2013年9月16日月曜日

トラウマ記憶の科学(13)


このPFAに繰り返しでてくるのが、次の表現である。
「詳細な描写を求めることは避けてください。」 
 ただし私たち治療者はこのことをトラウマを受けて1年以上経った患者さんに言うだろうか?それではそもそもエクスポージャー療法が成り立たない。常識的に私たちが知っているのは、時間がたったトラウマは、それを語らせることでそれが深刻な形でよみがえると言うことは普通はない、と言うことだ。ここで「普通は」と断ったのは意味がないことではない。つらい体験を語ることは、その人の気持ちを暗くし、絶望的な気持ちをよみがえらせる。治療場面でそのような状況に遭遇するのは治療者にも胸の痛む体験だ。そのようなセッションのあと何時間かはそのような気持ちを引きずるのではないか、と懸念する。おそらくそのようなことも例外的には起きるだろう。端的に言って、昔の記憶をたずねることで患者さんにフラッシュバックが起きたとしたら、それは治療者としては避けるべき事態であった、不適切な介入だったという可能性もある。
 しかし通常は、その話題から離れることで患者さんの表情も戻っていく。時間が経った記憶は基本的にはその深刻さを悪化させることはないのだ。ただしその記憶が形成された直後は事情が違う。
 ではいつまでがその「直後」と言えるのだろうか?おそらく定説はないのであろう。可能性としてはとりあえず二つある。一つは数日間。この期間は海馬がLTPという状態を経て長期記憶を形成するまでの機関で、それ以降は海馬はそれを大脳皮質の各場所に手渡して自分を消去してしまう。つまりこの器官は記憶はまだ海馬にとどまっている状態である。海馬とは面白い機関で、脳においては例外的に細胞が常に再生している。数日間で記憶を残した鋳型自体が消えていくのだ。以前にレコード盤の比喩を用いたが、トラウマを受けた直後のレコード盤は海馬の歯状核にあると言うわけである。ここのレコード盤は少し変っていて、それがレコード針でなぞられることで(つまり「詳細な描写を求めることで」)その刻印が深くなっていくという構造になるのだろう。そして其れが深ければ深いほど、数日以内に皮質に手渡す際の記憶の鮮明さや強度も高まると言うわけである。