2015年11月14日土曜日

最近の転換性障害の動向 投稿目前 (1)


抄録)転換性障害は、DSM-5においても解離性障害とは異なる疾患として分類されたが、診断基準には変化が見られた。それは発症の際に心因を必ずしも必要とせず、また症状が作為に基づくものではないことという断り書きも削除された。これらの診断基準上の変更は、転換性障害に対して歴史的に向けられてきた偏見や誤解を解消するという意味を有していた。ただし転換性障害の原因は依然として不明なままで、フロイトに由来する転換という名称も依然として残っている。また臨床場面ではさまざまな偏見や誤解が依然として多く見られる。

最初に本稿で用いる用語についてであるが、転換性障害 conversion disorder 2014年に発表されたDSM-5日本語版では、「転換性障害・変換症」という呼称を得ている。しかし本稿では従来の呼び方である「転換性障害」という呼び方を踏襲したい。
転換性障害(以下、CDと表記する)は、随意運動または感覚機能の障害による症状が見られ、かつ神経疾患ないしは医学的疾患としての所見を欠いた状態として通常は定義される。CD 1970年代までは、ヒステリーおよびヒステリー神経症(DSM,DSM-II)と呼ばれていたものの一部をさす。ヒステリー神経症のうち運動や感覚の異常を主たる症状として呈し、転換性ヒステリーと呼ばれていたものが、DSM-III において身体表現性障害というカテゴリーのもとCDして掲げられた。その後1990年に公になったICD-10でもヒステリーの名は消え、臨床診断としてヒステリーの呼称は過去のものとなったのである。ただし現在も、CD を広義の解離性障害に含めるという立場(DSM5およびそれ以前のDSMに見られる)と、それとは独立した病態として捉えるという立場(ICD10に見られる)が併存した状態である。 
DSM-5によるCD の理解
CD の昨今の動向を知る上で、DSM-5 における扱われ方をまず検証する必要がある。それは米国を中心にした欧米圏における多くの臨床家の検証の結果やそれに基づくコンセンサスを反映しているとみなせるからだ。そしてそこでDSM-IV-TRに加えられた変更は、おおむね理にかなったものと筆者は考えている。


DSM-IV-TRによれば、転換性障害は、
A.神経疾患または他の一般身体疾患を示唆する,随意運動機能または感覚機能を損なうひとつまたはそれ以上の症状または欠陥。
B.症状または欠陥の始まりまたは悪化に先立って葛藤や他のストレス因子が存在しており,心理的要因が関連していると判断される。
C.
その症状または欠陥は(虚偽性障害または詐病のように)意図的に作り出されたりねつ造されたりしたものではない。
D.
その症状または欠陥は,適切な検索を行っても,一般身体疾患によっても,または物質の直接的な作用としても,または文化的に容認される行動または体験としても,十分に説明できない
E.
その症状または欠陥は,著しい苦痛,または社会的,職業的,または他の重要な領域の機能における障害を引き起こしている。または,医学的評価を受けるのが妥当である.
DSM-5 では
A.ひとつまたはそれ以上の随意運動,または感覚機能の変化の症状
B.その症状と,認められる神経疾患または医学的疾患とが適合しないことを裏づける臨床的所見がある.
C.その症状または欠損は,他の医学的疾患や精神疾患ではうまく説明されない.
D.その症状または欠損は,臨床的に意味のある苦痛,または社会的,職業的, または他の重要な領域における機能の障害を
引き起こしている、または医学的な評価が必要である。

(表:DSM-IV-TRおよびDSM-5に掲げられる転換性障害の診断基準の骨子)



