症例提示の最後の部分は治療方針についてである。おそらくどのような面接場面でも、試験官からこの問いが発せられないことはないだろう。
「それでこの患者さんの治療方針は?」
よくない答えの典型例:「パキシルを投与します。」
このような答え方をする報告者に対する試験官の問いかけは次のように狡猾なものになる可能性がある。
試験官「ほう、ではゾロフトではなく、パキシルである理由は?」
報告者「いえ・・・・ゾロフトでも悪くありませんが、私はあまり使ったことは・・・ハイ、ゾロフトでもいいと思います。」
試験官「それではどうしてすぐにパキシルが出てきたのですか?」
報告者「いや、その・・・・」
試験官「では、パキシルについて聞きます。何ミリを投与しますか?」
報告者「最初は10ミリ、慣れてきたら20ミリにします」
試験官「20ミリでも効かなかったらどうしますか?」
報告者「30ミリにします。」
試験官「それでも効かなかったら、40ミリにしますか?」
報告者「いや、それは・・・・」
試験官「30ミリまでは増やしても、40ミリには増やさない根拠は?」
報告者「いや、特に・・・・・」
試験官「それと20ミリで効かない時、すでに副作用が強いときでも、30ミリにしますか?」
報告者「いや、その・・・・」
試験官「先ほどは30ミリにする、とおっしゃいましたが」
報告者「ハイ、いえ、あ、ハイ」(しどろもどろ)
この報告者と試験官とのやり取りは、この種の口頭試問でおきやすい問題を反映している。この問答、報告者のパキシルについての知識をめぐるやり取りのように見えるが、実は違う。治療方針を柔軟に考えることが出来ない報告者の問題を浮き彫りにしている。パキシルについての問答になっているのは、それがwrong door だったというわけだ。いやパキシルというドアを開けていけないわけではない。ただ開ける必要もないときに開けたことが問題なのだ。
よりよい答え方は、こうである。
報告者「治療にはさまざまな方針が考えられます。生物学的な治療および社会心理的アプローチがあります。・・・・典型的な形では薬物療法と精神療法の併用が考えられます。」試験官の顔には、苛立ちが見られる場合もあれば、安心感も見られるかもしれない。苛立つのは意地悪な試験官。報告者がなかなか尻尾を出さないからである。安心感を見せるのは、まずは治療方針についての質疑が満足のいく出だしを見せたことへの満足感を表しているからだ。このような善良な試験官に当たるのは幸運である。治療方針といっても薬だけではない。薬といってもパキシルだけではない。まずは広い網を張った答え方をし、そこで報告者は柔軟でグローバルな考え方を披露するのだ。「治療にはさまざまな方針が考えられ、生物学的な治療および社会心理的アプローチがある」ということは正論中の正論である。試験官は文句の付けようがない。そしてこんな答え方をされては、いよいよ質問時間を使われてしまう。そこで苛立つのである。そしてこの報告者の「・・・・」とは、試験官の顔色を見計らっているのだ。あまり彼を苛立たせてはいけない。議論はまずは一般論から入って、徐々にフォーカスを絞っていくものだ。そこで薬物療法と精神療法、と答える。そこで試験官がすかさず、「生物学的な治療には、薬物療法しかないのですか?」と聞くかも知れない。それにはにっこり笑って「もちろんそれだけではありません。電気ショック療法も、光療法も含まれます・・・」と報告者。試験官は面白くないといって横を向いてしまうかもしれない。