それに比べると、キールストローム Kihlstrom 先生の方が分かりやすい。こんな解説だ。
「ジャネは『抑圧は解離の一種だ!』と言い、フロイトは、『抑圧こそ重要であり、解離は抑圧と異なっていて、取るに足らないのだ。』と言った。しかし二人に共通していたのは、非意識的 nonconscious なプロセスが重要であるという事だった。」「フロイトにとっては抑圧は防衛の結果生じるが、ジャネによれば、ある種の脆弱さにより、ちょうど鎖を引っ張ると弱いところが切れるように解離が起きるという。つまりジャネの考え方は全然力動的ではない、とフロイトは主張した。」などと説明した。キールストロームは解離と抑圧の関係にとてもこだわった人であり、この二つの違いを論じることは、それほど簡単ではない、という事を種々の研究を行って示した。一説には抑圧は後催眠健忘と同類である、という説もあったが、それもその限りではない、などの説を提出している。
彼の議論は難しくてなかなかまとめられないが、簡単に言えば、トラウマによる健忘という考え方の重要さと、そこにかかわる解離の機制を説明したことにある。
他方ヒルガードは実に分かりやすい説明の方法を用いている。いわゆる水平分裂と垂直分裂だ。同様の分類は、例えばスプリッティングと抑圧の違い、コフートのいう自己愛の理論における二つの分裂の違いなどに表されているが、
ここで特に注目してほしいのは、解離によってもフロイト的な無意識内容は明らかにされないという事だ。というのもフロイトは如何も、抑圧された内容は間接的にしか知ることが出来ないと主張していたフシがある(Kihlstrom)。これは看過できない点である。