解離能の議論に関してRichardson の論文が参考になる。
Richardson RF.Dissociation: The functional dysfunction. J Neurol Stroke. 2019;9(4):207-210.
「解離とは機能的な機能不全である」というちょっと挑発的なテーマだ。
その抄録には次のような主張がなされている。
もしある現実の一部が対応するにはあまりに苦痛な場合に、私たちの心は何をするのだろうか。痛みに対する生理的な反応が生じると同様に、私たちの心理的なメカニズムは深刻な情緒的なトラウマから守ってくれる。その一つのメカニズムが解離だ。それは機能を奪いかねない情緒的な苦痛を体験することなく日常的な機能を継続することを可能にしてくれるのだ。
たとえば自分の身体に痛みが加えられる前に体外離脱を起こすというのは、能力なのか。おそらくそう考えることもできよう。それにより痛みを体験をしている自分から離れて観察している自分が出来上がる。柴山先生のいう「存在者としての私」に対する「まなざす私」の成立である。少し飛躍するかもしれないが、これは即自存在から対自存在になるという、私たちの自意識の成立と同じくらいの大きな転換点となるだろう。ちなみに対自存在とは、意識は自分と一体化していない、あるいは自分そのものと意識が分かれているという状態である(少なくともサルトルは対自存在についてそう言ったらしい。)これは画期的な能力であり、一つの重要な獲得である。解離における存在者としての私とまなざす私の分離は、対自存在のあり方をまさに血肉化したような現象であり、ごく一部の人たちにしか体験されないものである。これを能力と言わずして何であろう。
これとの関連で歌手野口五郎氏の体験を思い出す。(スポニチ Sponichi Annex 2024年9月23日(月)から引用。)
・・・歌手の野口五郎(66)が29日放送のフジテレビ「ボクらの時代」(日曜前7・00)に出演。35年間も歌唱イップスと闘い続けた過去を明かした。「そんな長らく苦しんだイップスを克服したきっかけは「コンサートで歌ってて、ふと俯瞰で見られた瞬間があって、自分と会話しているような瞬間があって。歌を歌っている最中に“お前、ブレスしてないぞ、大丈夫?ブレス忘れたのか、大丈夫か?”“マジ、ブレスしないで歌っちゃったの?”“やべー”なんてしゃべってる、そんな瞬間があったんですよ」と野口。「そこから楽になった。今は楽しい。“今のために歌ってるんだ”って思って…。“あ~良かった、35年間イップスで。こんな瞬間があるんだったら、許す!”って思っちゃう、苦しんだことを」と笑顔で語った。・・・
これは一つの偉大な能力(治癒力?)という気がする。ただしイップス自体が解離症状という考え方もあるが。