2015年11月22日日曜日

関係精神分析のゆくえ(6)

フロイトの擁護という論調に移ってきているが、そこでロセインという人の論文のことが取り上げられている。彼の言い分は、フロイトもまた関係論的だった、という話である。少し読んでみよう。(Lothane, Z. (2003). What Did Freud say About Persons and Relations? Psychoanalytic Psychology, 20(4), 609-617.
彼の主張の一つは、フロイトは実はサリバニアン、つまり対人関係の人であったという。ただ彼は対人関係という言葉を知らなかっただけだ、と言う。これも結局は「フロイトは実は偉かった、正しかった」と言う文脈での議論である。実はフロイトは理論よりも現実を重んじる人であったことに、ロセインは注意を向ける。フロイトは次のようなシャルコーの言葉が好きだった。「la théorie c'est bon, mais ça n'empêche d'exister”—theory is fine, but real things exist.理論は理論でいいのだが、それとは別に現実は存在する。」
そして実践の場では、フロイトが関係性による症状の形成という考えを持っていたことは、様々な場面からうかがえるという。著者は1933年の時点で、対人間のinterpersonal という言葉はオックスフォード辞典にはなかったという。だからフロイトは自分をそう呼べなかっただけだ、という。そしてロセインは言う。「サリバンはよかったのだ。彼は治療のメソッドを明らかにした。それは関与しながらの観察であり、患者に対して共感と直感を用いて接することを主張したのだ。」
フロイトは「ヒステリー研究」の序文で書いている。「ある患者は、彼の上司から虐待を受けたことにより倒れ、そのあと怒りの塊となったが言葉を失っていた。彼は実際の病気が始まった時のシーンを再現していた。そのシーンとは、裁判所で虐待に対する賠償が得られないときであった」。ここに見られるのは、その人の問題は精神内界の問題でもあり、同時に対人関係の問題でもある、というフロイトの理解である。
それからロセインは、フロイトのリビドー論を対人関係と全く異なるものとして考えるのは誤りであるという。そもそもフロイトにとっての対象とは、愛情対象ove-object, Liebesobjekt だった。対象、という概念の中にすでに情緒的な関係性は含まれていたはずだ、というのである。うーん、何だかそんな気になってきた。やっぱりフロイトはすごかった!