2020年3月16日月曜日

揺らぎ 推敲 16


第2章 「揺らがない心」と精神分析

決定論者フロイト

本章では目を心理療法や精神分析に転じよう。心のデフォルト状態としての揺らぎという議論は、心の臨床にどのように関連するのだろうか。
実は心の揺らぎの問題を心の臨床に結び付ける試みは、実はやっと始まったと言っても過言ではない。というのもそもそも心を理解するという試みは、心を揺らぎのない、ある一定の法則に従ったものとして捉えるということから出発したという歴史があるからである。これまでも述べてきたことだが、人間は先が読めないこと、曖昧なことに我慢が出来ないところがある。「揺らぎ」の現象が私たちの身の回りにあふれていても、それを見て見ぬふりをする傾向は、人の心を扱うことを生業とする心理療法家、分析家でも変わらない。そしてそれには長い歴史があるのだ。
過去100年を振り返って心の理論の土台をつくった人を挙げるとしたら、まずはフロイトとユングを考えなくてはならない。フロイトの伝記を読み、精神分析の理論が生まれて発展していった様子をたどると、当時の分析学者たちが持っていた、心を解明して治療につなげることへの並々ならぬ情熱がうかがえる。フロイトが1900年代の最初に打ち立てた精神分析理論に従って治療を行うことは当時の分析家たちが命がけであり、そして大きな期待を寄せていたのだ。
私が本章の表題をモデルをあえて「揺らがない心と精神分析」としたのは、彼の理論がすでに見たデフォルトネットワークモデルや、神経ダーウィニズムで表現したような揺らぎに基づく脳の働きの理解とは一線を画していたからだ。すなわちフロイトの頭の中では、心とは決定論的な展開を行うものとして想定されていたからだ。彼の意識、無意識と言った局所論モデルも、超自我、自我、エスといった構造論もその路線で立てられた議論なのだ。
フロイトの理論は、ある意味では心はある種のロジカルなプロセスとして解明できるという主張であった。これまでは特に意味を与えられなかったことの背後には、無意識的な、そして分析可能なプロセスがあると説いたのである。このフロイトの考えは、喩えて言うならば、「ラプラスの悪魔」の世界観のようなものである。1700年代の終わりのピエール=シモン・ラプラスはフランスの学者だが、こんなことを書いている。
もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
— 『確率の解析的理論』1812