2016年4月10日日曜日

嘘②

虚言(きょげん)・・・・。いやな言葉、響きである。人を欺くことを目的とした嘘。しかし簡単に人を欺くようにはとても思えないような嘘も存在する。本当に欺きたければ別のつき方もありそうに思えるような嘘。本当にスタップ細胞が存在しないと仮定したなら(私もしつこいところがある)、小保方氏の虚言は、その類のものである。
本書でも(ナンのことだ?)何度も触れたことだが、人が同じ行動を繰り返す場合、大きく分けて二つの可能性がある。ひとつはそれが快感を生むから(impulsive behavior)。もうひとつはそれが苦痛(不安)を回避するから(compulsive behavior)。私は小保方氏がスタップ細胞の実在を繰り返して主張することで何らかの不安を回避しているという印象を受けない。いや、その可能性は否定しないながらも、彼女がそれにより回避しているものが思いつかない。嘘をついているという事実だろうか?でもそれならむしろ逆効果ということになる。嘘をついていることを隠すために別の嘘をつく、ということならよく人はそれをする。「嘘を嘘で塗り固める」、というヤツだ。彼女ならたとえば「私は○○さんに唆されたんです」とか「××さんに嘘のデータを渡されたんです」、とか。でも彼女は実際には「スタップ細胞はあります」を繰り返すか、せいぜい「もう200回成功しました」など、ますます墓穴を掘るだけの事を言っている。あるいは誰かに脅され、うそをつく事を強要されているとか?まさか・・・。
やはり可能性は、小保方さんはスタップ細胞を作ったという考え、ファンタジーに浸り、快感を覚えていたと考えるしかないだろう。私たちは小保方さんの記者会見の二月前の、晴れがましい表情を忘れないだろう。シャッターを浴びて満面の笑みを浮かべていた彼女。49日の、まったく笑顔の消えた、沈痛な面持ちの彼女とは大きな違いである。彼女はスタップ細胞を作ったリケ女の鏡として脚光を浴び、とてもうれしかったのだろう。彼女がスタップ細胞を架空のものとして認めることはその快感を放棄することになる。どうしてそれが出来ただろうか?少なくとも彼女にはそれが不可能だったのだ。
もちろん私は読者の次の様な声をすぐに聞くだろう。「でも嘘がばれることの恐ろしさはなかったのでしょうか?普通の人間ならあのような場合に晴れがましい顔をして記者会見をすることなど出来ないのではないでしょうか?」

この問題には少し精神医学的な議論が必要だろう。といっても精神医学で人の心を説明しつくすことなど出来ない。おおよそこんな風に説明できるだろう、という大雑把な議論しか出来ない。そう断った上で言えば、彼女の心には一種のスプリッティングが生じていたであろうということだ。彼女はファンタジーに浸っているときは、通常の判断力や理性を保留することが出来たのであろう。これは彼女が妄想をもっていたということではない。妄想の場合には、それに伴う言動の異常さに、周囲がすぐに気がつくであろう。自分の言動の真実さを信じているために、その虚偽性が露見するのを避けるための努力を行わないからだ。しかし小保方氏の場合には、極めて巧妙にデータを捏造していたことになる。その上でその捏造データを真実のものとするファンタジーを作り上げてそれに浸ったのである。しかし同時に現実にはそれが存在しないことをわかっていたはずである。その上で、ファンタジーと現実の二つの世界を行き来できたことになる。それがスプリッティングと私が表現している状態である。