2020年8月29日土曜日

サクレの件、ミラーニューロンと解離 33 


結局こちらにはハマらなかった。どうしてだろう?




何となく論文は完成に向かっている。見直しを繰り返すといろいろ考える材料が見つかる。つくずく解離をめぐる議論は誤謬に見している。大家の多くが唱える「交代人格は断片であり、部分的である」、という理屈はどう考えてもおかしい。今日は以下の文を付け加えた。 

How about the issue of partial or fragmented personality? I consider that we need to take a second look at this concept seriously. What many individuals with DID suffer is conflict among personalities, which indicates that they are emancipated and independent enough to have different views from others, rather than their being partial and fragmentary, achieving a view only when fused and integrated.

問題は私たちがある体験をする(正式にはクオリアを持つ、体験する)という事はそれ自身が統一であり、単回であり、決して部分的ではないという事だ。(これはWauchope 安永理論にも通じる。)人格が部分的、断片的という事はあり得ない。もしそうなら体験を持てない、という事になる。するとそれは人格でない。このような誤りを多くの解離の大家たちが犯している。