2016年5月18日水曜日

射幸心 ③

負けるほど熱くなる

 ところで射幸心がなぜこれほど問題になるのだろうか?それはこれを刺激することで人は容易に身を持ち崩してしまうからだ。その意味で射幸心は麻薬の依存性と酷似している。依存性は、それにより人がますます薬物にはまり、身も心もボロボロにしてしまう力を持つ。射幸心もそれと同じ意味を持つ。そこでは人は射幸心により賭け事にますます入れ込む、ということでは済まない。負ければ負けるほど入れ込む、という構図を持つ。麻薬との例えで言えば、吸っている麻薬がまずければまずいほどますます吸いたくなるという事情になる。そこが異常なので、射幸心が場合によっては麻薬の依存性よりも恐ろしいと考えられる理由なのである。しかしそれにしても、負ければ負けるほど・・・とはどのような意味か。それを以下に説明しよう。
 ギャンブル依存に関する最近の脳科学的な知見は、非常に重要な情報を与えてくれる。その一つは、ギャンブラーたちの多くは、お金を儲けるために賭け事に夢中になるのではない、ということである。いや、これは正確な言い方ではないかもしれない。彼らはもちろん「一攫千金のために、大当たりを出すためにパチンコ台に向かっているんです」というだろう。しかし彼らは負けた時も、あるいはニヤミスの時も、場合によっては大当たり以上に脳内の報酬系にドーパミンが出ることで、賭け事に夢中になるというのだ。それを Loss chasing (負けの追跡)と呼ぶという。だから正確な言い方をするならば、「ギャンブル依存の人は負けることに興奮する」のだ。結局はお金が儲かるかが不確かであればあるほど賭け事に夢中になるというわけである。
 ここで私は注意深く、「興奮する」という言い方をした。記述に正確を期すためである。実は負けることが快感である、と書こうとしたが、それでは正確ではないと思いとどまったのだ。なぜならパチンコ台であともう少しのところで大負けした人に「気持ちイイですか?」と尋ねても、「馬鹿もの!」と怒鳴り返されるだけだろうからだ。そう、その時は快感とは言い切れない体験をしている。しかしハマっている。ますます金をつぎ込もうとする。
私が別の項目で説明した、like want との違いを思い出していただきたい。好き like ではなくとも求めてしまう want のが、報酬系の妙なのである。パチンコの台のことを思い出そう。釘に細工をされた台では、パチンカーは何度も「一般口」に裏切られてつらい思いをするはずだ。でもますます「中央口」に向かって玉をはじく。一般口に入らない体験が、より彼をアツくする。「いつ出るかはわからないが出ると大きい」が一番人を興奮させるのだ。
 ある学者はこれには、系統発生的な意味があるという。哺乳類でも鳥類でも、餌が予想に反して出てくるような仕掛けにより夢中になるという。総じて餌の出る量が、予想できる仕掛けより低いとしても、動物はそちらを選ぶという。そしてもともとこの賭け事好きの個体が、生き残ってきたのだ、という仮説を立てる学者もいるという。Front. Behav. Neurosci., 02 December 2013 | http://dx.doi.org/10.3389/fnbeh.2013.00182 What motivates gambling behavior? Insight into dopamine's role