2026年1月17日土曜日

レマ書評 ①

レマ(Alexandra Lemma)による本書「からだは語る Minding the Body」は、新たなるヒステリー論ではないかと私は思う。(ただし本書にヒステリーという言葉は一度も出てこないが。)彼女の主張は、人の心はみな体現化(embody, 私はあえて「受肉している」という表現を提案したいが)している。心の悩みと身体的な苦痛は密接にかかわっており、思考と感情もそうであるが、それを私たちは忘れがちである。私たちはいとも簡単に心身二元論に陥るのだ。そして精神分析においても事情は同じかもしれない。しかし分析家レマはそれに異を唱える。「分析家は自らの心と身体のすべてを用いてその語りに耳を傾ける必要がある、と説く」(鍛冶Ⅰ)。(ちなみに本書のタイトル minding the body の和訳である「体は語る」というのは適切な訳であろうが、本来ならminding the body は「体に耳を傾ける」という事である。) もし私たちが忘れるとしたら、おそらく私たちは心の「住み家」としての身体を受け入れているからであろう。そしてそこに問題となるのがそれを受け入れることが出来ない多くの患者という事になる。 本書の冒頭には、ドナルドキャンベルによる丁寧な紹介文がある。本書は実はとても難しい本だがその要約を知りたければ、この紹介文が秀逸である。ただ彼の文章の意味をよく理解するためには結局レマの本文に当たるしかない。しかしここで私なりにこの紹介文をさらにまとめてみよう。つまりまとめをまたまとめるのである。 身体について キャンベルはレマの本書の特徴として、彼女の身体的逆転移の体験をあげる。言うまでもなく本書で論じられる治療者と患者のかかわりは精神―身体の全体でのそれである。そして患者の関わりの身体的な部分に対する治療者の逆転移も当然ながら身体的(身体的逆転移 somatic countertransference)である。そしてもう一つ重要な概念 embodiment 体現化も紹介される。考えてみるならば、幼少時の、言葉以前の時期に子供は母親と身体的に関わるしかない。そしてそこで私たちの心身の基礎が築かれる。「身体はあらゆる精神機能を支える、人生の基本的な事実だ」という言葉は正しい。 


2026年1月16日金曜日

「甘え」の関係の双方向性について ― 精神分析的視点から ― 2

  甘え理論と精神療法の行方

土居は、アメリカでの異文化体験から、甘えの概念のヒントを得たが、その表現は直接的でかつ批判的であった。彼はアメリカ社会において「分析的教育を受けた者でさえも、相手の甘えの願望を汲み取れない」ことに驚いたという体験を記述している。そして実はこの甘えの願望は人々にあまねく見られ、精神分析においても転移関係が常に甘えを基盤に含むという独自の理論を展開した。このように甘えを「愛着と依存を結びつける」概念と見なした土居の視点は、性的・攻撃的欲動を重視したS.フロイトよりも、「対象関係論的」であり、またD.W.ウィニコットやH.コフートらによる愛着や共感に基づく理論と強い親和性を持ち、さらにはボウルビィの示した愛着の視点の重要さと深い概念的なつながりがあったとみることが出来る。
 ちなみにこの愛着の問題は現在の精神分析においても非常に注目されているトピックと言える。近年、P.フォナギー、A.ショア、J.ホームズらによって提唱されている「愛着に基づく精神療法」では、治療者と患者との間の心の同期化(synchronization)の重要性が強調されている。特にショアは妊娠後期から生後1,2年の間の母子の間の愛着関係が、のちの精神の健康やストレスの対処の仕方に関して大きな影響を及ぼすことを示した。そしてこのような前提を踏まえた場合は、精神療法における治療関係はある種の愛着関係の再構築としてのニュアンスを持つことを示唆する。これは従来の精神分析における解釈を中心とした認知的なプロセスをその治癒機序として考える流れとは大きく異なるが、土居の甘えに基づく治療論は、その流れに先駆する理論であったことを改めて痛感させられる。そして同様の流れは米国における関係精神分析とも深いつながりを持つことになる。なぜなら関係精神分析においては、治療者と患者の人間同士の情緒的なつながりと、そこで生じる意図されざる行動(エナクトメント)への注目が重んじられ、その治療論には愛着理論や脳科学的な知見などが学際的に関与しているからである。

