2025年11月3日月曜日

ヒステリーの歴史 改めて推敲 4

 Charcot とその後

 一世を風靡した Charcot の臨床講義ではあったがではあったが、あらかじめ病棟でいろいろ指導や打ち合わせをして症状を演じていたということも伝えられる(Hellenberger )。彼の客死後はそれまで忠実な部下であった Babinski は師の神経学的な業績を受け継ぐ一方ではヒステリーは暗示により生じて説得により消えるものだとしてそれに代わる'pithiatism' という造語を提案した。彼はこれを詐病とは区別しようとしたものの、半ば詐病者 'semi-malingerers' であると表現した。このBabinski の概念はCharcot のヒステリー概念の否定という意味を持っていたが、他方ではそれとの鑑別でバビンスキー反射を発見したという意味ではその神経学的な功績は大きかったと言える。

 Charcot の影響を受けた Freud と Janet はヒステリーに関して独自の理論を発展させた。Freud は最初は Charcot にならいヒステリー症状は幼児期の性的外傷に基づくものとした。しかしのちに精神分析理論を発展させる中で、症状の背後には無意識に抑圧された葛藤が存在し、それが身体領域に象徴的に「変換 converse」されたものが身体症状であると考えた。後に用いられるようになった精神症状に関する「解離ヒステリー」や身体症状に関する「転換ヒステリー」という言葉にはこのフロイトの考えが背景となっていた。他方 Janet は強い情動やトラウマ体験の際に心的エネルギーが低下し、特定の思考や機能が解離されて独自の自己感を持つに至るものとした。すなわちFrreud は欲動の生み出す葛藤と抑圧の機制を重視したのに対し、Janet はむしろトラウマが心の構造全体に及ぼす影響を重視したことになる。

 それまで偏見の対象となり、詐病扱いされたヒステリーは、Freud や Janet によりそれが精神疾患として位置づけられた。ただしFreud が考えたようにそこには心因や疾病利得が存在するものという理解を出なかったと言える。


2025年11月2日日曜日

ヒステリーの歴史 改めて推敲 3

 ヒステリーを学術的に扱った Charcot, Freud, Janet

  ヒステリーに関する偏見を拭い去り、医学の土俵に持ち込んだのが、18世紀後半のパリの J-M. Charcot であり、その影響を受けた S.Freud や P.Janet であった。Charcot は様々な神経疾患に関する業績を残していたが、1862年にパリのサルペトリエール病院の「女性けいれん病棟」を担当したことが大きな転機となった。Charcot はヒステリーは女性特有のものではなく、男性についても起きることを、実際患者を供覧することにより示した。また Charcotは、ヒステリーが心的外傷一般によるものとも考えられ、このこのヒステリーの外傷説が、Freudの理論形成に大きな影響を与えなど、ヒステリーの研究に非常に大きな貢献をしたことも確かである。Charcot はまたヒステリー症状を一律に説明する「ヒステリーの大発作」という概念を提出し、それを詳細に記載した。こうすることでヒステリーのさまざまな症状は、この大発作の部分的な現われや亜系であると説明した。 現在の観点から Charcot のヒステリーに関する臨床研究を振り返った場合、彼がヒステリーを一律に自分の専門である神経疾患と見なそうとしたことには問題があったものの、現在のFNSの概念の見直しの趨勢を見ると、それなりの先見の明があったと考えることもできるだろう。


2025年11月1日土曜日

ヒステリーの歴史 改めて推敲 2

 ヒステリーの歴史

 ヒステリーの歴史をたどる際、それがどこから学問的な議論の体裁を整え始めたかを判断するのは難しい。 ヒステリーという言葉は人類の歴史のかなり早期から存在していた可能性があり、その古さはメランコリーなどと肩を並べるといえよう。紀元前5世紀には古代ギリシャの医聖ヒポクラテスがヒステリーを子宮が女性の体内をさまよう病として記載している。またガレノスは、紀元一世紀になりヒステリーについての理論を集大成した。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられ、結婚している女性に時折見られることから、情熱的な女性が性的に充足されない場合に引き起こされるものであるとされた。そしてガレノスは治療法としては、既婚女性は性交渉を多く持つこと、そして独身女性は結婚すること、それ以外は性器への「マッサージ」を施すこと(これは今で言う性感マッサージということになるのだろう)と記載されている。驚くことにこの治療法がそれから二十世紀近くまで、すなわちシャルコーの出現まではヒステリーの治療のスタンダードとされるのだ(Lamberty, 2007))が、にわかには信じがたい話である。ちなみに我が国ではヒステリーをかつては「臓躁病」と訳して記載していたが、これも同様の考えに基づくものである。
 このようにヒステリーは女性の性愛性と深く結びついた概念であったとともに、ともすると一種の詐病、得体のしれない病、という差別的なニュアンスを伴っていたのである。 小此木啓吾 ヒステリーの歴史 imago ヒステリー 1996年7号 青土社 18~29  Maines, R.P. (1998). The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction. Baltimore: The Johns Hopkins University Press 岡野憲一郎(2011)続・解離性障害 岩崎学術出版社


