2021年5月31日月曜日

オンラインと精神療法 1

 あるのっぴきならない事情があって精神分析的な治療とオンラインについて考察するが、これは2部に分かれる。一つはオンラインによる治療が分析のセッションにカウントされるべきかということであり、この問題はさらに「オンラインセッションが質を担保するか、ということと形式上の規定を満たすかということに分かれるであろう。そしてもう一つはフロイトの週4回以上、寝椅子を用いるという形態以外のセッションがどの程度「分析的」かという問題であり、これはオンライン以外の形態についてもいえることである。それこそ電話を用いたセッション、メールを用いたセッションまで含まれるかもしれない。
 まずは例によってこの問題に関する総論である。私はこれを常日頃一番大切にしている。
 私の体験から話せば、ZOOMを用いたセッションは、寝椅子を用いたセッションにとても似ているという印象を持った。ただしカメラオフ、という条件がある。私はカウチを用いたセッションの一番の特徴は、クライエントが横になり連想をするということ、そしてもう一つはお互いに視線を合わせないということである。その意味ではZOOMでお互いにカメラオンで行う面接は、設定によっては相手の顔が大写しになり、場合によっては自分の顔も大写しになるという特徴がある。ZOOMを用いるようになり、私たちの多くはセッション中の自分の顔をまじまじと見るという体験を初めて持ったのではないか。そしてこれは一部の自己愛的な傾向を有する治療を除いては、あまり心地いい体験とはなっていないようである。私自身は私の顔は見えないようにして、相手の顔もかなり小さくしてあまり相手や自分の顔を意識しないようにするという風にしている。 
 それに比べてお互いにカメラオフにして行うセッションは、私がこれまで寝椅子を用いたセッションを行ったクライエントさんにのみ行っているが、すこぶる快適という気がする。最初だけカメラオンにして挨拶をした後オフにすることで、寝椅子に横になる前とセッション終了時に体を起こす時だけ顔を合わすという形が保たれ、同様の質が保たれているように感じる。ただそれは週一度のケースであり、週4回のケースに対して行ってはいない。週4以上のケースでは同じカメラオフで面接を行った場合にどこまで同じやり方が通用するかはわからない。そこでできるだけ対面で(といっても対面で対面せず、というややっこしい状況なわけであるが)という方針はそれなりによくわかる気がする。
 ギャバードはセッション中にノートをとることがラポールの形成の妨げになり、また治療者が時々時計に目をやるのを気が付くことで患者がupset するために、面接室での時計の位置に配慮が必要であるとする。これらはことごとく対面で行うセッションを行うことに伴う懸念である。これらの問題はカウチを用いることで完全に解消しないまでもかなり軽減するであろう。
 オンラインのセッションの利点としては、言うまでもないことであるが、セッションに通うための時間が浮くために、それをほかのことに使えるということがある。もちろんそのための交通費もかからない。これは治療のために遠隔地から通うクライエントにとってはこの上ない利点といえる。これにより国内の異なる地方に在住の治療者、あるいは外国の治療者の治療も受けられることになる。
 もう一つオンラインセッションのメリットは、クライエントの「帰宅問題」を解消してくれるということがある。(中略)
 ただしオンラインのデメリットもある。一つにはおそらくクライエントの側に、プライベートな空間を保証することが難しい場合があるということである。しばしばクライエントさんは自宅の中で防音がしっかりして声が家族に漏れないような場所を確保することに困難さを有する。時にはセッション中に部屋に押し入ってくる幼い子供の面倒を見たり、餌を欲しがって泣きつく犬の世話のために中座したりしなければならず、それでなくても家人に聞かれているのではないかとの懸念で内緒声になったりする。治療を受けていること自体を家族に伏せているようなケースでは、事実上オンラインの治療は不可能であったりする。さらに細かいことにはなるが、設定がうまくいかず、相手の声が聞きづらかったり、途中で回線が途切れてセッションがいきなり中断を余儀なくされるなどの問題は頻繁に起きる。
 しかしこの最後の問題などは、私たちがオンライン治療を行うことを余儀なくされた一年以上前に比べれば、はるかに多くの経験を持ち、多くの経験値を積むことによりかなりスムーズにそれを行えるようになってきていると思う。私の偽らざる感想を言えば、私たちがこのような文明の利器を手に入れて、四半世紀前までだったら考えもしなかったような遠隔地の間でのセッションが可能になったことに、はっきり言って実感がないほどである。たまたまこのシステムがフロイトの時代に確立したなら、新し物好きのフロイトがZOOMによるセッションを取り入れてオンラインセッションを取り入れたことはほぼ間違いないと思われる。婚約者マルタに1000通を超える書簡を送り、フェレンチとは数百通の手紙を交わしたフロイトが今の世にいたら、ラインやメールを死ぬほど活用したであろうし、ブタペストのフリースとは毎日のようにズームでやり取りしたであろうことはほぼ間違いがないであろう。ただそれにより交流の進展も加速し、フリースやフェレンチとの関係も実際よりずっと早く進展して、収束してしまったかもしれないと想像する。