まず診断基準であるが、DSM5 では CD 基本的に随意運動、感覚機能の異
常が存在すること(A)、身体、神経疾患としての所見がないこと(B,C)の二つが示されているのみである。これはDSM-IV-TR までの同障害の定義と大きく異なる。なぜなら後者では、それら以外にも、心因が関係していること(B)、作為的ではないこと(C)の二つが掲げられていたからだ。さらに診断基準の説明文においては、「いわゆる『見事なる無関心 la belle indifference 』も診断の根拠にならない」とされているのだ。このDSMの改訂の意味は非常に大きい。
 もしこのDSM-5 における CD の診断基準を妥当なものとするならば、従来の診断基準はいかに同障害が誤解を受けていたかを示すことにもなろう。かつてはヒステリーとは、あるトラウマないしはストレスにみちた出来事、すなわち心因により発症すると考えられた。そしてそこには何らかの疾病利得が感じられ、どこかで当人が症状を意図的に生み出しているというニュアンスがあり、そのためか当人はさほど動揺を見せず、むしろ症状に対して無関心であるという印象があった。DSM-IVに見られた「作為的でないこと(C)」とは、診断基準として本来あらゆる精神疾患について当てはまることであるが、ことさら CD に関してそれが示されていたのは、そもそも同障害はその信憑性を疑ってかかるように、というメッセージであったと考えられなくもない。また心因の存在(B) についても、もし逆にそれが見つからないのであれば、そこに疾病利得を目的とした作為の存在を疑い、安易に CD 診断すべきでないという警告も担っていた。
実はこのようなCD に対する態度の見直しは、2010年に米国の代表的な学会誌において識者により明示されている(Stone, et al, 2010)。そこではDSM-IV-TRに見られるCD の診断基準の不備に触れ、「[診断基準が示すような症状の]捏造がないことを証明することはそもそも不可能であり、心因という診断基準は、診断的に信頼性がなく、予後をうらなうものでもない」、と記されている。

概念と名称について

 CD
の「転換conversion」という概念は、最近の田中の総説(田中,2,014)にあるように、Sigmund Freud による精神分析的な概念に由来する。Freud は「防衛‐神経精神病」(1894)の中で、ヒステリーが「和解しない表象を無害なものにすることは、興奮全量を身体的なものに置き換えた結果としてできる」と述べ、この置き換えを「転換 Konversion」と呼ぶことを提案した。すなわち心的に受け入れがたいものとして抑圧されたものが、そのエネルギー部分を身体症状として置き換えたものがCD であるという理解となる。この100年以上前の概念がいまだに用いられていることは、Freud の理論がその妥当性のために継承されてきたというよりは、CD という病態そのものがいまだに十分に把握できていないため、従来の呼称を継承せざるを得なかったという事情がうかがわれる。それだけに CD に対して「機能性神経症状症」という、長々しいがより記述的な呼称が同時に DSM-5 において提案されたことにも意味が大きい。
このフロイトの転換の概念には、心的に受け入れがたいものの抑圧、という力動的なプロセスが含意されているものの、その力動の誘因となるような心因そのものが、上述のDSM-5 において診断基準から除外されることになったために、そこに矛盾が生じることになる。実際にCD の患者において、心因として明らかなものを見出すことは困難である場合も少なくない。そのことは転換症状が一次、二次疾病利得を獲得する傾向とは別の問題として考えることが出来よう。というのも疾病利得自体は、そのほかの精神疾患についても身体疾患でも生じる可能性はいくらでもあるからだ。実際身体疾患の症状の訴えと慢性疾患で疾病利得には明確な正の相関関係が見られると報告されている(van Egmond, J.J. 2005)。

CD の分類の問題

CD ICD-10 (World Health Organization 1992)では解離性障害の中に分類される一方では、DSMにおいては解離とは別個に記載されているという問題は、従来種々の議論を呼んでいた。この件がDSM-5 によってどのように扱われているかについては、多少なりともここで論じておくことに意味があるだろう。結論から言えば、今回のDSM-5でも結局はCD は解離と一緒に分類されるなることはなかった。DSMICD の診断区分上の齟齬は解消されなかったのである。これに関して一部の識者からは、CDを解離性障害に組み込むべきであるという意見が聞かれた(JC Nemiah, JC, 1993) Brown (2007) によれば、約三分の一から半数のCD には解離症状が見られたとされ、もっとも最近の研究でも同様の結果が報告されているYayla S, et al, 2015

CD の約三分の一に解離症状がみられるというこれらのデータは何を示しているのであろうか。これらの研究が示している可能性のひとつは、解離性障害とCD は同一の疾患の別の表現形態というよりは、同類の、しかし性質の異なる病理であるという可能性もある。これらの両方を含めて解離と呼ぶか、あるいは一方を解離、もう一方をCD と呼び続けるべきかについてはさまざまな議論があろう。しかし最近の「構造論的解離」理論にみられるような分類、すなわち精神面に現れた解離症状(精神表現性解離)と、身体面に現れた解離症状(身体表現性解離)という分類が妥当と考える識者も多い(van der Hart, 2006)。またこの構造的解離理論に従った場合は、(狭義の)解離性障害とCD を安易に混同ないしは同一視するという問題を回避することにもつながるといえよう。