2025年10月31日金曜日

ヒステリーの歴史 改めて推敲 1

 ほかの執筆に押されてずいぶん先延ばしになっていた論文を推敲しなおす。

 本章は精神医学的な見地からのヒステリー(変換症、FND)の歴史について、すなわち本書の他の執筆者とは異なる立場から論じるが、それに先立って、本章で用いる三つの用語について述べたい。というのも本症に関しては精神医学においてはこれまでにめまぐるしい名称変更が行われたからである。

● ヒステリー ・・・・・ DSM-Ⅲ(1980)以前の時代における変換症、FNSに相当する概念
● 変換症   ・・・・・ DSM-Ⅲ以降DSM-5(2013)までの時代におけるFNSに相当する概念。
● FNS (機能性神経学的症状症)・・・・・ DSM-5以降の概念で、変換症、解離性神経学的症状症(ICD-11)と同等のものとする。
 ちなみに変換症 conversion disorder は従来転換性障害と訳されてきたが、同音の「癲癇」との混同を避けるためにDSM‐5の日本語版策定以降このような措置が取られたのである。


2025年10月30日木曜日

ある書評 5

 第八章 愛することと働くこと……フロイトの言葉を考える

この第8章も私が特に好きな章である。単体のエッセイとしてもとても優れたものということが出来る。著者はいよいよ臨床心理を学び始め、学費のために教科書搬入のアルバイトを行う。その肉体労働にふと楽しさを覚え、医療機器のメーカーでの営業職にはどうして楽しみを見出せなかったのかについて考える。そしてそれはアルバイトが将来につながる、あるいは生きがいに結びついた仕事であることに気が付く。そして改めて働くということの意味を問い直すのだ。
 私は中でも著者の「[前の営業職では]自分がやっていることが実感できなかった」という気付きに注目する。自分がある行動を起こすことで何かが変化するという感覚、いわゆる自己効能感が決定的な役目を果たす。その意味でも著者が今心理士として働くことで味わう喜びはどれほどばかりだろうと思うのだ。心理臨床は、セッションでクライエントと対峙し、だれにも指図をされることなく自分の信じるままに進めていく。基本的には評価を受けたり、勤怠を管理されることはない。そして自分の言動の結果は多くの場合よくも悪しくもクライエントに及ぶ。およそ「自分がやっていることが実感でき」ない状態には程遠い。実感されすぎてしまうほどだ。臨床は「自分の意思とは関係なく言われたことに従わされる」のではなく「自分の意思に従って行うことに結果が左右される」世界だ。同じストレスでも後者は前者よりも精神衛生上いいだろうし、著者もそう感じているはずだ。もちろん人それぞれで後者に耐えられないという人もいるであろう。一日に何人もクライエントのつらい訴えを聞くこと、ましてや何らかの意味のある介入を行うことが期待されるということが耐えがたい人もいるし、するべきことを与えられ、それを何も考えずに機械的にこなすことが一番嫌なことを忘れられるという人もいるだろう。そのような人にはこの著者の話はあまり意味をなさないかもしれない。