 

甘え理論と北山修の上下関係の理論に触れて

以上の考察を踏まえ、北山修(1999)が提起した「甘えの上下関係」について触れておきたい。北山は、甘えに関するモノグラフの中で、甘えにおいては「子どもからの愛の求め」に対して「親から与える愛」という形をとり、愛は目上から与えられるという「愛の上下関係」の観察・解釈に陥りやすいと指摘した。これに対し土居は、北山の議論は「甘え」よりもキリスト教的な平等の愛を重視していると批判した。この北山の提起した問題は十分に本発表において論じるに値すると思われる。

私の発表の立場からは、「甘え前駆期」には北山のいうような一方向性が存在すると考えられるが、本格的な甘え期に入れば、甘えは双方向的に展開されるのではないかと考える。しかしそこで十分な甘えの関係が醸成されない場合は、その甘えは「屈折した甘え」の形をとる事になるであろう。この「屈折した甘え」においては、そこでの感情は甘えに類似してはいるものの、真の相互性や愛他性の裏付けを持たないものであり、甘えの一方性もそのたぐいの感情とみなされるのではないかと考える。


2026年1月15日木曜日

「甘え」の関係の双方向性について ― 精神分析的視点から ― 1

  土居の甘え理論と相互性

甘え理論は、土居健郎が1950年代の異文化体験を契機に確立したものであり、日本文化を説明する鍵概念であると同時に、精神分析の文脈において早期の対象関係を論じるうえでも高い学問的価値を持つ。土居は「甘えの心理は人間存在に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすることである」と抽象的に表現したがそれはまた本来誰もが甘えの意味を体験的に知っているとした。そしてそれを「相手の愛をあてにして、それによりかかる」とわかり易く定義し、その「甘えの構造」(1971)で、その発想のきっかけとして自身の米国での異文化体験をあげている。ただし後の報告によると、土居の甘えに対する関心は、実は自身の幼児体験に関わる根本的な疑問に根差していたことが推察される。
 甘えの概念に関して特に土居が注意を払ったのが、それがもっぱら「受け身的」であるとの竹友からの批判への対応であった。そして「甘える」という言葉は愛されたいという受動性を含むが、それが本来自動詞であることから、そこに積極性や主体性が含まれると指摘する。そして土居はそれが「甘えることで子どもがそれを楽しんでいる」ことに表れるとした。
 私はこの甘えの性質に注目して「能動的な受動性」と表現し、甘える側が同時に相手の「甘えてほしい」という願望を満たしていることを指摘する。すなわち本来の甘えの関係は決して一方向的なものではなく、二人の人間が互いに「甘え、甘えてあげる」⇔「甘えさせ、甘えてもらう」という双方向性の関係を築く現象として捉えることが出来る。そしてこの双方向性が成立している際は、そこに相互の愛他性を含む「素直な甘え」が成立しているものとしてとらえることができると考える。

 M.バリントの primary love との関連

土居は甘えの理論を考案して後に、自らの理論が、ロンドンの分析家M.バリントが提示した早期の対象関係を表す primary love に極めて近いことを発見した。バリントのこの概念は、S.フェレンツィの「受け身的対象愛」を受けて言い換えた概念であった。土居はこの primary love を「最初の愛」ないし「根本愛」と訳し、甘えがそれと同等のものであり、ともに「対象関係を作る原動力」であるとした。これは、英国の対象関係論による捉え方、例えば「人間は出生直後からすでに対象を希求している」とする R.フェアバーンの理論と符合する一方では、S.フロイトの一次ナルシシズムやM.マーラーの「正常な自閉期」など、初期の対象不在を前提とする立場とは対照的であった。その意味で土居の甘えの理論は図らずも精神分析における一つの大きな流れ(対象関係論)と軌を一にしていたと言える。

