2025年8月9日土曜日

FNDの世界 推敲 1

FNDの歴史について。結局最初に長々しく断り書きを入れることにした。

はじめに

  本稿ではヒステリー(変換症、FND)の歴史を精神医学の立場からさかのぼる。初めに本稿で用いる用語について述べたい。変換症とはDSM-5以降我が国の精神医学においてconversion disorder の訳語として用いられるようになったものであり、それ以前は転換性障害、転換症などとされていたものを、脳波異常を伴う癲癇(てんかん)との混同を避ける意味でこのように言い換えたものである。そこで本稿での変換症とは従来の転換性障害と同義語として用いることにする。またFNDとは機能性神経症状症 functional neurological disorder の頭文字であり、これはDSM-5において conversion disorder に代わって提案された表現であるために、2013年のDSM-5の発刊以前の時期に関して論じる際には変換症、それ以後はFNDとして言い表すことにする。もちろん両者を統一してFND(または変換症)とすればいいであろうが、実際に当時存在せず、概念としても異なるものをそう呼ぶことにも抵抗があるために、このような呼び方をする。また変換症とFNDは、その病態としての表れは同一のものという前提で論じる。


2025年8月8日金曜日

FNDの世界 12

 実はここら辺、相当苦労しながら書いている。何しろ従来の転換性障害 conversion disorder (CD)は、変換症と呼ぶべきだったり、機能性神経症状症(FND)と呼ぶべきだったりと、さまざまなのだ。どの用語をどの文脈で用いるべきかをいろいろ考えながら書かなくてはならない。   ともかくもconversion という用語を用いなくなった事情には、患者が偏見や誤解の対象となることを回避すべきであるという倫理的な配慮も働いていた。これについてDSM-5には以下のような記載が見られるからだ。 「[ 身体症状群は]医学的に説明できないことを診断の基礎に置くことは問題であり、心身二元論を強化することになる。・・・所見の不在ではなく、その存在により診断を下すことが出来る。・・・ 医学的な説明が出来ないことが[診断の根拠として]過度に強調されると、患者は自分の身体症状が「本物 real でないことを含意する診断を、軽蔑的で屈辱的であると感じてしまうだろう」。(DSM-5, p.339)   ここに見られるDSM-5やICD-11における倫理的な配慮は、以下に述べる「心因が存在すること」、「症状形成が作為的でないこと」、そして「疾病利得が存在しないこと」という項目についての変更にもつながっていると理解すべきである。  このうち心因については、DSM-5,ICD-11では診断基準としては問われなくなったことは、上で転換という概念がなくなりつつある理由として示した通りである。それでは「症状形成が作為的でないこと」についてはどうか。  「症状形成が作為的でないこと」は、転換性障害だけでなく、他の障害にも当然当てはまることである。さもなければそれは詐病か虚偽性障害(ミュンヒハウゼン病など)ということになるからだ。そしてそれを転換性障害についてことさら述べることは、それがこれまでに述べたヒステリーに類するものという誤解を生みかねないため、この項目について問わなくなったのである。  また疾病利得についても同様のことが言える。現在明らかになりつつあるのは、精神障害の患者の多くが二次疾病利得を求めているということだ。ある研究では精神科の外来患者の実に42.4%が疾病利得を求めている事とのことである(Egmond, et al. 2004)。従ってそれをことさら転換性障害についてのみ言及することもまた不必要な誤解を生みやすいことになる。  さらには従来CDと呼ばれる状態について見られるとされていた「美しい無関心 la bell indifférence」の存在も記載されなくなった。なぜならそれも誤解を生みやすく、また診断の決め手とはならないからということだが、これも患者への倫理的な配慮の表れといえる。 ただし実際にはFNDが解離としての性質を有するために、その症状に対する現実感や実感が伴わず、あたかもそれに無関心であるかの印象を与えかねないという可能性もあるだろう。その意味でこの語の生まれる根拠はそれなりにあったであろうと私は考える。

