2025年7月19日土曜日

FNDの世界 2

 過労がたまって熱っぽくて体がだるく、風邪の引きはじめではないかと思う時がある。そして大抵はその後数日風邪で体が動かないということになると、休講にしなくてはいけなかったり、外来を休診することになったりして非常にまずい。「熱が出るわけにはいかない」のである。そのような時私はあえて体温を測ることなく、というよりそれを避けて消炎鎮痛剤、例えばイブプロフェン200㎎一錠を飲んだりする。これは考えれば、おかしな行動だ。まあ稀に、2,3か月に一度程度のことだが。

 この行動は医学的には気休めでほとんど意味のない行為であることは分かっている。本当に風邪の引きはじめだったら、イブプロフェン1錠で回復するということはないだろう。でも何となく安心するのである。「イブプロフェンを飲んだからダイジョーブだ」と自らに言い聞かせる。しかし医者の身で、何がダイジョーブなのか全然分からない。これなどはむしろおまじないに近い。神社でお賽銭を投げて手を合わせるようなものだ。イブプロフェンを飲むと体(心?)が回復するという信心 belief のせいである。

と書きながら、実は医学の世界ではいろいろなことが起き、私がプラセボ効果と決めつけている私の気休めの行動も、その一部は実は医学的根拠があることがわかったりする。例えば非ステロイド系抗炎症剤は炎症を引き起こす物質であるプロスタグランジンの生成を抑制することで、炎症を鎮め、痛みを軽減するとされている。私たちが体がだるくて熱っぽいという時、実際にウイルスや細菌に感染していなくともプロスタグランディンやそのほかの炎症性サイトカインが出ていて、実際に怠さを引き起こしているのかもしれない。プラセボ効果は実はそうではなかったとなったりする可能性だってある。(本当のところは私は専門ではないので分からないが。)しかし私はやはりイブプロフェンが私にとってのプラセボであることを知っている。なぜなら飲んだら2,3分したら体が軽くなった気がするのだ。これなど絶対にありえないことである。薬効成分が血液循環に乘って体中に回るまでに30~40分は必要だからだ。


2025年7月18日金曜日

FNDの世界 1

 私の医学部時代のクラスメートのS先生が「心因性疾患」に非常に大きな興味を持たれ、ある著書を計画されているという。私はその中の一章「精神医学的にみた『心因性疾患』」をみたいなことを書くことになった。一見めんどくさそうな執筆に聞こえそうだが、実は私はこれが楽しみなのである。なぜならまさに精神医学のど真ん中のテーマだと私には思えるからだ。それは「心因性」や概念の持つ意味に切り込むテーマだからだ。「心因」の問題は古臭いようでいて実に奥深い。たかが「心因」、されど「心因」。

(ちなみに表題のFNDとは functional neurological disorder 機能性神経症状症のことである。)

私たちはかなり頻繁に身体症状に見舞われる。頭痛、吐き気、眩暈、腹痛、倦怠感‥‥。ピッチャーだったら「肩の張り」などというかもしれない。そしてそのかなりの部分は原因がはっきりしない。そんな時に私たちはよく「気のせい」とか「なんとなく」とか表現する。「ストレスのせいで」などという表現を用いることがある。

一つ頭に浮かぶ例を挙げよう。最近精神科では先発薬からジェネリックへの移行ということが盛んにおこなわれ、要するにブランド薬、例えばパキシル(製品名)の代わりにジェネリックのパロキセチン(パキシルの薬品名)に処方薬を変更するということが起きている。要するに政府の政策でより安い医薬品を提供するようにという圧がかかった結果である。するとブランドからジェネリックに代わっても「(効き目も、副作用も)何も違いはなかった」とおっしゃる大部分の患者さんと、「全然効かなくなった!」という一部の患者さんに分かれる事になる。ここで後者がどこまでプラセボ効果なのかが問題となるが、不思議と「ジェネリックの方がよく聞きました」(例えば眠剤のような場合)という反応はほとんどなく、「ジェネリックだと効きがよくありません」が大部分だという声を聴くことが多い。これは先発薬(高価なブランド品)→ ジェネリック(代替物としての後発品)という心理的な影響がずいぶん大きい気がする。

このような反応は特に精神科の患者さんだから起きるということは決してない。身体科の患者さんでも同様であるし、オーバーザカウンタ―薬を用いる私たちすべてが同じような体験をすることがある。私自身が体験する妙なプラセボ効果(というよりどう呼んだらいいかもう分からない)を話してみよう。


2025年7月17日木曜日

男性の性加害性 7

 ところで「一見普通の男性が起こす性加害」について考えると、男性の性愛性には二つの問題が混在していることに改めて気づく。一つは「途中で止まれない問題」があり、それを昨日はポジティフィードバック(PF)で説明しているが、もう一つは刺激 Cue に対する過剰反応である。人間は常に発情状態にあり、それが刺激になってしまうということだ。

(中略)


