2020年4月29日水曜日

トラウマ難治例 1

はじめに ―――― 「重ね着」的なケースの理解
 本稿のテーマは難治例のトラウマアセスメントである。トラウマの既往を持つ患者さん(以降「トラウマケース」という呼び方をさせていただく)の中には、長期にわたる治療でも症状が改善せず、社会適応を果たせない方々が少なからず見られる。これらの「難治例」のトラウマケースとどのようにかかわるかは臨床家にとって極めて難しい問題である。ただし本稿のテーマはアセスメントについてのものであり、治療方針に論を及ぼすことなく、いかにトラウマケースを見立て、理解するかについて主として論じることとする。
 トラウマケースのアセスメントとしては、病歴や家族歴を網羅的かつ綿密に取り直すことの重要性については言うまでもない。本稿ではそれらがすでにおおむね得られたことを前提として、それらをいかに組み立て、診断的な理解に結び付けるべきかについて論じる。その際に特に論じたいのは、トラウマケースをいくつかの層に沿って「重ね着的」に評価することである。
 私はここ数年この種のテーマについて論じる際に、この「重ね着的」な理解という表現を用いている(岡野、2019)。それはトラウマケースを理解するうえで、あれか、これかのカテゴリカルな診断を下すのではなく、そのケースが纏っている病理のいくつかの層についての理解を深めることで多元的に理解するという趣旨である。その意味ではこの方針は近年パーソナリティ障害の分野などで論じられることの多いディメンショナルモデルに近いと言えるかもしれない。
 この「重ね着」という表現は、もともと衣笠隆幸先生(以下、敬称略)「重ね着症候群」という概念に発想を得ているが、私はその意図とはかなり違った用い方をしているという自覚もある。そこでこの難治例のアセスメントという本題に移る前に、この「重ね着症候群」という概念に言及しておきたい。
岡野(2019) 初回面接 (滋賀心理臨床セミナー「アセスメント・導入・初期プロセス」滋賀県草津、2019年5月12日)
重ね着症候群について
  衣笠はこの「重ね着症候群 layered -clothes syndrome」を以下のように定義している(衣笠、他、2007)。
1)18歳以上。 2)知的障害はない。3)種々の精神症状、行動障害を主訴に、初診時に各症例が表面に持つ臨床診断はさまざまである(統合失調症、躁うつ病、摂食障害、神経症、パーソナリティ障害・・・・)。4)しかしその背景には、高機能型広汎性発達障害が存在する。5)高い知能のために達成能力が高く、就学時代は発達障害とはみなされていない場合が多い。6)一部に、小児期に不登校や神経症などの症状の既往がある。しかし発達障害を疑われた例はない。
 また本症候群は「各種パーソナリティ障害の臨床像を持っているが、背景に発達障害を合併していて、自己理解を促すような分析的精神療法に対しては多くの患者が適応の対象にならない」(p36)とされる。衣笠が特にあげるパーソナリティ障害は、境界性パーソナリティ障害とスキゾイドパーソナリティ障害である。なおこの診断基準にある「高機能型広汎性発達障害」は、DSM-5やICD-11におけるASD(自閉症スペクトラム障害 autism spectrum disorder, 以下ASD)と見なしていいであろう。
衣笠隆幸 (2004) 境界性パーソナリティ治療と発達障害 : 「重ね着症候群」について - 治療的アプローチの違い - 精神科治療学 19, 693-699.
衣笠隆幸、池田正国、世木田 久美、他(2007) 重ね着症候群とスキソイドパーソナリティ障害 : 重ね着症候群の概念と診断について 精神神経学雜誌109(1), 36-44.