2019年10月25日金曜日

アトラクター 推敲 1


アトラクターと揺らぎ

揺らぎを論じる上でアトラクターの概念はとても重要になってくる。といってもアトラクターという概念がつかめないとピンとこない。大体アトラクターって何だ! 
そこでアトラクターの意味や面白さが伝わるまでに皆さんに思い描いていただきたいのは、台風である。最初にこの部分を書いていた時にお盆休みに突入していた日本列島は大騒ぎだった。超大型の台風10号が日本に接近し、2019815日には山陽新幹線が全面的に運休を計画した。その後10月に来た19号など、1012日は一日東海道新幹線が運休したのである!なんというはた迷惑。しかしいくらテクノロジーの進んだ現代社会でも、南方海上に数日前に発展した、その頃はまだ小さな渦巻だったものがどんどん発達して日本国民を混乱に巻き起こすようになることを決して食い止めることは出来ない。太平洋上に巨大扇風機を何万台持って行って空気をかき回しても、台風10号が周りの大気に影響力を及ぼしてぐんぐん自分の渦巻きに巻き込んでいくのをとても阻止できない。何しろ北半球の太平洋領域の空気はみなこの大渦巻を維持し、さらに発達させるように動いているからだ。誰もこれを止められない。・・・・・ これがアトラクターの現れ方だ。
しかしこれほどすごい力を及ぼす台風なのに、その始まりは案外よくわからない。一つ確かなことは太平洋上のどこかで渦巻らしきものが生まれ、おそらくいくつかの渦巻きも同様にあったのだろう。(台風が発生する南太平洋上のレーダーを見ると、いかにも何かつむじ風のようなものがいくつも起きていそうな複雑な雲の動きを見ることが出来る)
にっくき台風10号の雲の様子(情報通信研究機構「ひまわりリアルタイムWeb814日より)← 省略
とにかくいくつかの候補の中から一つだけがグングン大きくなっていく。この話はどこかで聞いたことはないだろうか? そう、冪乗則で見た地震の起き方などである。
もしアトラクターが冪乗則に似た仕組みで成立するとしたら、おそらくそれが生じる必然性も理由もないということになる。ただそれは生じるべくして生じたとしか言いようがない。すると皆さんの次のような考えはあまり意味がないことになる。
「もし台風10号が発生しなくても、どうせ別の台風が同じように発生していただろう。」
ところがそれは誰にもわからないし、おそらくそうではないところがアトラクターなのだ。台風19号が発生する前は、南太平洋の赤道近くには、将来台風になるかもしれない乱流、ないしは台風の卵が沢山あったのであろう。でもそのうちどれかが大物の台風に化けるか、あるいはそれらのなかから台風に化けるものがそもそも存在するのか、ということは不明であったはずである。すると「もし台風19号が出来なかったら?」という発想自体に意味がない。それはちょうど「関東大震災がもし起きなかったら?」という仮定に意味がないのと同じである。
それとも皆さんはこう思うだろうか?「いや、もし関東大震災が起きなかったとしても、似たような大震災はきっと起きていたはずである。」しかしもし関東大震災が起きなかったら、おそらくその前後には何も起こらなかったはずである。なぜなら大きな地震であればあるほどレアだからだ。もし起きなかったとしたら「代わり」が起きていた可能性は非常に低かったはずだ。ちょうど宝くじで大当たりが出た時、もしそれが外れていたなら、おそらくその前後に大当たりなどでなかったであろうということと同じだ。
同じようなことは、例えば第一次大戦とか第二次大戦のような、世界中を巻き込んだ大戦争についてにも言える。後になってから私たちは、「あれは時代を反映していたのだ」第一次大戦が起きなくても、必ずや同じような戦争は起きていたはずだ。」と思うかもしれないが、しかしそうではない。Buchanan ”Ubiquity” に書かれていたことを思い出していただきたい。その本の冒頭には、第一次大戦が1914628日の午前11時にある車の運転手が犯したちょっとした間違いが戦争の勃発につながった様子が描かれている。私はこちらの方を信じるし、そうだとしたらあの大戦も全く偶発的に生じたということになる。
私がこう述べたことについては容易に反論が予想される。「でも台風が発生するような状況がそこには存在していたはずだし、ある意味では台風19号の出現は、必然的なものだったのではないか?」同様の議論は地震についても言えることだろう。「あの時はまさにプレートのひずみが極致に達していたのであり、まさに関東大震災が起きたあの地点こそが、それが最大だったはずだ。」
ところが、である。ではなぜ台風や地震の発生は、結局いつまでたっても予測不可能なのだろうか?それは地殻のひずみを計測するような正確な危機が存在しないからだろうか? そう考えることは「ラプラスの悪魔」の時代に引き戻されることである。全知の悪魔がいたとしたら、将来何が起きるかはことごとく予想できるはずだ。でも私たちはすでにそうでないことを知っているのである。
もちろんテクノロジーの発展により「ある程度の」予測は可能になってきている。しかしそれはちょうど株価の揺らぎの具合を見て、明日の株価を予想しようとするのと似ている。大体は測出来るのだ。でもそれ以上ではない。それまで揺らぎの動きさえぼやけた形でしか見えなかったのなら、揺らぎの曲線がはっきり見えてきたのであれば、その予測はある程度当るようになるだろう。揺らぎを見ていると、あす、あさってあたりの株価の予想は大体付く。少なくとも株価の揺らぎの曲線すら見えなかったころに比べれば。でも本当の予測は出来ない。それは最近のコンピューターの計算能力の向上による天気予報の精度の向上と似ている。決してある程度以上には予測は出来ないのだ。 
そこで一転目を世界の情勢に向けてみる。日本と韓国が対立し、韓国では反日運動がかなりの盛り上がりを見せている。その勢いは簡単なことでは止められないし、勢いが勢いを生んで大きなうねりになっていくのを止められそうにない。これもまた「アトラクター的」ではないか。