2019年11月15日金曜日

コラムは揺らいでいる 7


陣取り合戦にも揺らぎが絡む

以上の議論から読者の方々は、次のようにお考えかもしれない。「大脳皮質上の陣取り合戦の勝敗を決めるのは、どちらがより報酬系の刺激をより強く引き起こすか、であり、その意味では決定論的なプロセスである」。つまりそこに揺らぎとかいい加減さとかは存在しないことになってしまう。しかし実はそこには膨大な揺らぎが存在するということをこれから私は主張したいのだ。
そこでカレーとハヤシライスの例に戻る。私たちはどちらかを選ぶように迫られる。何しろ訪れたのはどうしようもないほどにシンプルなレストランで、メニューには、「1.カレー、2.ハヤシ、以上。」としか書いておらず、あとはサンプルの写真が載っているだけだ。その時あなたは1,2のどちらかを選択する際、どうするだろうか? あなたはいちおうそれらを頭の中で比べるだろう。おそらく一つ一つ思い浮かべることもできるが、そんなときには神経ネットワークにダーウィニズムはあまり働かない。「カレーの方は総合評価5だ。そしてハヤシは3.5くらいだろう。だからカレーのほうを選ぶ」など理論的な思考を行っているだけであり、実際の陣取り合戦はおそらく起きないのだ。
しかしその選択を一瞬で行っている時は、1,2の可能性を同時に比べており、二つの候補のうち、例えばカレーがそのテリトリーを奪ってしまうのだ。それが無意識的に行われていればいるほど、そこでの決定はダーウィン的なのだ。ではどちらが選ばれるのかについての規則はないのか、ということになり、先ほどの報酬系の話が出てきた。報酬系により訴える選択肢がグングン陣地を広げていくのではないか、という仮説である。
しかし報酬系はダーウィニズムが働く際の一つの駆動ファクターでしかない。おそらくそれ以外の、偶発的、恣意的、あるいは明確な理由のない選択も多く行われていく。それも瞬時のことなのだ。そうでないと人間が日常生活で行っている膨大な情報処理に追いつかない。そしてそこに揺らぎの問題が介在している。
ここにもう一つのわかりやすい例を挙げよう。言葉を話すということだ。私たちが用意された原稿を読むのではなく、言葉を選択しながら話すとき、おそらくかなり高速で頭の中で文章が構成されていく。発話される文章は、そのほんの0.5秒前には脳の中で既に出来上がっていることだろう。さもないと流暢な発話は不可能だ。ではいったいどのようにして構成されるのか。それはおそらくほとんどが無意識レベルでの仕事である。するとそこで適当な単語が選ばれるプロセスはダーウィニズムを他に考えられない。
たとえば私は「ほんの0.5秒」と先ほど表現した。その時「ほんの」が出てくるのに一瞬時間がかかったことを覚えている。それは「わずか」でも「たった」でもよかったのであるが、選ばれたのは「ほんの」であった。その瞬間私の大脳皮質のある場所(ブローカ野?)では六角形のタイルの間の争奪戦が起き、結果として「たった」が優勢となり決着がついたということになる。