身体科からの歩み寄り

 ところでFNDについては最近新しい動きが見られる事にも言及しておきたい。それは神経内科の側からも関心が寄せられるようになったことである。そしてICD-11では初めて転換性障害がFND(より正確には解離性神経症状性障害、FNSD)として精神医学と脳神経学 neurology の両方に同時に掲載されたのだ。その事情を以下に説明するが、ここからは転換性障害ではなくFNDという表現を用いることにする。というのも脳神経内科ではもともと転換性障害という用語は使われない傾向にあるからだ。
 一つには脳神経内科の外来にはFNDを有する患者がかなり含まれるという事情がある。 実際には脳神経科の外来や入院患者の5~15%を占めるといわれる。またFND は癲癇重積発作を疑われて救急を受診した患者の50%を占め、脳卒中を疑われて入院した患者の8%を占めるという(Stone, 2024)。そのため脳神経科でもFNDを扱わざるを得なくなっている。そしてそれ以外の身体科、例えば眼科、耳鼻咽喉科、整形外科などにも同様のことがいえる。つまり精神科医以外の医師たちがいかに機能性の疾患を扱うかというのは従来より大きな問題だったのである。
 また先ほど転換性障害は陰性所見ではなく所見の存在(陽性所見)により定義されるようになったという事情を述べたが、実際に脳神経内科には Hoover テストのように、ある所見の存在がFNDの診断の決め手となるような検査法が知られていることも追い風になっている。

2025年8月7日木曜日

FNDの世界 11

  なぜ conversion (変換、転換)の概念が消えていくのか?

 DSM-5においてなぜ conversion (変換、転換)という言葉そのものについて問い直すという動きがあったのだろうか? これについてはFNDの概念の整理に大きな力を発揮したJ.Stone の論文(2010)を参考に振り返ってみる。
 本来 conversion という用語は Freudの唱えたドイツ語の「Konversion (転換)」に由来する。 Freud は鬱積したリビドーが身体の方に移される convert ことで身体症状が生まれるという意味で、この言葉を用いた。
 ちなみに Freud が実際に用いたのは以下の表現である。「ヒステリーでは相容れない表象のその興奮量全体を身体的なものへと移し変えることによってその表象を無害化する。これをわたしは転換と呼ぶことを提案したい。」(Freud, 1894)
 しかし問題はこの conversion という機序自体が Freudによる仮説に過ぎないのだと Stone は主張する。なぜなら心因(心理的な要因)が事実上見られない転換性症状も存在するからだという。もちろん心因が常に意識化されているとは限らず、心因が存在しないことを証明することも難しいが、その概念の恣意性を排除するという意味でもDSM-5においては conversive disorder の診断には心因が存在することをその条件とはしなくなったのである。
 

Stone J, LaFrance WC Jr, Levenson JL, Sharpe M. Issues for DSM-5: Conversion disorder. Am J Psychiatry. 2010 Jun;167(6):626-7.


Conversion disorder の診断基準の見直し

 

 ここで改めて conversion disorder の診断基準がどの様に移り変わったかをまとめて表に示したい。 

 

 

 

症状が神経学的に説明出来ない

心理的要因(心因 )の存在

症状形成が作為的でない

疾病利得が存在

DSM-Ⅲ

DSM-IV

問わない

DSM-5

〇(ただしあえて強調しない)

問わない

問わない

問わない

ICD-11

〇(ただしあえて強調しない)

問わない

問わない

問わない

                  

 DSM-IV にあった「症状が神経学的に説明できないこと」については、DSM-5やICD-11ではあえて強調されていないことになったことはまず注目に値する。実際には「その症状と、認められる神経学(医学)的疾患とが適合しない」という表現に変更されている。(ちなみに「適合しない」とは原文ではDSM-5では "incompatible", ICD-11では "not consistent"である。)
 この変更は、conversion disorder において神経学的な所見が存在しないということを否定しているわけではない。しかし医学的な診断が存在しないこと(すなわち陰性所見)ではなく、医学的な診断と適合しないこと(つまり陽性所見??)を強調する形になっている。この違いは微妙だが大切である。