ところで母子関係において甘えが兆し始める段階で、乳児の心に対象が存在するか否かは単純な問題ではない。乳児は対象表象を持たない段階から、生理的なケアを求めて泣き声をあげ、母親は本能的にそれに応じる。私はこの時期を「甘え前駆期」と呼ぶが、この時期には、乳児に「愛されたい」という明確な願望はまだ存在せず、母親の側から「甘えさせる」という一方向的な関係(上下関係、北山)が中心となる。土居も「甘え始めるまでは、乳児の精神生活はいわば胎内の延長であり、母子未分化の状態にある。・・・次第に乳児は自分と母親が別々の存在であることを知覚し・・・母親に密着することを求めることが甘えである」(1971、p.81 )としている。
 私は、母子関係において本来の甘えの関係が成立するのは、乳児が初めて母親に微笑みかけ、母親がそこに子供からの能動的な愛情表現の兆しを感じ取ってからではないかと考える。つまり母親の本能的な母性愛は子供の微笑みを受けて具体的な慈しみや「甘えさせ」の感情という形をとり、ようやく「甘える」「甘えさせる」の相互性は名実ともに成立するのである。逆にこの乳児からの微笑みの授受に何らかの原因で遅延や齟齬が生じた場合、それは「素直な甘え」の成立が阻害されることで、後の「屈折した甘え」につながる可能性があろうと考える。


2026年1月14日水曜日

ショアのメッセージ 3

 1+2を少しシンプルにまとめた。実は今●●学会に向けての抄録作成中である。

心的トラウマが脳および心に及ぼす影響に関する新たな知見が得られるようになり、PTSDや解離症という疾患概念にも新たな目が向けられるようになって来ている。PTSDと解離症を結ぶ研究として注目されているのが、アラン・ショアによる愛着期における右脳の発達に関する研究である。妊娠後期の3か月から生後2年までの愛着期は右脳の神経回路の発達の臨界期にあたり、そこでの愛着関係の阻害、すなわち愛着トラウマは後の精神発達に重要な影響を及ぼす。特にそれによる右脳のトラウマやストレスの処理が損なわれる結果として、PTSDの典型的な症状や解離症状が生じる。すなわちPTSDと解離はトラウマ反応という一つの現象の二つの側面という理解がなされるようになってきている。ショアは特に愛着期における乳児と養育者の右脳同志の交流に注目し、それが乳児の社会情動脳としての右脳の発達に寄与することを見出した。そして愛着を通して高次右脳(眼窩前頭皮質など)と皮質下右脳(扁桃体、自律神経系)の有機的な神経接続が形成され、それらの連携に基づいた神経基盤がストレスへの耐性を育む。しかし養育者との間での愛着が阻害されると、後のストレス時にこの連携が損なわれて交感神経系の過活動と背側迷走神経系の過活動の双方が生じ、このうち前者の過活動が優勢な場合に非解離性のPTSD症状を、後者が過活動の場合に解離症として表れる。いわばストレス時にアクセルとブレーキの両方が踏まれた状態に形容できるが、そのストレスが一定の度合いを超えると後者の背側迷走神経系の過活動により、その極端な表れとしての 擬死反射 apparent death or feigning death に至る。Lenius や Schore は、愛着期におけるトラウマが右脳のストレス処理機構に障害を及ぼし、しばしばこの解離反応を生むという現象を明らかにしたのである。
 ICD-11(2022)に登場したCPTSDの概念はこの問題の理解を一歩進める役割を果たしたと言えよう。CPTSDは主として幼少時の(定義は必ずしもそうと限定してはいないが)頻回のトラウマによる長期的な影響に関する診断であり、主として単回性のトラウマによるPTSDよりさらに慢性的で深刻な、パーソナリティ全体に及ぶような状態を意味する。このようにCPTSDの概念は臨床的に非常に有用でありながらも、トラウマをめぐる問題の複雑さを浮き彫りにするという役割も担った形となっている。


