2019年8月27日火曜日

書くことと精神分析 推敲 3


博論の主要なステップとしての「鉱脈に触れた論文」
それまでまとまった文章を書いた経験のない人が、博士論文の執筆をいきなり目指すとしたら、それは登山経験の浅い人がいきなり高い山を攻略しようとするようなものである。まずは経験者と一緒に、あるいはそのアドバイスをもとに標高の低い山を登ることで体力と自信をつける必要があるだろう。ただし博士課程に進んだ人の多くは、すでに学部の卒業論文と大学院の修士論文を提出して受理されたはずである。そしてもし卒論や修論が十分な内容を伴い、しかもそこに一貫したテーマが流れ、それを継承発展させる形で博士論文を書くという計画であるならば、実はそれは博論を書くための王道といってもいいだろう。ある意味では博論執筆の最短コースにあるといってもいい。しかし多くの場合、卒論の段階でその後の理論的な発展を予想するような骨のある内容のあるものを執筆することは難しいだろう。そこでまずは博論のテーマを卒論や修論で執筆したものとは別の、新たなテーマで書くという場合について論じたい。
私の考える博士論文執筆の最初のステップ、すなわち先ほど「標高の低い山」と称したものは、いわゆる原著論文や研究論文、ないしは査読付きの研究論文を書くことである。できれば査読付きの単著の原著論文という形で博論の核となる部分をまず作りたいものだ。それを書くことは博論執筆の決め手といえるだろう。ただしそのような単著論文を書くことが難しい場合は、まずはトレーニングとして査読なし論文や症例報告などにチャレンジしてみることが勧められる。骨のある内容のあるものを執筆することはむずかしいだろう。
そこで博論の核となるべき単著論文の執筆についてであるが、それは多産的で多くの可能性を持った論文であることが望まれる。あるaというテーマについて論じているが、筆者の中では、あるいは読者の側にも関連するbというテーマが浮かび上がり、今度はそれについているうちにcdというテーマが浮かび上がるような論文。そしてその全体がAという大きなテーマに収斂しそうな気配があれば、しめたものである。そしてaが専門誌に掲載されるだけの質を持っていることを確認したうえで、その続編となるようなbというテーマに関する論文を書きながら、「そうか、このbという論文は、Aという博論のもう一つの章になるのだ」という感覚をつかむことが出来たら、幻の博士論文Aの準備は着々と整っていることになるだろう。その場合はaはある鉱脈に触れていたという事になる。
鉱脈に触れた論文の場合、そこに触れたいけれど触れられなかったというテーマがそこここにあるはずだ。この論文はここを掘ったが、あそこの尾根までつながっているかもしれない、とかここまで掘り進んで体力が尽きたけれど、次回はその先まで掘り進んでみようという事になる。つまり続編を書きたくなる、あるいはその論文で続編を予告するという事になるだろう。おそらくそのような体験があり、初めて人は博士論文を書け、そして著書を書くようになるのだと思う。
ちなみにこの種論文が専門誌に発表されることは実はとても重要である。というのもその論文のモチーフや、それが指し示す鉱脈は、ひょっとしたら幻かも知れず、荒唐無稽だったりユニークすぎたりして博論のテーマとしてはふさわしくないかもしれないからだ。だからそれがテーマとして学術的に受け入れられるという担保が必要になる。もちろん指導教官がそれを保障してくれるのであればいいであろうが、より確かなことは、この最初の滑り出しがしっかりがその専門分野の学問的な土壌に根を下ろせているかということなのだ。
私はこの鉱脈につながるような論文を「種(たね)論文」と呼ぶことにするが、種論文とそれ以外のためにならない論文との違いをここで関げてみよう。
たとえばある論文や書籍に書かれたある理論について、その大部分については同意しているが、そのごく一部に異論を持ち、それをテーマにした論文を書いたとする。それはそのテーマでおそらく完結してしまい、それ以上の発展性を持たないであろう。つまりそのテーマ自身はあまり根幹部分となり得ないため、種論文にはならないのである。またある一人の患者さんとの特殊で興味深い体験を持ったとしたら、それは症例報告としては意味を持つであろうが、それで完結していれば種論文とは言えない。ただしその症例報告から出発し、これまではあまり注目されてはいないものの、長い間見過ごされていた一連の疾患が再発見されるきっかけとなる報告なら、これは図らずも鉱脈を掘り当てたことになり、立派な種論文に化けることもあるだろう。
さてこの種論文を書くことについて、以下に私が体験した例を通して説明したい。ただし私の例のレベルは決して高いものとはいえず、披露するのはお恥ずかしい限りの内容であることを始めにお断りしておきたい。私がこれまでに述べたことの実例になっていないかもしれず、お耳汚しになってしまわないことを願いたい。← 恥ずかしいから省略。