある報酬の源(についての記憶)の際にそれに接近するというほとんど自動的ともいえる行動であり、この報酬予測の時点でその報酬の先払いを受けていると考えていいだろう。まとめるならば、生命体の報酬系は、報酬の予測に対しても、あるいは嫌悪の予測に対しても反応することで、その生命体の生命維持に貢献しているのである。

ここで容易に気が付くことだが、先取りされた快や嫌悪は、おそらく直接それを(予想外に)与えられた、ないし被った時の快ないし苦痛と積分値が一緒であるということだ。つまりカエルがコオロギを目の前にして「やった!」と喜んだ時の快は、それを実際に食べているときの快を減衰させることになる。何しろトータルで同じ値のはずだからだ。(そりゃそうだろう。じゃないと、ちょうどいくら食べても決して減っていかないケーキのようなものではないか。)