2026年1月13日火曜日

ショアのメッセージ 2

  ICD-11(2022)に登場したCPTSDの概念はこの問題の理解を一歩進める役割を果たしたと言えよう。CPTSDは主として幼少時の(定義は必ずしもそうと限定してはいないが)頻回のトラウマによる長期的な影響に関する診断であり、主として単回性のトラウマによるPTSDよりさらに慢性的で深刻な、パーソナリティ全体に及ぶような状態をさす。  さてこのCPTSDの概念は、実は悩ましい問題を含む。単回性PTSDに比べ、CPTSDには解離症状がより特徴づけられるかと言えば、必ずしもそうではない。CPTSDの患者の一部は解離性障害を伴い、それらの人たちはより深刻な適応上の問題を呈することがわかっているが、必ずしもCPTSD=解離、というわけではない。ここら辺は 1990年代の Judith Herman のオリジナルのCPTSDと異なるところだ。(Herman の最初のCPTSDの概念は、CPTSD=DID+BPD+somatoform disorder であった。)CPTSDの問題はほかにもあり、そもそもCPTSD=PTSD+DSO(自己の組織化の障害)であるならば、CPTSDはPTSDの下位分類になるはずだが、別個に独立してあげられている。何となれば、長期の繰り返されるトラウマでパーソナリティの障害に至っている人々、という事であれば必ずしも明確なPTSD症状を伴わなくても診断されるという傾向がある。でも臨床的にはこのCPTSDは重要なんだなあ。

2026年1月12日月曜日

ショアのメッセージ 1

アラン・ショア著、小林隆児訳(2025)「精神療法という技法の科学」Allan Schore (2012)The sciene of the Art of Psychotherapy. W. W. Norton & Company.を正月の間少しずつ読んでいる。(実は書評を依頼されているからだ。トホホ。)そして彼の言うパラダイムチェンジを少しずつ分かりかけているところだ。それをトラウマと解離という文脈からまとめてみる。 トラウマ関連障害に関する脳科学的な知見が増すにつれて、トラウマが脳および心に及ぼす影響に関する新たな理解が得られるようになって来ている。PTSDと解離症を結ぶ研究として注目されるのが、妊娠後期からの愛着期における右脳の神経回路の発達およびそれが愛着トラウマにより阻害された場合に生じる精神医学的な症状の表れである。その結果PTSDと解離はトラウマ反応という一つの現象の二つの側面という理解がなされるようになってきている。少なくとも両者を個別のものと理解して治療する意味は少なくなってきているのだ。ショアは右脳の高次右脳(眼窩前頭皮質)と皮質下右脳(扁桃体)の連携が愛着の時期に形成されることの重要性を説き、それが阻害されることで交感神経系の過活動と背側迷走神経系の過活動がそれぞれ生み出す病理としてのPTSDと解離状態を説明する。このうち前者の過活動が優勢な場合にPTSD(非解離型)、後者が過活動の場合に解離症という表れ方をとる。要はアクセルとブレーキの両方を踏んだ時に、どちらの効果が顕著になるかという事だが、最終的には後者の方が優勢になることがわかっている。その極端な表れが 擬死反射 apparent death or feigning death という事になる。アランショアの主張は、愛着期におけるトラウマが右脳のストレス処理機構に障害を及ぼし、それがしばしば解離傾向を生む。

2026年1月11日日曜日

PDの精神療法  新たに書き直し 6

この依頼論文。一応形の上では出来上がったが直感的には「このままでいいはずがない」のに、具体的には何処がおかしいのかわからない状態である。この段階で一度プリントアウトして、紙ベースで読みなおすことでどこに違和感があるかを探ることになる。

 PDの精神療法

 本特集の中で、本章は「Ⅲ さまざまな精神疾患に対する精神療法」の第13番目として位置づけられる。扱う対象はパーソナリティ障害であるが、他章の統合失調症やパニック症、摂食症などと比較して、DSM-5のカテゴリカルモデルに従っただけでも10の障害を含む大所帯であり、とても網羅的な解説をする余裕はない。そこでまずPDの精神療法についての概説を述べ、その後に各論として、境界パーソナリティ症、自己愛パーソナリティ症、発達障害および複雑性PTSDに関係したパーソナリティ障害について論じることとする。

(以下略)