この問題はたとえば人間の食欲になぞらえてみると、性欲だけがいかに突出しているかがわかるだろう。通常の生活をし、しっかり三食を摂りながら生活をしている人が、昼前時などに空腹を感じても、たまたま持ち合わせがないからというだけでコンビニで菓子パンを万引きをするということが起きるだろうか。ところが男性の性愛性はそのようなことをより起こしやすい傾向がある。性的な刺激による Cue だけ、おそらく依存薬物に対するそれのレベルで、人を突き動かす作用を有する。これはいったいなぜだろう。この問題が数多くの性加害の原因になってしまっているのだ。そこで登場するのが「インセンティブ感作理論」である。 

2025年7月16日水曜日

男性の性加害性 6

 さて、ポジティブフィードバックはどんどん行動が強化されるのが特徴なのだが、それが生じるのがいわゆる依存症の状態である。そこでは側坐核という部分のグルタミン酸の信号が感作される(どんどん敏感になる)ことが知られている。

ここで少し事情を知っている人なら「うん?なんか変だぞ」という反応になるはずだ。「それってドーパミンの間違いじゃないの?」そう、依存症と言ったらドーパミンの問題と考えるのが相場だが、最近はドーパミンとグルタミン酸の両方が相まって嗜癖を形成するという。そしてドーパミンは「欲しい!」という気持ちを生むが、グルタミン酸はそのための行動に導く役割があるという。チャット君はそれを以下のように説明してくれる。

  • ドーパミン:その刺激が「快楽」や「報酬」として感じられる瞬間の「やる気スイッチ」。

  • グルタミン酸:「その行動をどうやってやるか」を記憶し、脳内にルートを敷く。
    たとえば性衝動を例にとると、

  • ドーパミンが「見て!AVの画像!これは楽しいぞ!」と言い、

  • グルタミン酸が「いつもの流れでスマホを開いて、トイレにこもって、あのサイトに行こう」と導く、ということになる。そして結果的に「自動反応のような衝動的行動」が形成されるというのだ。

さてここから男性の性愛性に関する一つの議論が関係してくる。つまり男性の性愛性は一種の依存症だろうか。Prause らは、男性の性愛性は、addiction 嗜癖ではないと主張するという。そしてその 嗜癖なら起きるはずのグルタミン酸ニューロンの過敏さが起きないからだという。以下はチャット君のまとめ。

■ Prauseらの主張:CSBDは「嗜癖とは異なる」

◉ 核心的な神経科学的主張(簡単に)

もしCSBDが「依存症」であるならば、報酬系(特に側坐核:nucleus accumbens)において、グルタミン酸作動性のニューロンが過敏化しているはず
→ しかし、実験データではそうした反応は見られなかった(むしろ“habituation”=慣れが起きていた)


ちなみに依存症における側坐核の役割としては、

側坐核は報酬の予測・モチベーションの形成に関わる中枢。依存症では、glutamate(興奮性神経伝達物質)がこの部位で過敏化し、cue(刺激)への強烈な欲求(craving)を生む。この神経変化は、薬物、ギャンブル、アルコール依存などで明確に確認されている。しかしPrauseらは、性刺激に対してこの“過敏化”が起きていないと報告している。


2025年7月15日火曜日

男性の性加害性 5

 私がここに提示するのが、二つのモデルである。これらはある意味では重複しているため、まとめて「自己強化ループモデル」と呼ぶが、一応別個のものとして論じることから始める。ちなみにことわるまでもないが、これらは性依存や強迫的性行動とはいちおう別の議論である。すなわち性依存でもなく、強迫的性行動でなくても、問題となるモデルであるが、それらとも深く関係している可能性があることが、後で分かるだろう。(というか、これを書きだした時点ではよく分からない。これから書きながら探求するのだ。) この自己強化ループモデルの特徴を一言でいえば、性行動はいったん始動すると、途中で止めることが難しい、という現象を説明するモデルであるということだ。

さて以前「男性の性加害性2」で示したスライドでも示したように、この「自己強化ループ」を説明する理論は二つある。

① ポジティブフィードバック理論

② インセンティブ感作理論 incentive sensitization   theory (IST)

このうちまず①のポジティブフィードバックについて。

一番なじみ深いのはいわゆるネガティブフィードバックだ。これはとてもよくあるシステムで、安定化方向への制御のためのあらゆる装置である。例えば体温や血圧や血糖値などはみなこのシステムだが、要するにサーモスタットのようなものを考えるといい。温度が上がるとバイメタルが曲がってスイッチが切れる。そして温度が低くなるとバイメタルが元通りに戻ってスイッチが入る、というように。このネガティブフィードバック(以下、NF)がいかに必要かは次のような例を考えればいい。お腹がすいたから食事を摂る。すると空腹感は次第に癒され、最初は旺盛だった食欲は低下し、次第に食事を見るのも嫌になり、摂食行動は終わる。その細かいメカニズムはおそらくかなり複雑だが、だいたい私たちの食行動はこのようにしてバランスが取れている。  ここで思考実験だ。ある人は空腹なのでお菓子を口にすると、さらにお腹がすいた気分になり、もう少し食べる。するともっと食べたくなり、最後にはお腹がはちきれんばかりになってもさらに食欲が加速し、最後には胃が破裂してしまう。これは実に怖ろしい現象であり、たちまち生命維持に深刻な問題を起こす。あるいは血圧が少し上昇すると、それをさらに押し上げるようなホルモンが産出され、最後には脳出血や心不全を起こしてしまう。