実はこの陽性所見という概念、簡単なようで難しい。DSM-5-TRの「9.身体症状症および関連症群」の冒頭部分にはこう書いてある。「むしろ陽性の症状及び兆候(苦痛を伴う身体症状に加えて、そうした症状に対する反応としての異常な思考、感情、および行動)に基づく診断が強調される。」(p.339)  ところがFNSに関しては、「その症状と認められる神経疾患または医学的状態が適合しないことを裏付ける臨床的所見がある」(p.350) とし、2ページ後にはそれについて「このような『陽性』検査所見の例は何十例もある」p.351)。つまり陽性所見の意味はかなり違うのである。

 例えば足が動かないという訴えの人に転換性障害の診断を下すとしよう。その場合、足に神経学的な病変がないことにより診断することは望ましくない。そこに患者の強いこだわり、すなわち「過度の思考、感情、行動」が見られることで診断が下るべきだというのだ。

2025年8月6日水曜日

FNDの世界 10

  ちなみに言うまでもないことだが、このFNDの”F”は機能性 functional のことであり、器質性 organic という表現の対立概念である。検査所見に異常がない、本来なら正常に機能する能力を保ったままの、という意味である。変換症(転換性障害)と呼ばれてきた疾患も、時間が経てば、あるいは状況が変われば機能を回復するという意味では機能性の疾患といえる。だからFNDは「今現在器質性の病因は存在しないものの神経学的な症状を呈している状態」という客観的な描写に基づく名称ということが出来よう。
 またFNDの”N”すなわち神経症状 neurologicalとは、神経症症状との区別が紛らわしいので注意を要する。ここでの神経症状とは通常は脳神経内科で扱うような症状、例えば手の震えや意識の混濁、健忘などの、知覚、感覚、随意運動などに表われる異常である。変換症が示す症状はこれらの知覚、感覚、随意運動などに表われる異常であることから、それらは神経症状症と呼ぶことが出来るのだ。それとの対比で神経症症状 neurotic symptoms とは、神経症 neurosis の症状という意味であり、不安神経症、強迫神経症などをさす。
 ところで以上述べたのはDSM-5における変換症 conversion という疾患についてであるが、変換(転換)という呼び方そのものを廃止しようという動きは、2022年の ICD-11の最終案ではもっと明確に見られた。こちらでは変換症 conversion という名称は完全に消えて「解離性神経学的症状症 Dissociative neurological symptom disorder」という名称が採用された。これはDSMにおける機能性 functional のかわりに解離性 dissociative という形容詞が入れ替わった形となるが、実質的にFNDと同等の名称と言っていいだろう。
 この conversion という表現の代わりにFNDが用いられるようになったことは非常に大きな意味を持っていた。その経緯を明日以降に示そう。