以上3つの章についての感想を述べたが紙幅の関係でここで留める。あとは読者が各自本書をひも解いて存分に楽しんでいただきたい。


2025年10月29日水曜日

ある書評 4

 第七章 先が見えないときどうしたらいいの?……ネガティブ・ケイパビリティ

 この章は少し不思議な章である。著者は「先が見えない時どうしたらいいの?」というタイトルからネガティブケイパビリティ(以下、NC)の話に入る。著者は営業の仕事を辞める決心をし、それを恐る恐る部長に伝えるが、部長は決して怒ることなく、むしろ飲みに誘ってくれたという。NCとは詩人キーツが使い、それを分析家ビオンが取り上げている概念である。それは「人が事実と理由を性急に追い求めることなく、不確実さ・謎・疑惑の中に留まることが出来ること」とされる。それが著者の置かれた立場とどうつながるかは分かりにくいかもしれない。著者はこの頃には大学院の心理学科に合格し、仕事を辞めることを決めていて、それを上司に伝えることについては迷いがなかったのだ。
 実は彼にとって未知だったのは、部長がそれにどのような反応をするかであった。自分のように営業職→退職→学びなおし、という方針変換をする人間が部長にはどう映るのかがつかめなかったのだ。しかしそれを告げた時の部長の冷静でむしろ共感的な態度により支えられた、とある。自分の中に持っていたいわれのない罪悪感などを払拭することが出来「これでよかったのだ」という思いを持つことが出来たのであろう。この「他者から見えるであろう不可解さ」が解消されたことで、彼は自分の行っていることの分からなさから最終的に解放されたということだろうか。
 この様に部長により見事に救われた著者であったが、ではどうやってNCを持つことが出来るかという問題に彼は向かう。それは本を読んでも答えが見つからない。結局自分自身が「不確実さ・謎・疑惑の中に留まる」しかないということになるという。つまりNCとは答を他に求めるではなく,自分の中に求めるしかないということを意味するのだと著者は考える。自分は不確実性に苦しみ、じたばたする。そして起こした行動がある種の現実を突きつける。そして他人を巻き込むことなく、そこから学んでいくしかない。
 とすればNCからの救いは結局は他者を介するということになるのではないか。著者の場合はそれはほかならぬ部長だった。部長は部長で、著者と同じ「このままでいいのか?」という悩みを何年か前に持ち、その答えとして同職にとどまることを選び、またそれを受け入れた可能性がある。その諦めと受容があったらこそ、著者の葛藤もそれなりに「わからないながら」受け入れることが出来たのだろう。部長がNCを備えていたことは、著者の訳の分からない人生の決断を淡々と聞き入れたというところに表されていたわけだ。つまりそれはもうその人の人生のスタイルになり、他の人とは異なるユニークさであり、本書に登場する刑事コロンボも、結局はNCに対処する自分のスタイルを身に着けたのだろう。
 ちなみに評者はNCの一部は不可解さを楽しむ能力ではないかと思う。不可知であることは裏を返せば、自分のその事柄への対処は無限の自由を秘めていることなのである。

2025年10月28日火曜日

ある書評 3

 この短いスペースでは内容に詳しく立ち入ることはできないが、いくつか印象に残った部分を紹介しよう。

第六章 「自分の人生このままでいいの?……人生を物語ること」
 この章で著者がドラえもんとタイムマシンとの関係で自分の人生を語っている部分がとても面白い。著者は医療機器の営業職に携わりながら、いかに自分がそれに向いていないかを知り、初めて将来について真剣に考えていたようである。なぜ最初に営業職に就く前にそれを考えなかったのかは読者にはよくわからないが、自分にやりがいや使命感のようなものを体験でき、心について、人間についても深く考える機会を得ることを期待していたのかもしれない。しかしそれはある意味では全く見当外れであったことがわかる。自分がしたいこと、感じることが封印される毎日。そしてそれを続けて将来どうなるかを先輩や上司が実例として見せてくれる。ある意味では著者はタイムマシンに乘って自分の未来像に出会い、その自分が心情を吐露するのを聞いたのだ。そして思った。「自分はこのようにはなりたくない。」
 こうして人より数年遅れて臨床心理の世界に入った著者は、最初から漫然と臨床心理に入っていた場合に比べてずいぶん性根の座った心理士になれているのではないか。一度別のタイムマシンに乗っているからである。そして本書を通して著者は再びタイムマシンに乗り、今度は逆向きの旅をして過去の自分に出会う。そして今の自分の萌芽は既に20年前にあったことを各章を通して再確認しているのである。
 これは一見フロイトの言葉「本質的なことはすべて保たれている。完全に忘れられてしまっているように見えることでさえ、何らかのあり方を取って、どこかになお存在している。それはただ埋没させられているだけであり、個人の自由にならないようにされているのである。」(全集21巻 分析における構築)を裏付ける作業のようであると著者は言う。しかしこれは同時にナラティブの構成の作業でもあるのだ。なぜならさらに20年経ってまた全く別の新たな道に進んでいるかもしれない著者は、本書を読み返して新たな道に進む前触れをそこに見出すかもしれないからである。