2011年5月9日月曜日

症例提示の仕方 (2)

30分の診断面接は、それ自体がドラマという感じであるが、次の30分、すなわち症例提示と質疑による口頭試問についてはどうか?これはそれを試験の場面において行うということに興味がない人の場合にはどうでもいいことであろうが(専門医試験に実地試験がない日本であれば、結局は誰も興味がない、ということになるが)症例提示は別の意味でのドラマである。診断面接が実際の生身の患者さんとのやり取りであるならば、症例提示は試験官とのやり取り、ないしは駆け引きがある。主たる違いは、診断面接と違って試験官がこちらのやりたいように時間を使わせてくれないということだ。
もちろん診断面接の場合にも、効率の悪い面接の仕方をして時間の無駄になってはいけない。しかし30分の時間をどのように進行するかは結局は自分に任されている。その意味では自由なのだ。ところが症例提示ではいきなり試験官から駄目だしや注文が来る。報告の最中でいきなりそれを中断することを求められることもある。たとえば現病歴について詳細に話しているといきなり、「ハイ、現病歴についてほかに大事なことは?」と試験官が割って入ってくる。事情を知らない報告者は「えっ、こんなに詳しく話しているのに、もっと大事なことを言い忘れていることなの?」とパニックに陥るであろうが、そうではない。試験官は「現病歴についてはわかったから、ほかに言い残すことがなければ、次に進んでください。」という意味で言っているのだ。
実は試験官は報告者の症例提示をこうやって急かせる意味がある。なぜなら報告者としては「止められない限りは、意味のある情報を伝え続けていい」という大義名分があるからだ。そうして主訴、現病歴、既往歴、社会生活歴、MSE・・・・と進んで、あっという間に27分が経ってしまったら、実は報告者の思うツボ、彼の勝ちなのである。なぜならば試験官は口頭試問の部分を3分間しか残していず、報告された内容について質問を浴びせる時間はわずかしかないのである。つまりは報告者に減点を与えるチャンスを逃すことになる。だから実際15分の報告を延ばすことで出来るだけ残りの質疑の時間を減らすことは、報告者の最大のテーマのひとつといっていい。極端な話、報告者の報告が立て板に水で、しかも理にかなっていていて口を挟む余地がない場合には、試験官は30分をすべて報告の時間に使わせて、文句なく合格にしてしまうケースすらあるほどだ。
もうお分かりのように、きちんとした報告は、それを行うだけで30分かかってもおかしくない。どうして30分の面接の内容を30分かけて報告することが出来るのか、と問われるであろうが、例の陰性所見、というのがある。「患者さんは、~ということはなかった。」というのも立派な報告だ。あるいはMSEの所見の提示にもやたらと時間がかかる。さらには患者さんの外見について説明することを考えてもいい。患者さんがどのような表情か、どのような話し方か、どのような服装か、目を合わせるのか、表情は硬いのか、それとも・・・などを報告するとそれだけでも大変な時間がかかってしまう。そこでその30分の報告を試験官はちょん切っていく。時には現病歴をゆっくり聞いたかと思えば、いきなり「じゃ、時間がないからMSEに行って頂戴」などと言われる。
ちなみにここで書いてあることは、いかにも試験対策っぽいが、実は実際の臨床でも、あるいは日常生活でも応用が出来る。人に用件を伝えるときには、だらだらせず、まず結論を言うこと。あるいは少なくとも聞いている人がわかりやすいようにまとめること。あることに時間を費やすことは、別のことに使うべき時間を無駄にしているということ。何か人生を学ぶようである。

一番恐ろしいかもしれない最後の15分

ということで私もだらだらせずに、最後の15分に移る。ここでは診断面接についての質疑が行われるが、ここで問われることは、ごく素朴で単刀直入なことが多い。試験官は「では診断的な理解について報告してください。」あるいは「では診断は?」とひとこと。それが終わると、「治療方針は?」となる。ただし前半の報告自体が突っ込みどころ満載だと、この診断と治療についての質問にいたらないことが多い。もちろんそれは好ましいことではない。
まずは診断であるが、それを問われた報告者が「エー、患者さんは不眠を訴えています。それと食欲の低下も示しています。気分の浮き沈みが・・・・」とやりだすと、試験官は苛立つ。報告者はうつ病という診断の根拠を述べようとしているのであるが、これはまた時間稼ぎに使われてしまってはたまらない。「診断は、とお聞きしているんですよ。ほかの事はいいんです。」と言われるかもしれない。ここで一番妥当なのは、いわゆる最も可能性のある診断(working diagnosis)と鑑別診断 (differential diagnoses) をまずは列挙することだ。しかもここで鑑別診断はリーゾナブルなものである限りは、数が多いほうがいいだろう。なぜなら「私はとりあえずうつを疑います。でもこれだけほかの可能性もかんがえていますよ・・・たとえばA,B,C・・・」ということで面接者の技量を示すことが出来るからだ。
ただし調子に乗っていると痛い目を見る。うつ症状を訴えるものとして、「統合失調症」を鑑別診断としてあげたとする。Post-psychotic depression ということもあるし。統合失調症まで頭の隅に入れていたということを示せるし。それに統合失調症の前駆症状として抑うつ的になることもあるし・・などと考えてのことだ。すると「ではこの症例で、統合失調症を疑わせる所見は?」と聞かれてたちまち窮してしまう。「確かに幻聴とか被害念慮もないし・・・ヒエー、そもそも患者さんに幻聴があるか聞いていなかった!!」しかしいまさらそれについてコメントも出ないし。面接者は「特にそのような所見は・・・ありませんでした。」もちろん試験官はこう聞いてくる。「統合失調症を疑わせる所見がないのに、どうしてそれを鑑別診断に入れるんですか?」
やぶ蛇とはこのことである。試験官も人間だから(というより実は試験を受けている面接者よりホンの少し先輩の医者であるというだけだ)あのいかにもうつ病の診断を満たしている患者さんに統合失調症の疑いはかけず、面接者が念のために統合失調症を除外する質問を向けていなかったことにも気がついていなかったかもしれない。ところが彼がそれを鑑別診断に加えるという余計なことをしたために、診断面接の瑕疵を浮き彫りにしてしまったことになる。過ぎたるは及ばざるが如し。うーん人生の勉強になるなあ。
ちなみに英語ではdon’t open the wrong door とかいう言い方がある。面接者が統合失調症のことについていったのは、このwrong door だったということになる。自分から開けた以上、当然試験官も入ってくる。ところがそこは実は入ってこられては困るドアだったのだ。ただしこのドア、実は面接者のほうで入っていく用意がある場合には実はあけてもいいのだ。あるいはそれをわなのように仕掛けるということもある。試験官が入ってきそうな突込みどころを仕込んでおく、そしてそれに最後の15分を使っていただくという手があるわけだ。これは高等戦術だ。そしてそんなことに興味を持つ人は誰もいないだろう(日本では)。