2021年5月1日土曜日

母子関係の2タイプ 8

 このロスバウムの研究は、日本ではどのように受け止められているのか。ネットでダウンロードできた 「アタッチメント、『甘え』、自分 — アタッチメントの文化研究における『甘え』の取り扱いに関する一考察」 杉尾浩規著を読んでみる。あまりロスバウムの理論をわかっていない気がするので、この論文の力を借りよう。

そもそも愛着理論では、赤ん坊は探索行動とアタッチメント行動の間のバランスが存在し、そこで養育者が、「敏感性」(子供の愛着欲求に敏感に応答する力)を有する必要があるとされる。このバランスが安定しているか不安定化が問題になってくるのだ。そしてその安定性を知るためのテストがSSPということになる。さてこの理論に異議を唱えたのがロスバウムだ。米国では赤ん坊からのシグナルという情報への敏感さであり、日本では情動的親密さに基づく敏感さであるという。

このような考え方について反論を展開したのがロスバウムである。ロスバウムは3つの点に関して反論する。一つは養育者の「敏感性」について。これは米国と日本では違うものに向けられているというのだ。ただしそのロスバウムの主張として杉尾氏が述べているまとめが理解できない。「日本の敏感性は赤ん坊の社会的関与に対する欲求に敏感であり、アメリカの敏感性は赤ん坊の個体化に対する欲求に敏感であると思われる」(Rothbaum, Weisz, et al. 2000: 10961097)え、アメリカの赤ちゃんだって、固体化よりは依存欲求を示すことへの敏感さが要求されるのではないの?

 ここはすでにロスバウムの曲解という気がする。米国は分離個体化を求め、分離したい子供のサインに親は敏感になる、というわけだが、もともと愛着理論における母親の敏感さとは、「アタッチメント欲求」に対するそれであるはずだ。うーん、ここはよくわからない。

ロスバウムの反論のもう一点は分かりやすい。アタッチメント理論は、愛着が安定しているのが、将来の「有能性」(まあ、生きやすさ、ということになるだろうか)に結びつくというが、アメリカの場合の有能性とは、自律性、自存し、探索、などに結び付けられ、依存について過小評価している。ところが日本の場合にはその有能性には他者との依存や集団の中での協調や和を成立させる方向で考えられるという。これはそれなりにわかる。ステレオタイプだが。

3つ目の批判は「安全基地」に向けられたものだが、これは少しわかりやすかった。ロスバウムによれば、アメリカの愛着における安全基地は探索と個体化のためのものというバイアスがあるが、日本においては甘えられる環境や関係性であるという違いがある、と彼は言う。そしてもともと日本では子供を一人にしないので、SSPのようなことをすると子供は戻ってきた母親に「なんてことするの!!」とカンカンに起こり、結局C型(アンビバレンズ型)が多くなる。しかしこれはそのような不安定な愛着を生み出している日本の母親がいけないというわけではないという。ロスバウムという人はどうやらかなり日本びいきだという印象を生むが、ともかくもこの説明はある程度ピンとくる。米国におけるSSP状況では、ふらっといなくなってしまう母親に気が付いても、「また例によってどっか行っちゃった、やれやれ」という反応なのではないか。日本だと普通母親はそんなことをしないので子供は動転してC型の反応をするというわけだ。