ストレス反応としての多重人格状態
本特集は「〇〇 ― 基本的知識から臨床実践まで」である。本章ではいわゆる多重人格、正式には解離性同一性障害について、ストレス因との関連から論じる。
解離性障害がDSM₋Ⅲに診断名として正式に採用されて以来、ある種のストレスが解離症状という反応を起こす、という考え方は一般的に受け入れられているとみていい。DSM-Ⅲに同時に採用されたPTSD等のトラウマに関連した障害の最大の特徴は、トラウマという環境因により発症するという因果関係が強調されたことである。そしてそれは戦争や虐待や性被害等が人間の精神にもたらす影響の重大さが再認識されるという時代の流れと軌を一にしていたのである。そこで一つの焦点となったのが、トラウマにより一方ではPTSDのような症状が生まれ、他方では解離性障害を来すという違いがどこに由来するのかという問題であった。
ちなみに最近の流れは、PTSDと解離は表裏一体となったものであるという理解がなされている。ストレスを体験した時に、一部の人は交感神経優位の、頻脈や血圧の上昇などの典型的なPTSDの症状を示すが、他の一部はむしろ、副交感神経優位の、徐脈や血圧の低下や覚醒度の低下などの症状を示す。これらは別々の現象というよりはストレスに対する反応の二つの極端な表れとして統一して論じられるようになったのである。
その大枠の理解の仕方はいいとしても、それは正確なのだろうか?解離は果たしてPTSDのネガなのであろうか?そもそも解離は単なる症状なのだろうか?それ以外の何かが解離には潜んでいるのではないか? それらが本考察の主要なテーマである。
解離は症状か防衛機制か?
ここで改めて問うてみる。「解離は症状か防衛機制か?」Frank Putnam のテキストには以下のようにある。「解離が survival value 生き延びるための価値を有するという考え方は、 広く受け入れられている」。Braun & Sachs, 1985, Kluft, 1984, Spiegel, 1984.という錚々たる著者も言っているというのだから、これは学界のコンセンサスと言っていい(p9)。
解離が防衛として働くという考えはある意味では常識的なとらえ方である。最初にトラウマが生じた時に自らをその状況から隔離するという形で解離が起きたと考えられるからだ。その瞬間に主体が精神的に生き延びる際に役に立ったという意味では、それはまさに防衛機制であった。しかし問題はそれがその後の人生で、それ以外のあまり危機的ではない状況でも繰り返されるようになるということである。
解離がその人を救う、という例については枚挙のいとまがない。少なくとも交代人格のかなり多くが、主人格を補助し、いざとなった時に救いの手を差し伸べるという例はよく聞かれる。
(以下略)