2010年9月24日金曜日

治療論 その3. 治療と言っても自分に行動療法

おめでとう、10年連続200本安打。もう今年はこれでいいよ。巨人はもうこれからは無視。最初に期待させて後半の失速はひどい。ホームランばかりに頼るからだろう。本当の実力とは違う・・・などとグチを言いたくなるが、原監督もつらいだろうな。
自分に行動療法を施したら結構うまくいったということがある。というより行動療法はみな自分や家族に対しては常に試みてはおおかた失敗、ということを続けている。しつけもかなり行き当たりばったりではあるが、子供に同様の試みをしていることになる。そもそも行動療法は、その人が「はまる」ものでなければ、長続きしない。いくら行動療法の効果にエビデンスがあるといわれても、「一週間の行動の日記をつけるなって考えられない」という人はそもそも行動療法家のもとを訪れないだろう。だから行動療法とは、自分で自分に行うことが本当は一番いい、ということになる。行動療法化は、そのコーチ役ということか。
最近の自分自身の例から。私の場合、どうしても書くモティベーションがわかない依頼原稿というのが一番つらい。するとつい先送りをしてしまう。私にとって精神衛生上よくないのは、この先送りから来る漠然とした不安である。「モティベーションがわかない仕事が結構進んでいる」というのは安心感を生む。しかしその仕事はやりたくない。これはジレンマである。そこで・・・・・
ワードの文書に、仕事のリストを作る。一番先送りにしたいことを上にして、やりたくない順番に並べる。そして見出しマップを活用して、左の欄にそのリストが見えるようにしておく。多くの人がこれを使っているかと思う。
  
私の行動療法は、そのリストに従って、仕事をこなしていく。ただしどんなに少なくてもいい、ということにする。
すると仕事Aなら一ページくらいは一気に進む。(その仕事Aとは、例えばこのブログだったりする。)見出しマップで次に出てくるのは仕事B。一番書きたくない依頼論文だ。そこでそれこそ見キーワードを3つくらい思いついて、それで飽きてしまう。それでおしまい。それでいいことにする。(まったく何もしない、というのはナシ、ということに決めておく。)次の仕事Cは翻訳なので、嫌いではないのでちょっと進む。仕事Dは、机の周りの入らない書類をひとつかみゴミ箱に入れる。仕事Eはメールの返事書き、という風に。それぞれはわずかでも、仕事AからEまでとりあえずやった、という爽快感がある。次はまた仕事Aに戻る。鬼門は仕事Bだが、先ほどのキーワードを出したおかげですこしは進む・・・・・。
他愛のない方法だが、私としてはこの方法なしには何も出来ないような状態である。
ただ私がこんなことを書いても、じゃやってみよう、と試す人はごくわずか、それでうまく行ったという人はさらにわずかである。ここら辺が行動療法の難しさか。繰り返すが、行動療法とは、個人がやり方を見つけるのをアシストすること、という風にいえるかもしれない。