2021年7月15日木曜日

嫌悪の精神病理 4

 では報酬刺激についてはどうか。それが一定限度内であれば、VTAのドーパミンニューロンが適度に刺激され、人は心地よさを覚える。それは時とともに和らいでいくが、それは自分にとって良い体験となり、また同じような快感を味わってみたくなるだろう。たとえば毎日決まった時間にある心地よさを体験しているとしよう。それは午後のおやつタイムかも知れないし、好きなゲームで過ごすひと時かもしれない。あなたは再び仕事に戻り、明日のその時間を楽しみにしてはいても、そのことをあまり考えないだろう。
 ところが毎日得られる快感が一定限度を超えた場合、報酬系は正常な機能を放棄してしまうだけでなく、私たちに極度の苦痛を与えることになるのだ。例えばヘロインを吸入して著しい快感を初めて味わった時、人は自分の身に何が起きたかわからないだろう。それほど大きな快楽は通常は体験することはないからだ。雲に乗ったような不思議な気分かもしれない。しかしやがてあなたはそれが、単なる心地よさではないことに気が付く。なぜなら何回かヘロインを使用しているうちに、あなたはその時の体験が頭にこびりついて離れなくなるからだ。気が付くと翌日のその時間が待てなくなっている。他のことが考えられなくなっているために、仕事に戻ることが難しくなっている。そうしてさらに不幸なことが起き始めていることを知る。それはヘロインによる快感が過ぎ去った後、不思議な苦しさが訪れるようになることだ。しかも時と共にそれが増していくのである。そしてその苦しさは、次の日に再びヘロインを使用する時まで続くのだ。
 さらにもう一つの問題が起きる。それは同じ量のヘロインで得られる快感は明らかに前回よりは減っている。それは苦しさを一時軽減してくれるだけで、恐らく快感としてすら体験されない。こうして報酬系は最初の甚大な快感をそっくりそのまま苦痛へと変質させてしまうのである。いわば報酬系は私たちに奉仕するどころか、最悪の事態を引き起こし、私たちを裏切るのだ。これはこういって差し支えなければ報酬系という器官は途方もないバグを有している。それは一定以上の快の刺激で、快感どころか災厄をもたらすのだ。そしてその人をおそらく二度と立ち上がれない廃人のようにしてしまうのだ。
 ひとつ疑問がある。報酬系の振る舞いは神がそう設計した結果だろうか。人(実は動物も同じである)は一定以上の快を味わった際にその人を廃人にするべく設計されたものだろうか?それとも自然がそのような快の源泉を想定していなかったのだろうか? たしかに生命体がこのようなバグを有する報酬系を抱えながら生き延びてきたのは、生命体がそのような強烈な報酬刺激に自然界では滅多に出会わなかったからであろう。例えばケシの実からとれる白い汁に含まれるモルヒネの濃度が極めて高かったとしたら、動物の多くはケシ畑を離れられなくなり、食べ物を探したり繁殖をしたりせずにケシの実を齧り続けて廃人(廃物?)になり餓死してしまうだろう。
 すなわち私たちの文明が、自然界ではほとんどありえないような報酬刺激を作ってしまったのがいけないのか?その理由は分からない。ただしこのバグの本体は少しずつ解明されつつある。そしてそれに従い、薬物依存をいかに治療するかについてのヒントも与えられつつあるのだ。