相転移としての人格交代
上でICの成立がいかに創造的であるかを論じたが、DIDに見られる解離症状のもう一つの、おそらくは最大の特徴は、人格状態間の遷移、スイッチングという現象にある。その際には一つの心の状態からまったく別の心の状態に瞬時に移行する様子が見られる。それが一般人の多くにも生じている例としてすでにOBEという現象について論じたが、DIDにおける人格のスイッチングはそれより一段高度でかつ創発性を含んだプロセスである。
この種の心の状態の急激な遷移は、癲癇発作のような神経学的な現象としては見られるものの、精神医学的にはあまり類を見ない。双極性障害における躁転や急性の幻覚妄想状態がある程度類似する状態として思い至る程度である。しかし解離性の人格交代には躁転や急性の精神病の発症には見られないような極端な非連続性が見られる。そこにはそれまでの意識の連続性やそれに伴う記憶,知覚様式、運動機能、生理反応などの変換が見られるのである。
精神におけるこのような急激な遷移は、自然現象にたとえるならばいわゆる相転移に類似していると言えるだろう。相転移は物理現象としてよく知られ、温度や圧力などの外部環境の変化により、物質が固体・液体・気体といった「相(状態)」を不連続に変化させる現象である。氷の溶解や水の蒸発、磁石の磁性の転換などが代表例として挙げられる。
私は解離性障害における人格のスイッチングをそのまま相転移として概念化する用意はないが、あくまでも現象としては類似しているということを強調したい。物理的な相転移においては水の相転移のように構成する分子そのものは変わらず、それらの結合の仕方が大きく変わるが、解離性の人格交代においても神経細胞そのものは変わらないが、それらの形成するネットワークが変わるという事態を想定せざるを得ない。私はDIDの病理として各人格がダイナミックコア(大脳皮質や視床を構成する一群の神経細胞の塊、G.エデルマンの概念 )を占有し、それ自体がスイッチングを起こすというモデルを考えた(Okano, 2022) が、同じ趣旨に従ったものである。
ポリヴェーガル理論を含んだ解離プロセスの理解
最後にいわゆるポリヴェーガル理論の見地から解離の防衛機制と創造性の問題について論じたい。私見ではこの理論を組み込むことでこれまで述べた解離の諸現象をより整合的に理解することが出来ると考える。
上述の相転移現象としての解離の特徴はそれが心だけではなく、身体レベルでの変化を伴う点である。そしてそのような機能の獲得は私たちの住む自然界における掟と関係している。自分が捕食者の側に立つか、あるいはその餌食の立場なるかは一瞬で決まる。相手に襲いかかるか、そこから退散したり身を隠したりするかのモードチェンジを瞬時に行えるかは野生の世界においては死活問題なのだ。というより闘争と逃避の一瞬での切り替えが可能な個体がこれまで生き延びて来たというべきであろう。そしてそのスイッチングのメカニズムを巧みに説明するのが、近年S.ポージスにより提唱されたポリヴェーガル理論である。
従来の自律神経系の理解においては、各臓器は交感神経と副交感神経の両方により支配され、ストレス時や活動時に前者が働き、リラックス状態のときは副交感神経が働くというように、両者が通常は拮抗した作用を発揮すると考えられてきた。しかし進化のプロセス哺乳動物の迷走神経が異なる2系統(腹側迷走神経複合体、VVCと背側迷走神経複合体、DVC)に分かれているという発見が、ポリヴェーガル理論の核心部分である。
ポリヴェーガル理論では、周囲が安全や安心を感じられる状況か、それとも命の危険を感じる状況かにより交感神経系(SNS)とVVC, DVCの3系統の自律神経系が切り替わって環境に対応すると説明する。安全な環境では哺乳類になってから獲得したVVCが働く。しかし周りからストレスがかかると、「戦うか逃げるか」に関わるSNSが働くが、そのストレス状況が高度になると、進化的に古いDVCに切り替わるとした。
ポリヴェーガル理論の中で最も優れた点のひとつは、SNSからDVCに切り替わる際の偽死反射のような現象だけでなく、愛着形成に働くVVCの向社会的な意義を見出したことである。ポージスはリスク管理と行動のスイッチの二つをつかさどるニューロセプションという概念を用いる。(これは無意識的な皮質下のシステムを通して生じるもの、認知レベルで上がってくる知覚 perception と区別することを意図したボージスの造語である。)危機ないし脅威の環境では、皮質レヴェルは作動することなく、偏桃体ー中脳水道周囲灰白質 (PAG) などの防衛システムが即座に作動する」という。そして安全な場合はこの扁桃体ーPAGが、側頭葉により抑制されているために、皮質と結びついた向社会的行動が生じやすいという。
このうち前者は、OBEの場合は一種の偽死反射を説明する。下等生物で危機的な状態で何らかのスイッチが押されるかのようにドラスティックな心身の反応が生じる様子を説明する。しかし解離における人格状態の遷移はそれにとどまらず、もう一つの、その場を救出するような交代人格の出現が見られるのだ。しかしそれだけでなく、安全な状況では子供の人格が登場するという現象についても述べたが、それがこの後者の扁桃体ーPAGの抑制によるVVCの活動亢進として説明できる可能性を示しているのだ。