2020年4月25日土曜日

揺らぎ 推敲 55


柔構造における境界は揺らいでいる

以上柔構造という言葉の意味について説明したが、剛構造ないしは通常の治療構造との一番の違いは何だろうか? それは柔構造の境界は揺らいでいるということだ。それはどういうことだろうか? ここは非常に具体的な例、たとえば精神療法のセッションの時間枠を考えよう。ある患者Aさんのセッションは10時から1050分までとなっているとする。

Aはセッションの終了直前になって、あるテーマについてまだ話していなかったことに気が付く。Aさんはそのことを治療者に尋ねる。「一つお話ししたいことを思い出したんですが。23分延びてもいいですか?」

ここで剛構造的な考え方を持つ治療者Bの反応を見てみよう。
「セッションの時間は50分までと決まっているので、それを延長するわけにはいかない。時間が過ぎた時点で終了を告げて終わりにしなくてはならないな。」と考えたA先生は、時間いっぱいまではクライエントさんが話すのは自由だと告げ、定刻通りになったら終了を告げる。
他方柔構造的な治療者Cの反応として、読者は次のようなものを想像するかもしれない。

「私の信条は、治療構造を柔軟なものに保つことだ。23分伸びるくらいだったらかまわないではないか。」 こうしてC先生は時間が過ぎても34分ほど延長して話を聞くことにする。

確かにB先生はセッションの枠をきっちり守り、C先生はその点柔軟である。しかし私が考える柔構造はこのC先生の方針とも少し違ってくる。本当の意味で柔構造的な考え方に従ったD先生は、結果としてセッションを、次のセッションの開始時間である11時直前まで延ばすかもしれないし、B先生のように50分きっかりに終了するかもしれない。あるいはC先生のように1054分くらいまで延長するかもしれない。つまり構造を厳密に守るか、緩めるかという判断それ自体が揺らぐということである。
その意味をさらに考えるために、D先生の思考をたどってみる。少し長くなるが聞いてほしい。
Aさんが時間の延長を願い出るというのはこれまでになかったことだし、よほどの事情なのだろう。いつもきちんと時間通りに来院して、セッションを終えて帰っていくということは、Aさんは時間を守ることの意味も分かっているということだ。それでもあえて23分の余分の時間を必要としているのだろう。これはぜひ受け入れたい。それは私がAさんのニーズを的確に感じ取っていることを示す意味もあるだろう。幸い次の時間にはケースが入っていないし。もちろん構造を少し緩めるということがこの治療関係に持つ影響も考えなくてはならない。」
このD先生の考えには、様々な視点が組み込まれている。Aさんにとって時間の延長がどの程度重要らしいかという視点、自分が仕事を行う上で、時間の調整がどの程度可能かという視点、治療構造を逸脱することが持つ意味はどうなのかについての視点、などであり、それらから総合的に判断されることになる。それぞれの視点は、どれが最も適切な判断なのかについては正解がなく、それぞれが揺らいでいるといえるだろう。Aさんの要求はある意味ではとても重要だが、場合によっては次回まで待てないわけでもない。D先生の時間的な余裕も、ある場合もない場合もあろう。この日はたまたまAさんの次のセッションの予定がないので、少しは時間的な余裕があるかもしれないが、別の場合には次のセッションは絶対に遅れてはならないものかもしれず、またそのための準備をする必要があり、1050分終了の予定を延長するような一刻の余裕もない場合もあろう。
さらに治療構造を曲げることが及ぼす影響についても、23分延長することにはネガティブな意味が含まれる場合もある。もしD先生が以前Aさんの同じような要望を聞き入れて、「2、3分」の延長を了承したところ、それからの話が延々と続いてしまい、それを途中で止めるのがとても大変だったという経験があったとしたら、今回それを再び了承する意味は全く違ってくる可能性もある。
結局この先生の判断はこれらのさまざまな可能性の揺らぎの中から浮かび上がってくるものであり、その意味でまさしく文脈依存的なのである。治療構造が揺らいでいるというのはそのような意味なのだ。