2.心理教育で何を伝えるか?
より適確な情報に導く
解離性障害に関する知識や臨床経験には、臨床家の間でも大きなばらつきが見られる。特に解離性障害が一般に注目され始めた1970年代以前に基礎的な精神医学のトレーニングを終えた臨床家の中には、解離性障害という診断を下したり、その病態を念頭に症例を理解したりすること自体に抵抗を示す場合が多い。いや、抵抗を示すというよりはその習慣がない、という方が近いかもしれない。なぜなら精神医学の教科書の中で、解離ヒステリー、転換ヒステリーという項目は圧倒的に少ないページ数しか与えられていなかったからである。そして幻聴などの症状を第一に統合失調症に関連させて理解するという教育が根付いていたわけだから、それ以外の診断は発想として持てないという場合も少なくない。
解離性障害がもっぱら「ヒステリー」と呼ばれたのは1980年代までであったが、それに伴う偏見は一部の臨床家の間はいまだに健在であるという驚くべき事実がある。以上の事情から精神科を受診することがかえって誤診を招くという矛盾した事態も生じ得るのである。他方患者やその家族は、精神医学的な常識や専門知識からは距離を置く分だけ、解離性障害を受け入れ、理解する素地は大きい。しかし彼らが情報源とする解離性障害に関する噂や口コミ、ネット関連の情報の質は玉石混交であり、中には明らかな誤謬を含むものもある。
また最近ではインターネット関連の情報量が飛躍的に増大し、個人的に治療を経験した当事者たちも情報提供に貢献しているが、彼らの経験談がそのまま他の当事者たちに当てはまるとは限らない。特に個人的な経験に基づくアドバイスは、「私は治療者AからのBというアプローチや、Cという薬物が有効であった。きっとあなたの場合にもAやBやCが有効であるに違いない」という風に、一例だけの経験を過剰に一般化する傾向がある。その結果として他の患者が受けている治療を否定したり、自分の経験した治療法に強引に誘いこんだりするという危険性も少なからずある。ところが実際には臨床上しばしば議論の対象となる問題、たとえば症状の起因として外傷体験を積極的に取り上げるか否か、DIDの際に交代人格をメタファーとして捉えるか否か、いわゆるマッピングは行うべきか否か、などは、いずれもその時の治療状況に依存し、全か無かという考え方では答の見つからない問題なのである。
解離性障害を扱う治療者は、これらの問題を適切に処理しつつ正確な知識を患者に提供する義務があるが、情報には口頭で伝えるものと同時に、書物を推薦することにより間接的に提供されるものもある。
ちなみにいささか我田引水になるが、筆者の主催する研究会では、解離性障害についての患者さんおよび治療者の理解を深めていただくための書物を刊行している(岡野/心理療法研究会)。もともと心理教育的な用途をめざして執筆したものであるから、ここで本書を紹介することもあながち常識はずれとはいえないであろう。
診断的な理解を伝える
精神医学的な診断名の告知については、その是非も含めて多く論じられるべきである。統合失調症などの例に見られるように、誤解を生む可能性がより少ない呼称が検討され、採用されるようになりつつある。解離性障害においても診断名ないしは症状名を患者自身に伝えることは、治療における極めて重要なステップとなることが多い。その中でもDIDは、従来の「多重人格障害
multiple personality disorder」という診断名に代わって1994 年発刊のDSM-IV 以後用いられるようになり、従来の呼称に伴う問題はある程度改善されたといわれる。しかしそれを告げることが当事者に与えるインパクトは依然として大きいために、治療者はそれに対して慎重でなくてはならない。
筆者の経験では、DIDの典型的な症状と患者のプロフィールが一致していて、他の人格の存在を患者自身が感じ取っている場合は、その診断を告げることによる重大な被害は生じていない。それは例えば統合失調症という診断に伴い本人や家族が体験する失望や無力感とは大きく異なる点である。
その理由の一つには、DIDという診断を知ることで、患者にはこれまで自分が疑問をいだき、悩んでいた問題についてひとつの回答が与えられるということが挙げられるだろう。またDIDという疾患自体が比較的良好な予後をしめすことが多いという事情も関係しているものと思われる。