2025年8月5日火曜日

FNDの世界 9

 新時代の解離性障害及びFND

さてここまではもっぱらヒステリーについて論じてきたが、これは1980年代以降は「解離性障害」という名前になる。その意味では解離性障害 dissociative disorder」という診断名の歴史は意外に浅いのである。精神医学の世界で解離性障害が市民権を得たのは, 1980年の米国におけるDSM-IIIの発刊が契機であることは,識者がおおむね一致するところであろう。「解離性障害」がいわば「独り立ち」して精神科の診断名として掲載されたのは,この時が初めてだからだ。しかもややこしいことに、ここにFNDに該当するものは含まれず、実は今でもDSMではFNDは解離性障害に入らないという事態が続いている。
 むろん用語としての「解離 dissociation 」は以前から存在していた。1 952年のDSM初版には精神神経症の下位分類として「解離反応」と「転換反応」という表現が見られた。1968年のDSM-IIにはヒステリー神経症(解離型転換型)という表現が存在した。ただしそれはまだヒステリーという時代遅れの概念の傘の下に置かれていたのである。さらに加えるならば. Jean-Martin Charcot, Pierre Janetらが解離概念を提唱し,フランス精神医学において一世を風廃したのは19世紀のことであった。しかし彼らは精神医学の教授ではなかった。大学の精神医学においては解離は外形的な言動と子宮との根拠のない関連を推測してヒステリーと分類されており.これが上述のDSM-1, 11にも引き継がれていたのである。
しかしDSM-III以降. DSM-III-R (1987), DSM-IV (1994), DSM-5(2013)と改定されるに従い,解離性障害の分類は.少なくともその細部に関して多くの変遷を遂げてきた。またDSMに一歩遅れる形で進められた世界保健機榊(WHO)のICDの分類においても,同様の現象が見られた。そして同時にヒステリーや解離の概念にとって中核的な位置を占めていた「心因」や「疾病利得」ないしは「転換」などの概念が見直され、消えていく動きがみられる。
 世界的な診断基準であるDSM(米国精神医学会)とICD(国際保健機構)は,精神疾患一般についての理解や分類に関してはおおむね歩調を合わせつつある。そしてそれにともない従来見られた解離性障害と統合失調症との診断上の混同や誤診の問題も徐々に少なくなりつつあるという印象を持つ。
 ただし従来の転換性障害を解離性障害に含めるかどうかについては顕著な隔たりがある。すなわちDSMでは転換性障害は、「身体症状症」に分類される一方では、ICD-11では解離症群に分類されるのである。

変換症を身体症状症に含めるという方針はDSMでは1980年のDSM-III以降変わってはいないが2013年のDSM-5において、この名称の部分的な変更が行われたことは少なからぬ意味を持っていた。すなわちDSM-5では「変換症/転換性障害(機能性神経症状症)」(原語ではconversion disorder (functional neurological symptom disorder)となった。つまりカッコつきでFNDという名前が登場したのである。
 さらに付け加えるならば、10年後の2023年に発表されたDSM-5のテキスト改訂版(DSM-5-TR)では、この病名が「機能性神経症状症(変換症)」となった。つまりFNDの方が前面に出る一方では「変換症」の方がカッコ内に入るという逆転した立場に追いやられ、さらに「転換性障害」という言葉は「癲癇」との混同の懸念もあって削除されてしまったのである。
 こうして転換性障害は正式な名称からもう一歩遠ざかったことになるのだ。そして将来発刊されるであろう診断基準(DSM-6?)では「転換性障害」どころか「変換症」という名称も消えてFNDだけが残されるのはほぼ間違いないであろう。かくしてFNDが登場することとなったのである。

2025年8月4日月曜日

FNDの世界 8

 さらに以下のような長い記載が続くが、どこまで新しい原稿に使えるのかわからない。とにかく10年前の私はずいぶん真面目に書いたものだ。

ガレノスの説がこれほど長く続いたということは、それが当時抱かれた「ヒステリー」というイメージの本質に迫った説明の仕方であったことを示唆している。その一つの特徴は、それが事実上子宮を有する女性にのみ限定される病気であるとみなされたことである。そしてそれは従来社会でまた女性が直面していたタブーとも関係していた可能性があるのだ。一般的に文明が未発達であからさまなタブーが存在する社会においては、解離性の症状が一種の社会現象の形を取りやすい。文明の恩恵をまだ十分に受けていない文化において、さまざまな形での文化結合症候群が見出されてきたことは周知の通りである。そして女性の性愛性について語ることは、おそらく長年社会における最も大きなタブーのひとつであった可能性がある。ヒステリーを女性の性愛生の抑圧と結びつける傾向もそれらの事実と関連があるものと思われる。

