2021年5月14日金曜日

離隔 3

「顕著なパーソナリティ特性」離隔 detachment
 離脱について改めて書き直すわけだが、そもそも自分はパーソナリティについて分かっていない。離隔についてICD-11の草案は次のように示している。
 「 離隔特性の中核は,対人的な距離や情緒的な距離を遠くに保つ(対人的な離隔,情動的な離隔)という傾向であり,以下のような共通した表現を伴う.社交的な離隔(社交的な交流の回避・交友の欠如,親密さの回避)・情動的な離隔(打ち解けなさ,高慢、限局された情動的な表現や体験)」
 これをDSM-5の「離脱 detachment」と比べてみる。
「社会情動的体験を回避することであり,(日常的な友人との交流から親密な関係にわたる)対人的相互関係からの引きこもりと,制限された感情体験および表出,とりわけ快感を感じる能力が限定されていることの双方が含まれている。」
どちらもあまり変わらない。実は私はこの離隔の項目を書くことに気が進まない。なぜならこの「離隔」は書きにくいのだ。なぜならば、これは典型的な「構成概念」だからである。もし典型的な「離隔」的な人がいたとしよう。それらの人を集めて、その人たちはA,B,C,D・・・・という性質を持っていたとする。それは脳や心の機能にある種の原因があり、例えばその人の脳が「離隔」菌に冒されて離隔的になっているのであれば、その本質を探っていくことになるが、そういうわけではない。マクリー、コスタが作り上げたビッグファイブの性格特性の一つとして掲載され、いわば概念が最初に出来てしまった感じ。それを最初に作ってからその本質を探れと言われてもなかなかその気になれない。それらがDSM-5に記載されているように、「引きこもり」、「親密さの回避」、「快感消失」、「抑うつ性」、「制限された感情」、「疑い深さ」という6つの要素に分かれると言われても、それではそれぞれの一つずつについて解説すれば、全体として「離隔」を説明することになるのか。でもこれらの要素のいくつか、例えば「親密さの回避」と「制限された感情」は全然別のことのような気がする。親密になった時の感情が苦しいからそれを回避するのであれば、感情に制限があるどころか、感情が激しすぎるという事にもなるだろう。しかし、である。この
 6つのファクターを共通して持っている人を考えよう。何となくイメージが浮かび上がってくるような気がするではないか。「離隔」パーソナリティ障害とでもいうべき人が。とするとOCEANの開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症傾向のそれぞれについて、それが欠けたパーソナリティ障害がある、と考えるならば、DSMのこれまでのパーソナリティ障害とどこが違うのか。
 私はこのビッグファイブの繁栄が因子分析により生み出されたことによるという事はわかっているつもりである。これらの5つがそれぞれある程度独立変数として動くことが分かっているからだ。という事はこれらの5つについて、ひょっとしたらある種の脳科学的な基盤があるのかもしれない。という事で日本語版のウィキペディアを調べてみると、「近年、パーソナリティ研究は心理学の領域のみならず、脳神経科学、遺伝学、進化論、政治学、精神医学、犯罪学などと結びつき、新たな知見をもたらしている」と書いてある。やはりね。しかもこの記事はとんでもなく膨大なものだった。実はこのパーソナリティに関する研究はとてつもない奥行きを持っているらしい。
 という事で本質的な事にはあまり手を付けず、私は離隔、あるいはそれとペアになる「外向性」との関連について2800字以内に収めて概説をすることにしよう。
 ちなみに離隔は外向性のネガという事になっているようだ。「社交的/エネルギッシュ」対「孤独/控えめ」という次いで考えられる。「外向性は、活力、興奮、自己主張、社交性、他人との付き合いで刺激を求める、おしゃべりであることを表している。過度の外向性はしばしば注意を引き、威圧的であると認識される。外向性が低いと内気で内省的な性格が現れ、それはよそよそしい、または自己完結的であると受け取られることがある。このような状況では、内向的な人とは対照的に、外向的な人が社会的な状況でより優勢に見えることがある」(Wiki様)。そしてこの概念は、アイゼンクの「外向性・内向性」に由来するという。このことも念頭に置いて、調べていこう。