2021年4月28日水曜日

母子関係の2タイプ 7

統合と「日本型」の提示

もし精神分析と愛着理論に共通項があるとしたら、それは母親からの子供への関心、という事になる。この際西洋か日本かという議論にとらわれることなく、この問題を扱うべきではないか。そのためにまずは二つのプロトタイプを示す。

1. 甘えに基づいた甘やかしタイプ(母親の子供への強い情緒的な関心emotional attention により代表される)“(Amaé-based) Indulging type” characterized by mother’s consistent emotional attention to the child.

2. 西欧タイプ (母親の子供への「それほど強くないnot so strong」情緒的な関心により代表される)“Western type”, characterized by mother’s “not so strong” emotional attention to the child.

どうしてこのような二つのタイプが異なる文化の間で生まれたかはわからない。しかしこれらがどの様に子供の情緒的な成長に絡むかを考えることは価値があるだろう。
まずタイプ1では、娘は過剰ともいえる情緒的な関心の中で育ち、どちらかと言えば「もうたくさん」な状態でそこから逃げ出す形で家を出るかもしれない。父親は娘を救い出すことがないであろう。なぜなら彼は通常は他のことで手いっぱいだからである。うまく行ったケースでは、娘は母親から十分、あるいは余計にもらったと感じて、自分の人生を歩むであろう。 一言で言えば、娘は母親の愛情について「もう沢山」となるのである。しかし私はこのタイプのケアの問題点や危険性についても述べておきたい。私の女性患者の多くは母親に対して極度の怒りを向けているのだ。彼女たちは自分たちが母親に価値観や願望を一方的に押し付けてきたと感じる。それを解決するのは和解によるという事はむしろまれで、関係性を絶ってしまうことが必要である場合もある。
 タイプ2に関しては、アメリカでしばしば体験したが、母親のケアがそれほど強くないとしてもそれのみで問題とはもちろん言えない。母親は母親としての役割を有し、女性として、社会人として、妻としての生活を送ることに何ら問題はないだろう。しかししばしば娘は情緒的なネグレクトの状態に置かれる可能性がより強いように思われる。何か人生に不幸が生じても、実家に帰るという事をあまり考えないのは、両親はすでに子育て後の人生を歩み始めていていて、子育ての延長をしようとは思わないからである。遠方の州でいる場所がなくなって返ってきた子供に対して、貴方のための寝室が余っていないから引き取れないと言われたという。病院の空きベッドがないからお断り、というわけでもあるまいし、と思ったことを覚えている。

ケアの先取り、おもてなしとは何か?

ここから先はもう少し自由に考えてみよう。もしここに掲げた弐つのプロトタイプが子育ての際に二者択一的になることなく働くとしたらどうだろう。それは実は多くの母親が無意識的に行っていることであるだろう。母親は子供に注意を向ける。子供のことをわがことのように思い、そのニーズを先取りして察知し、それを与えようとするだろう。しかしまた母親は社会人としての関心と責任を持ち、母親としての役割以外のものにもその注意を向ける。その度合いは恐らく程よく娘に体験されるに違いない。母親は子供が小さい時は正常な母親の没頭maternal preoccupation (Winnicott)の時期に遭ってもそのうちその関心は限定されたものになる。そしてそれは子供の脱錯覚disillusionment に同期するのである。

さてこの問題を「日本型」の問題として提示するとしたら、やはりRothbaum の敏感さsensitivity との関連で、optimal sensitivity 最適な敏感さという概念としてまとめることが出来るのではないか。そういうつもりで彼の最近(と言っても2006年)の論文のアブストラクトを読んでみる。

Rothbaum,F., Nagaoka, R, Ponte, IC(2006)Caregiver Sensitivity in Cultural Context: Japanese and U.S. Teachers' Beliefs About Anticipating and Responding to Children's Needs. Journal of Research in Childhood Education. 21;23-40.

Abstract

Western investigators assume that caregiver sensitivity takes similar forms and has similar outcomes in all cultures. However, cultural research suggests that sensitivity in the West has more to do with responsiveness to children's explicit expression of need, and that sensitivity in non-Western communities has more to do with anticipation of children's needs and receptivity to subtle and nonverbal cues. To date, no studies have directly assessed these differences. The present study examines interviews of 20 preschool teachers, 9 from the United States and 11 from Japan. Teachers were presented with scenarios and asked whether it is better to anticipate or respond to children's needs. Findings support the hypothesis that U.S. teachers prefer to respond to explicit expressions of need and that Japanese teachers prefer to anticipate children's needs. U.S. teachers also emphasize that children should learn to depend on themselves, that children are responsible for clarifying their own needs, and that children's self-expression should be encouraged. By contrast, Japanese teachers emphasize that children should learn to depend on their teachers, that teachers are responsible for clarifying children's needs, and that teachers must make assumptions about children's needs. These findings have implications for helping Japanese children and their parents adapt to the U.S. preschool setting.

要するに西洋では子供の明示的なニーズの要求に対する敏感さであるのに対し、日本では子供のニーズの非言語的で微妙な表現を予期anticipate することの敏感さであるという違いがある。この違いをつかむための実証的なデータは今のところない。そこで学童前の先生を米国9人、二本11人を集めて実験を行った。すると米国の先生は明示的なニーズにこたえるのに対し、日本の先生は、子供のニーズを予期する方を選んだ。そしてアメリカの子は自らに依存し、自分たちのニーズを明らかにすることを教えられる一方では、日本の子供は先生に依存することを教わる一方で、先生は子供のニーズを明らかにし、それを予期する必要があるという違いが明らかになったという。