 この悪魔のようなプロセスは、実はポジティブフィードバックを描いたものである。普通は生体には起きないことだが、私たちは過食症や飲酒癖などがそのようなループにより歯止めが効かなくなりそうな状態が存在することを知っている。  ここで気が付くのは、ポジティブフィードバック(以下、PF)はそれが生じたとしたら、生体は行くところまで行ってしまい、元のバランスには容易には戻れないであろうということだ。ある種の破局的、ないしは一方向性の現象が起き、行くところまで行って戻ってこれない。これは例えば排卵のプロセスに当てはまる。

2025年7月14日月曜日

男性の性加害性 4

 「一見普通の男性が起こす性加害」または「非犯罪性格の男性の犯す性加害」が改めてテーマになるわけだが、おそらくこれがなかなか理論的に整理されないのは、それがある意味では非病理学的な、よくある、「普通の」現象としてとらえられているからであろう。あるいは一見普通に見せかけているが、実は犯罪者性格の人が起こす事件であると考えられている可能性もあろう。 ところが私は「一見普通の男性が起こす性加害」には、それをそれとしてことさら取り上げるだけの根拠があるように思う。「一見普通の男性が起こす性加害」とは要するに「性加害者は通常の理性を備えた男性が、それを一時的に失う形で生じることが多い」ということを意味しているのだ。  そして私たちは同様に理性を失う形で行動を起こしてしまう例を知っている。それは例えばギャンブル依存であり、アルコール中毒やそのほかの薬物中毒である。これらは嗜癖、あるいは行動嗜癖と呼ばれる。そしてそれと同様に「一見普通の男性が起こす性加害」の問題は、男性の性愛性の持つ嗜癖としての性質ということである。  しかしここで私たちは一つの疑問に突き当たる。コカイン依存やギャンブル依存は、それを特に有しない人には問題行動を起こさせない。何らかの事情で自分で使うことのできる現金を手にしても、普通の人は何も特別行動を起こさないだろう。しかしいてもたってもいられずにパチンコ屋に向かってしまう人は、間違いなくパチンコ依存という病的な状態にある。しかし性加害はごく普通の(と周囲からも思われる)男性が起こしてしまうことが多い。その人が特別強い性欲を有しているというわけではないだろう。ということは男性にとっての性欲は、最初から依存症的な性質を有しているということになる。  ところで人間が通常有する生理的な欲求に本来的に依存症的な性質が備わっていることなど、他に例があるだろうか。例えば食欲はどうだろう? 極端な飢餓状態ではそれこそ地面を這っている虫さえも食べてしまうということがあるという。しかしこれはよほどの極限状態であろう。  ということで男性の性愛性の依存症的な性質を説明するために私はここで二つのモデルを取り上げようとしているのである。

2025年7月13日日曜日

男性の性加害性 3

 ところで性依存=性嗜好障害+強迫的性行動症いう式のうち後半部分について。これがCSBD(compulsive sexual behavior disorder 強迫性性行動症)であり、ICD-11に掲載されている。これが持つ意味は大きい。そして事実ICD-11にはこれがかなり長々と記載されている。いわゆるポルノ依存のような状態だ。つまり性的行動を何度も何度も繰り返し、それによる苦痛を自分や他人に与えるという問題だ。ただしここで二つの点に注意すべきである。

1.これは強迫性障害 OCD とは別物であること。ICD-11には断り書きがあり、強迫的 compulsive という名前はついているものの、「本当の強迫ではない」というのだ。(CBDS is not considered to be a true compulsion. ) なぜなら通常のOCDに見られる強迫行為は基本的には快楽的ではなく、通常は不安を起こすような思考(つまり強迫思考 obsession ) を和らげるものであり、CBDSはその限りではないからだ。あくまでも性的な快楽を追求する点がCBDSの特徴だ。(ちなみに私はこのことを知らずに、「ああ、ICD-11は性行動の問題を強迫行為の一種としてとらえているんだね」と単純に思っていたのだ。しかしこれを読むと実はそれは嗜癖に近いと言っていることになるのだ。だってそもそも楽しい行為がやめられないって、依存症そのものじゃないか。でもあえて性依存という言葉を使っていない。それは現代の精神医学では、これが行動依存の一種であるかどうかの結論は出ていないから、というのである。だからこのCSBDは嗜癖の分類の中にではなく、衝動コントロール障害 impulse control disorder の下に収められているのだ。

2.DCM-5にはそもそもこのCBDSに該当するような診断が入っていないということ。つまりICD-11の立場、すなわちこれは正式な依存症でも強迫でもない、という立場は同じでも、それを診断基準に含めないという選択肢をとったのが、DSM-5だったのだ。だから両者の決定的な齟齬を意味してはいないことになる。