私たちが「時間―内―存在」であることにも言及したが、これに関して私自身の体験を述べよう。と言っても臨床家にとってはごくごく日常的な体験だ。
(中略)
このエピソードは確かに私の共感能力の限界を意味しているのかもしれない。彼の話を熱心に聴きとる一方では、彼の身になって言葉を投げかけるということが不十分だったのは確かであろう。なぜこのようなことが起きたのだろうか?
多少言い訳がましくはなるが、ここには時間的な制限という大きな要素が含まれているように思う。先ほども言ったが、人間として生きることには時間ファクターが付きまとう。つまり限られた時間の中で様々なことを行う必要に迫られ、またそこで予想外のことが起きることで優先順位に混乱が生じ、なすべきことが出来ずに終わってしまうという危険性は常に存在するのだ。私のインテーク面接の場合は、私自身は情報量の消化に手いっぱいで、共感的な態度を示す必要性に思い至る余裕がなくなっていた。もちろん患者からの情報をまとめ上げ、整理して理解して伝えるというのは私の大事なタスクであった。でもそれに気を取られてもう一つのタスクである、患者とのラポール形成のために必要なことに思いが及ばなかったのである。もちろんそこで十分な時間を取り、例えばインテークの時間を90分にして、最初の60分の後小休止でも置いて、残りの30分弱で患者の人生を一緒に振り返り、ゆっくりと今後の方針を考えるという設定にしたら、もう少し患者の苦難に満ちた人生に対する共感的な言葉が出せたかもしれない。おそらく日本の精神医療の事情を考えると、医療経済的に言ってもそのような余裕はない。街中の精神科では、一日に数件の新患が来るという現状ではインテークにはせいぜい30分程度しかかけられないのが現実であろう。
さてAIとの関連でなぜこの問題が取り上げられるかと言えば、AIにおいてはこのような時間的な制約はおそらく無縁だからだ。もちろんAIの応答が不十分ということはいくらでもある。同じようなインテークを行ったAIの応答に、私と同様に共感的な言葉が不足している場合もあるだろう。しかしそれは私の場合の言い訳のように、時間が足りなかったからではない。その種のプロンプトを加えたらより共感的な応答が返ってくるであろう事を考えると、それはその時の演算が不十分だったからとしか言えない。