ということで次に続けるとなると、すでに書いたもののコピペを部分的に使用することになる。何しろサリバンのことはすでにいろいろ書いたからね。
現代の精神分析における解離理論をけん引するドンネル・スターン先生は言う。「サリバンは古典的な分析家と違っていた。彼は欲動と防衛の衝突という観点ではなく、重要な他者との関係で実際に起きたことwhat had actually happened in
relationships with significant othersを見据えていた」。そう、やはりフロイト理論は欲動論との結びつきを強調し過ぎが仇になったわけだ。ただしこのスターンの提言について、「実際に起きたこと」ではなく「実際に体験したこと」とすべきであろう。というのもすべては患者が何を実際に体験したか(何が実際に起きたか、ではなく)にかかっているからである。それが現代的な精神分析の見方である。
「サリバンにとっては、一番の防衛は、フロイトの抑圧ではなく、解離だった。なぜなら一番回避しなくてはならないのは、過去のトラウマの再来だからだ。」(スターン) このように考えると、対人関係学派=トラウマに基づいた理論=解離に基づいた理論という図式がピッタリくる。どうだろう。わが国では「対人関係学派は1960~70年代にはやった、時代遅れの理論」とみられがちだ(実は私もひそかにそう思っていたところがある。白状しよう。) が、全然違うことになる。これほど時代の最先端を行っている理論はない、ということだ。サリバンは半世紀以上時代を先取りしていたということができるだろうか。
サリバンの解離理論
サリバンは解離された自己の在り方を表現し、理論化した。彼の「よい自分 good me」,「悪い自分 bad
me」そしてこの「自分でない自分」という概念化にそれが表れている。最初の二つはおそらく多くの人が日常的に体験しているであろう。自分という存在に対する意識が、二つの対照的な自己イメージに分極化するという体験は、程度の差こそあれ、私たちの多くにとってなじみ深いはずである。自分の力を順当に発揮でき、「自分は結構やれるじゃないか?」と思えるときのセルフイメージ(「よい自分」)と「自分って全然だめだな」と思う時のセルフイメージ(「悪い自分」)とは、しばしば他人の評価により反転する形で体験されることがある。
それに比べて「自分でない自分」は、むしろ非日常的でしばしば病的な形で現れる。その時の自分があたかも別の世界に逃げ込んでいるような状態、苦痛や恐怖や屈辱のために心をマヒさせるような形でしか、その体験をやり過ごす事が出来ないような状況において出現するのだ。さらに具体的に彼の言葉を追うならば、彼は「自分でない自分」は「深刻な悪夢や精神病的な状態でしか直接体験できず、解離状態としてしか観察されない」と考えた(Sullivan, 1953)。この時の体験は、それが深刻な苦痛が伴う為に決して学習されず、またより原始的な心性のレベル(彼のいう「プロトタキシック」、「パラタキシック」なレベル)でしか体験されないとしたのである。
現在では、このサリバンの「自分でない自分」の概念は、トラウマや解離の文脈で再評価されるようになってきている。精神医学、心理学においてトラウマによる心の病理が再認識され、臨床家の注意が向けられるようになったのはここ30年ほどのことである。30年というと非常に長いという印象を与えるかもしれないが、その中で精神医学的、精神分析な考え方が徐々に変革を迫られていることを考えると、その動きは激動に近い。それを考えると、サリバンの治療態度はきわめて患者の側に立った共感的な態度ということが出来る。そしてそれで思い出すのが、フェレンツィなのである。サリバンが米国に訪れたフェレンツィの話を耳にし、自分に近い存在と感じて弟子のクララ・トンプソンをブタペストに遣ったのもきわめて合点がいくのである。
それに比べて「自分でない自分」は、むしろ非日常的でしばしば病的な形で現れる。その時の自分があたかも別の世界に逃げ込んでいるような状態、苦痛や恐怖や屈辱のために心をマヒさせるような形でしか、その体験をやり過ごす事が出来ないような状況において出現するのだ。さらに具体的に彼の言葉を追うならば、彼は「自分でない自分」は「深刻な悪夢や精神病的な状態でしか直接体験できず、解離状態としてしか観察されない」と考えた(Sullivan, 1953)。この時の体験は、それが深刻な苦痛が伴う為に決して学習されず、またより原始的な心性のレベル(彼のいう「プロトタキシック」、「パラタキシック」なレベル)でしか体験されないとしたのである。
現在では、このサリバンの「自分でない自分」の概念は、トラウマや解離の文脈で再評価されるようになってきている。精神医学、心理学においてトラウマによる心の病理が再認識され、臨床家の注意が向けられるようになったのはここ30年ほどのことである。30年というと非常に長いという印象を与えるかもしれないが、その中で精神医学的、精神分析な考え方が徐々に変革を迫られていることを考えると、その動きは激動に近い。それを考えると、サリバンの治療態度はきわめて患者の側に立った共感的な態度ということが出来る。そしてそれで思い出すのが、フェレンツィなのである。サリバンが米国に訪れたフェレンツィの話を耳にし、自分に近い存在と感じて弟子のクララ・トンプソンをブタペストに遣ったのもきわめて合点がいくのである。