このヒステリーに関する理論の中で特に興味深いのが、男性との性交がその症状を軽減する、という考え方である。再び好著「オーガスムのテクノロジー」の記載から17世紀の医学者による同様の記載も引用しよう。「妻たちは処女や寡婦たちより健康状態がいい。なぜなら彼女たちは男性の種と自らの分泌物によりリフレッシュされる。それにより病気の原因が取り去られるのだ。それはヒポクラテスの言葉のとおりである。」(Nicolaas Fonteyn, 1652)(Maines, 1998, p29)
今の時代からはとても考えられないことではあるが、当時はそれがまことしやかに考えられていたのだ。そして私はそこには男性の側のファンタジーが明白な形で介在している可能性があると考える。つまり「女性は常に男性との性的なかかわりを望んでいる」という男性の側の願望ないしは論理が、結果的にヒステリーに関するこのような間違った観念を存続させていたとも考えられるのではないか?
ちなみにこれから検討するフロイトの理論がしばしばさらされていた批判、すなわちあまりに性欲説に傾いているという批判も、実はヒステリーに関して長く信じられていた理論を考えればある程度納得できるものではないかと思われる。たとえばフロイトが治療した症例ドラ(Freud, 1905)は、後にフロイトの不十分な治療的かかわりについて批判される際にしばしば用いられるケースとなった。特にフロイトがドラに関して下した判断、すなわち彼女が実はMr.Kに対して向けていた性的な願望を抑圧していたためにそれがヒステリー症状に表れていたという下りは不興を買っている。しかしこのような考えは、実はヒステリーに関して十数世紀にわたって信じられてきたことを図らずも踏襲した理論に過ぎなかったともいえるのである。つまりはフロイトだけがとんでもなく極端というわけでもなかったのだ。
さて話の順番としてはここからシャルコーの話になるわけだが、シャルコーについて振り返っておくことは、それに引き続いて起きたジャネとフロイトの因縁の対立を理解する上で必要となる。ある意味ではジャネとフロイトという二人の人間のすれ違いが、そのまま精神分析と解離理論とのすれ違いの原因となったとも考えられるのだ。またそれが心理学にそれだけの幅と深みを与えた、と考えることもできるかもしれない。そこでこれを探ってみたいと思う。

