2010年9月10日金曜日

恥と自己愛 その10     言いたいことが言える関係?

私が教員になってもう4年目であるが、わりと面白い体験を持っている。それは学生は本当に言いたいことが言える相手となることが多い、ということだ。ちょっと聞くと変な話かもしれないが、私にも意外な発見だ。
まあ家族はここでは除外しよう。結構いいたいことは言えている。しかし家族は言いたいことが言えてもしょうがない場合が多い。「ふーん、まあね。それで?」となる。神さんだとかえって機嫌を損ねて、日常生活がままならなくなることもある。その意味で神さんは神ではないにせよ、上司扱いかもしれない。最近どこかで入賞した川柳でこんなのがあった。「カミサンを 上司と思えば 割りきれる」 うまいうまい。だから言いたいことも言えない場合が多い。また子供に対しては、たしかに言いたいことは言える。問題はしばしば聞いてもらえないことだ。
私たちが日常生活で接するのは、社会的な文脈の中で出会った人たちばかりである。同い年だったり、職場での位が同等でも、そこには遠慮や気遣いが必要となる。すこし率直にモノを言うと、それで関係が崩れてしまうこともありうる。部下に対しても似たようなことが起きる。率直に考えを伝えることで自分の為に働いてもらえないこともあるからだ。
その点学生は違う。彼らは原則的に受身であり、教員である私たちから指導を受けることをいわば仕事としている。するとこんなことが言える。
「君たちね。ゼミ担当の私からメールがあったら、少なくとも一日以内に返事をちょうだいね。」「病院での実習に、この服装はちょっと不味いよ。」「君、『老婆心』て、こんな時は使わないんじゃない?」
服装とか言葉の使い方とかの指摘は、社会人としてのプライドが育ってきた人にはなかなか言い難いものだ。ある分析の偉い先生は、vignette (ビニェット、エピソードのこと)を「ビグネット」と間違って発音していたが、誰も恐れ多くて注意出来ないでいた。その後何年も同じ言い間違えをしていた。そんなことも起きてしまう。
私は学生、特にゼミ生を相手にしていると、自分の考えを率直に伝え、相手に恥をかかせてしまうのではないかという懸念に押しつぶされることなく誤りを指摘できる関係を持てて、実に貴重な体験を持つことができている。本当に言いたいことを言える率直な人間関係は師弟関係だったのか?・・・。しかしもちろんこれは私の方が勝手に持つ幻想であるに過ぎない。教官と学生の関係はこんなに美しくはない。たいてい学生の方は、言いたいことの何分の位置も私にはいっていないのである。しかもこの「師弟関係」は、パワハラ、モラハラがいくらでも起きうるような関係だ。つまり教員の方の自己愛のフリーランが起きうる関係なのである。

それでも教員であることの一つの楽しみは、気を抜けばパワハラが起きてしまいかねない関係で、あまり気兼ねなく本音を伝えることが出来るような経験を持つことであると思う。