ただし患者の中には、自分が普段とはまったく異なるアイデンティティを備えることを自覚していない場合もあり、その場合にはその直面化に大きな衝撃を受けることも稀ではない。しかしその場合もむしろ解離性障害に関する適切な心理教育はそれだけ急務であると考えられる。DIDの患者の体験の多くは、一般常識を裏切るものである。彼らの中には他人にそれを話すことで驚かれ、あるいは単に嘘を語っていると誤解されて、傷つく人も多い。そして自分は正体不明の病魔に取り付かれていると誤解することもある。そのような事態を回避するためにも、適切な心理教育は必要不可欠と言える。治療者は患者の体験の多くがDIDに比較的定型的な症状の現れであることを説明するべきであり、その際家族にも同様の理解を求めることは治療の決め手となる場合がある。
診断は解離症状を悪化させないか
解離性障害、特にDIDの診断の告知に関連して非常に頻繁に持たれる懸念がある。それは解離性障害と診断されることが、患者にとって新たなアイデンティティになり、結局その病理の悪化につながったりするのではないか、というものである。たしかに解離症状をそれと認め、治療対象とみなすことは、その障害をさらに悪化させ、固定化するという考えを持っている臨床家は少なくない。「そもそも解離性障害、ましてはDIDなど存在しない」という立場を取る臨床家に治療を受ける患者たちにとっては、この問題はさらに現実的なものとなる。これらの臨床家の懸念は、具体的には次の一転に集約されるであろう。「多重人格が存在する、ということを治療者が認めた場合、それにともない次々と人格の交代が生じてしまうのではないか?」
この懸念を持つ場合は、交代人格を、本人とは別人として扱う、あるいはDIDの症例に存在する交代人格を数え上げる作業(いわゆる「マッピング」)などは、まさに症状を「悪化」させるものとして捉えられるであろう。
このように解離性障害の診断や治療が悪化につながるという考え方に対する心理教育については、次のような考え方を示すことが望まれる。
「そのような懸念は恐らく一部の患者については当てはまりますが、大部分のケースにおいては現実的な障害とはならないと考えていいでしょう。解離症状はそれが生じることが許されることで、表面上は一時的に促進される可能性は確かにあります。解離された部分の多くは、自ら姿を現そうとする圧力を備えています。その場合治療者はそれにブレーキをかける必要も生じるかも知れません。例えば仕事中に子供の人格が出てきては困る場合などです。しかしむしろ抑えられていた解離が治療場面などである程度解放されることで、それ以外ではむしろ出にくくなることも考えられるのです。」
実際DIDにおいては、ある交代人格の解放及び出現が次々と別の部分の解放の連鎖を生むということがある。その最初のきっかけは、話を聞いてくれる恋人の存在、治療者との関係の深まり、あるいは再外傷体験などである。これは、そもそも解離している部分は自己表現を許されなかったために、存続してきたという事情を思えば、治療的な進展を意味すると考えるべきであろう。そしてそれは患者が抑圧的な環境から逃れ、保護的な環境で生活出来るようになれば、いずれ起きてくるであろうプロセスなのである。
ただしもちろん一時的な解離症状の頻発は、その時の生活状況にとっては不都合である場合も少なくない。毎日仕事を持っている患者にとっては、そのために仕事に集中できずに自宅療養を必要とすることもあり、またパートナーとの間で頻繁に「発作」を起こしてその介護の限界にまで追い詰めることもある。そこでこのプロセスが安全にかつ適応的に生じるためには、そこに治療的な介入が必要となるのであるわけである。
再び私の火山の比喩を用いたい。未治療の解離性の患者は、地下にかなりのマグマを溜めた火山のような状態といえる。それは放置されたり、ストレスに状況におかれたりした場合にはいずれ噴火する可能性が高い。そこでマグマのエネルギーの一部を何らかの形で逃がす試みを行なうことで、その後火山活動は鎮まるかもしれない。しかしそのような操作がさらに大きな噴火を誘発してしまう場合は、その操作は結果的に不適切であったということにもなりかねないだろう。このように解離を誘発する際には、治療的、非治療的な両側面を注意深く考慮しなくてはならない。
何が原因なのか?