ヒステリーの外傷説の火付け役だったシャルコー

ヒステリーに対する上記のような偏見を取り去り、それを医学の土俵に持ち込んだのが、シャルコーだったことについては異論の余地はない。彼自身もある時点で解離や人格の交代という現象に出会い、それに魅せられたという、いわば「原体験」を有していたわけであるが、彼はそれをパリのサルペトリエール病院で体験した。サルペトリエール病院は、巨大な精神病院であり、現在でもサンタンヌ病院とともにパリに存在するが、当時のサルペトリエール病院は何千人単位の膨大な数の女性患者を収容していたという。
シャルコーは1962年にサルペトリエールの医長に任命され、そこでの希少な患者について観察し、華々しい研究成果を上げた。シャルコー・マリー・トゥース病とか、ALS(筋萎縮性側索硬化症、別名シャルコー病)などの病気を発見し、多発性硬化症を最初に記載し、また関節の疾患の一種、いわゆる「シャルコー関節」についても知られている。シャルコーはすでに神経疾患を発見し、かなりの名声を得ていた後で、この病院でヒステリーの問題に取り組んだことになる。
シャルコーのヒステリーに対する関心については、1870年にサルペトリエールの「女性痙攣病棟」つまり痙攣(convulsion)を主訴とする女性患者が集められた病棟も担当したことが大きな転機となった。この痙攣病棟とは、要するに痙攣発作を症状とする患者の入院施設だったが、このころはその痙攣発作が脳波異常を伴ったてんかんによるものか、ヒステリー性(すなわち解離性)のものかを区別する手立てはなかった。当時は脳波計などという便利なものはなかったからである。ということはシャルコーが記載したヒステリーは、実はかなりの部分がてんかんの患者についてのものだったということも考えられることになるだろう。
シャルコーの全盛時代は、サルペトリエール病院で火曜レクチャーというものを開き、そこにはヨーロッパじゅうから有名な精神科医や芸術家や文化人が出席したといわれている。そしてそこではヒステリーの患者が多く供覧されて、シャルコーが催眠をかけると実際に様々なヒステリー症状を起こしたという。シャルコーの講義にしばしば登場した女性たちの中でブランシュ・ウイットマン Blanche Wittman という患者はヒステリーの女王 la reine des hysteriquesと呼ばれていた。彼女は火曜講義などで嬉々として三つの段階のヒステリー症状をデモンストレーションしていた。聴衆はその見事さに魅了され、シャルコーの名前はますます高まったのであった。
シャルコーはさまざまな症状の現れ方をするヒステリーを説明する手段として、ヒステリーの大発作という概念を提出した。そしてこの大発作が四つの段階(「類てんかん期」「大運動発作期」「熱情的態度期」「譫妄期」)を示すと考え、それを詳細に記載したのである。こうすることでヒステリーのさまざまな症状は、この大発作の部分的な現われや亜系であると説明することが出来たのである。しかしここでシャルコーが試みたのは、むしろ理論に患者を合わせるということであった。先程も述べた事情から、サルペトリエールの痙攣病棟には真性のてんかん患者も入ったわけであるから、シャルコーはヒステリーの患者の中に当然ながらてんかん患者を混入させていた可能性が高い(Webster, 1996)。さらにはヒステリーの患者はてんかん発作を有するほかの患者を真似ることが出来たことも想像に難くない。すなわちシャルコーがヒステリーと呼んだ患者の中には、解離性障害の人とてんかん発作を有する人、そしててんかん発作をまねた形で解離性の症状を示している人が混じっていたことになる。それを全部まとめてヒステリーとし、その病型を分類することにどのような意味があったかは推して知るべし、だろう。
さらに問題だったのは、臨床講義に供覧される患者たちの多くは、どうやら病棟でいろいろ指導や打ち合わせをしたりしながらヒステリー症状を演じていたということがわかったことである(Ellenberger, 1979)。シャルコーは病棟の回診などにはあまり興味がなく、弟子たちが用意した患者をオフィスや講義で診ていただけであったという。だから弟子たちと患者があらかじめ打ち合わせをしていたことは知らなかったということになるが、真相はわからない。しかしやはりそこにはシャルコーの性格的な特徴が関係しているといえるであろう。彼は非常に自己愛的で自己顕示性が強く、また名誉欲も旺盛であったわけである。一世を風靡し、大きな名声を得る人の多くは、物事を劇化し、多少なりとも脚色してそれをリアリティとして表現する傾向にある。あとからそれを検証するとそこに虚偽や脚色が混じっていたりする。シャルコーの場合もそれに当てはまっていたといえるだろう。
その後シャルコーが旅行中に突然亡くなった後は、彼のヒステリーの理論が、残された弟子たちによっては省みられなくなったことはある程度やむをえなかったといえるかもしれない。彼が提示していたヒステリーの患者たちがあらかじめ打ち合わせをしていたことを知っていたのは、当のシャルコーの弟子たちだったからである。それまでシャルコーに忠実だったババンスキーも(いわゆる「バビンスキー反射」で有名なフランスの神経学者である)、師の神経学的な業績のみ受け継ぎ、催眠については暗示によるものであり、一種の詐病と一緒だ、という論文を書くようになったということである。
そしてシャルコーによる「催眠は身体的な現象である」、という理解も顧みられなくなり、ライバルであったナンシー学派(催眠を暗示により正常人でも生じる現象として捉えた)の考え方が取り入れられ、それにより催眠は心理の分野の現象として扱われるようになった。そして同時にヒステリーは正式な医学の研究対象としては脱価値化されるようになったのだ。
現在の観点からシャルコーのヒステリーに関する臨床研究を振り返った場合、そこにあったひとつの過ちは、シャルコーがヒステリーを自分の専門の神経学に属する疾患として整理し理解しようとしたことである。この方針をとることで、シャルコーは大いに道を誤ることになった。というのもたとえば彼の発見したALS(筋萎縮性側索硬化症)には定型的な症状があり、それに相当する神経系統の病理学的な異常が認められており、客観的に示すべき所見を伴っていたわけである。それは彼が発見したもう一つの病気であるシャルコー・マリー・トゥース病についても同様であった。
ところがヒステリーや解離性障害の場合、それはあまりにたくさんの表現形態をとり、どれか一つに絞ることは出来ない。極めてアモルファスでとらえどころのない病気といえるのだ。しかも解離症状は一種のブランクスクリーンのような性質を持ち、たとえば目の前の治療者が、「あなたは~という症状を示すはずである」と示唆した場合にはそれを実現してしまいかねないところがある。つまり患者はシャルコーが「これがヒステリーのあり方だ」と結論付けたものをそのまま示して見せたという可能性が高いわけだ。それがヒステリーの有する被暗示性の表れであり、この疾患の本質であるということにシャルコーは気がつかなかったのである。

