2020年1月27日月曜日

揺らがない心と精神分析 1


ここで話題を心理療法に近づけよう。心のデフォルト状態としての揺らぎという議論は、心の臨床にどのように関連するのだろうか。実は心の揺らぎの問題を心の臨床に結び付ける試みは、実はやっと始まったと言っても過言ではない。というのもそもそも心を理解するという試みは、心を揺らぎのない、ある一定の法則に従ったものとして捉えるということからしか出発し得なかったからである。
過去100年を振り返って心の理論の土台をつくった人間を挙げるとしたら、まずはフロイトとユングを考えなくてはならない。フロイトの伝記を読み、精神分析の理論が生まれて発展していった様子をたどると、当時の分析学者たちが持っていた、心に関する並々ならぬ関心がうかがえる。フロイトが1900年代の最初に打ち立てた心の図式に従って治療を行うことは当時の分析家たちが命がけであり、そして大きな期待を寄せていたのだ。
私がこの表題をモデルをあえて「『揺らぎのない心』という前提に立ったフロイト」としたのは、彼の理論がすでに見たデフォルトネットワークモデルや、神経ダーウィニズムで表現したような揺らぎに基づく脳の働きの理解とは一線を画していたからだ。すなわちフロイトの頭の中では、心とは決定論的な展開を行うものとして想定されていたからだ。彼の意識、無意識と言った局所論モデルも、超自我、自我、エスといった構造論もその路線で立てられた議論なのだ。
フロイトの理論は、ある意味では心はある種のロジカルなプロセスとして解明できるという主張であった。これまでは特に意味を与えられなかったことの背後には、無意識的なプロセスがあると説いたのである。そしてその理論の正しさを最も典型的な形で示すのが彼が表した「夢分析」(1900)に見られるような、夢の内容の分析である。そこには夢の内容の詳細がいかにその人の無意識に抑圧された記憶から作られているかが表されていた。フロイトにとっての無意識は、その人のそれまでの人生で体験した意識的、無意識的な内容を克明に記録したハードディスクのようなものであり、そこから複雑なプロセスを経て夢が生成されるという説を唱えた。フロイトそれと同じ論理で、人間が覚醒時にも夢に類似した内容を語ることを促すことにした。それには寝椅子に横たわって、あらゆる検閲、すなわちこんなことを言って恥ずかしい、罪深い、などの抵抗を振り払って語る内容を、同じように分析することで、無意識内容が理解されるのではないかということを考えた。それが「自由連想法」と言われる手法である。