身体疾患や精神疾患の際に、患者や家族はしばしばその「原因」を問う。それは解離性障害についても同様である。その際両親、特に母親は自分達の育て方に問題があったのではないかという懸念持つことが非常に多い。また様々な外傷的な出来事、例えば学校でのいじめ、怪我や外科的手術の体験、親族の死去その他についても解離の原因として問われる可能性がある。さらには解離性障害の病因として欧米の識者によりしばしば指摘されている身体的、性的外傷が幼児期にあったのか否かについて問われることもある。
心理教育の立場からは、「何が原因なのか」という問いかけに対しては、以下のような一般的なものが適当と考える。
「一般的に言えば、遺伝負因や様々な種類のストレス体験が、精神疾患にかかるリスクを押し上げています。それは解離性障害についても同じです。特にDIDなどの場合は、性的身体的虐待を含めた幼少時のストレス体験が発症に深く関係しているようです。さらには生まれつき解離傾向の強い人についても同様のことが言えるでしょう。それに比べて子育ての仕方は、それが外傷的なストレスとしての要素を特に含まない限りは、解離性障害も含めた本人の精神疾患には、影響を与えるとしても間接的で偶発的な形でしかないと考えられます。」
もちろん親の子育ての仕方は子供にさまざまな影響を与える。たとえば親の職業や趣味、親が信じている宗教や考え方などが子供に受け継がれる可能性は高いであろう。しかし子供は親のある部分に同一化して受け継いでも、別の部分には同一化せず、むしろまったく別の方向性を選択する可能性がある。だから子育ての仕方がどのような精神病理を形成するかという問題に関しては、上述のような考え方がおおむね当てはまるのである。このようにして「子育ての仕方」に自信が持てず、厳しく自己反省をする傾向のある親御さんにはひとまず安心していただくことも必要であろう。
しかしそうは言っても子供の人格状態にある患者の側から、親の養育の不適切さについての激しい糾弾が収まらない場合もある。親としては、その主張が妥当だと思う限りは、謝罪ないし説明をし、患者の出方を待つことも必要かもしれない。ただし糾弾と謝罪が延々と続く先にはあまり希望は見出せないであろう。
いつ、どのようにして治っていくのか?統合とはどのようなことなのか?
これは解離性障害、特にDID に関する最大の問題であり、家族や本人が一番知りたいことのひとつであろう。しかしこれは同時に非常に難しい問題でもあるということを認識すべきであろう。
これまでの臨床経験の蓄積から私たちがおおむね理解しているのは、次のような点である。まずは解離現象は精神病症状と異なり、その人の現実検討や社会適応能力を長期にわたって著しく損なうというケースは多くはない。筆者の自験例のフォローアップによれば、一部の患者は1,2年の経過で人格の交代現象はほぼ消失すること、またかなりの割合の患者において人格の交代の頻度が顕著に低下する傾向にあること、そして残りの患者の殆どにおいて、治療の初期段階を除いては症状の悪化を見せていない。すなわちDIDの長期的な予後として言えるのは、DIDのかなりの部分があまり問題が長引くことなく解消していくという傾向にあるということである。
ただし以上は比較的安定した人間関係や生活環境を保て、またうつ病などの併存症を持たない場合、という条件がある。逆に加害的な他者とのストレスフルな同居が長引いたり、慢性のPTSD症状が継続してフラッシュバックが日常的に頻繁に生じているような場合では、解離症状も遷延する傾向にある。
最後に
解離性障害に関する心理教育として留意すべき点について、いくつかの項目に分けて述べた。もちろん心理教育として患者ないしは家族に伝えるべき事柄はここで述べたことには限らない。ケース毎に、適宜必要に応じて情報を提供する重要であろう。解離のケースはその経過の上で様々なコースをたどるために、きめ細かい柔軟な対応が不可欠であることは言うまでもない。時には約束事や契約以外の対応も必要となり、それも含めた治療構造という見方が必要であろう。またそれに応じて治療者が外部のスーパービジョンを必要とすることにもなろう。
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