このような批判はあっても、シャルコーがヒステリーの研究に非常に大きな貢献をしたことも確かである。例えばシャルコーはヒステリーは女性特有のものではなく、男性についても起きることを、実際に男性の患者を供覧することにより示した。またシャルコーは、ヒステリーが心的外傷一般、すなわちたとえば思春期以前の性的外傷によっても、そのほかの外傷(鉄道事故とか、はしごからの転落事故など)に対する情緒的な反応によっても起きることを主張したとされる。そしてこのヒステリーの外傷説が、フロイトの理論形成に大きな影響を与えたのである。ただしそれでもシャルコーはある意味ではヒステリーに関する俗説をそのまま引き継いでいるというところも否めなかった。そしてこれもフロイトが引き継いだ部分でもあった。
フロイトは1886年にシャルコーの家のレセプションに招かれて、シャルコーがヒステリーの患者について話しているのを聞いたという。深刻な病状の若い女性について、シャルコーは「そういうのは常に、性器的な問題なのだ、いつも、いつもそうなんだ。」Dans ces cas pareil, c’est toujour la chose génitale, toujours, toujours. これにまねて、ウィーンの有名な産婦人科医が、ある不安発作の女性の患者を、夫のインポテンスのせいだといい、唯一の処方箋は「正常なペニス、反復的な使用Penis Normalis dosum repetatur」、といったというエピソードがあるという(Gay, 1998, P92.)。
繰り返すがシャルコーもある意味ではヒステリーと女性の性的欲求を結び付ける俗説を引きずっていた。しかしシャルコーの慧眼は、彼のヒステリーへの理解がここで終わらなかったところにあった。結局はこのヒステリーと、男性の鉄道脊椎が同じ性質のものだということも理解していたからである。

2025年8月3日日曜日

対談を終えて 4 

 さて、ポジティブフィードバックはある行動がどんどん強化されるのが特徴なのだが、それが生じるのが依存症の状態である。そこでは脳の中脳部分にある側坐核のグルタミン酸の信号が感作される(どんどん敏感になる)ことが知られているというのだ。ちなみに依存症に関わる神経伝達物質としては、ドーパミンがよく知られているが、最近はドーパミンとグルタミン酸の両方が側坐核において相まって嗜癖を形成するということが知られるようになっているという。そしてこの二つはそれぞれ別の役割を持つという。ドーパミンは「欲しい!」という気持ちを生むが、グルタミン酸はそのための行動に導く役割を果たすという。AIはそれを以下のように説明してくれる。

  • ドーパミン:その刺激が「快楽」や「報酬」として感じられる瞬間の「やる気スイッチ」。

  • グルタミン酸:「その行動をどうやってやるか」を記憶し、脳内にルートを敷く。
    たとえば性衝動を例にとると、

  • ドーパミンが「見て!AVの画像!これは楽しいぞ!」と言い、

  • グルタミン酸が「いつもの流れでスマホを開いて、トイレにこもって、あのサイトに行こう」と導く、ということになる。そして結果的に「自動反応のような衝動的行動」が形成されるというのだ。

そしてこの両方の神経伝達物質が異常をきたしているのが、依存症、というわけである。

さてこのような前提に立ったうえで、Prause らは、男性の性愛性は、依存症ではないと主張している。それはその際に起きているはずであるグルタミン酸ニューロンの過敏さが起きないからだという。以下はAIによるまとめ。

Prauseらの主張:CSBDは「嗜癖とは異なる」なぜならCSBDにおいては報酬系(側坐核)におけるグルタミン酸作動性のニューロンの過敏化は見られなかったからであるという。