2025年12月26日金曜日

PDの精神療法 書き直し 4

  BPDの精神療法

BPDの精神療法的アプローチは、以下に示すものも含めたさまざまなものが提案され、その効果についてのエビデンスも示されている。それらは一貫して前頭前野の活動の低下と扁桃核の亢進というBPDの神経学的な特徴を緩和する方向に働ているとみることもできる。しかし一貫して言えるのは、そこでの治療関係のあり方が最も重要なファクターであるという事である。ただしBPDの精神療法の効果について論じることの難しさは、患者の多くがうつ病などの併存症を有していることにある。Fonagy, 206)

 現在BPDの治療として無作為化対照比較試験 (RCT)による有効性が確かめられているのは以下の7つである。

メンタライゼーションに基づく治療 (MBT, Bateman and Fonagy, 2009)、転移焦点づけ療法 (TFP, Clarkin et al. 2007)、弁証法的行動療法 (DBT, Linehan 2006)、スキーマ焦点づけ療法(Giesen-Bloo et al. 2006)、情緒予見性と問題解決のためのシステムトレーニング (STEPPS, Blum et al. 2008)、一般精神科マネジメント(GPM, McMain et al. 2012)、力動的脱構築精神療法 (DDP, Gregory et al. 2010)

 このうちのいくつかについて、以下に述べる。
MBT(メンタライゼーションに基づく治療)の治療の要は、患者のメンタライゼーション機能の強化である。治療者は患者の子供時代の安全な愛着体験が相対的に欠如していたことへの認識を持ち、明確で首尾一貫した役割イメージを保持し、自分自身と他者の行動が内面の状態により動機付けされることについての患者の体験的な理解を促進する。それにより可能な限り自己及び他者に関する多様な視点の可能性を示すのである。そのために治療者は患者の現在あるいは直前の感情状態を、それに付随する内的表象とともに示すことを試みる(Bateman and Fonagy, 2004)。フォナギーはMBTにおいて患者が自分の姿を治療者の心に見出す能力を高めると表現する(Fonagy, 1999)

Fonagy P (1999) The process of change, and the change of processes: what can change in a "good" analysis? Keynote address at the spring meeting of Division 39 of the American Psychological Association,NewYork, Apri,1999.

TFP(転移焦点付け療法)Otto Kernberg (1984) BPDの精神分析的な治療概念に基づき発展した(Clarkin et al 2007) 。心的表象は内在化された養育者との愛着関係に由来し、治療者との間で再体験されるという理解に基づく治療を行う点はMBTの類似する。主たる治療技法は、患者と治療者との間で展開する転移関係の明確化、直面化、および解釈である。しかも治療早期から、転移の中でも特に陰性転移が扱われるとのことである。2回行われるセッションは、治療契約と明確な治療の優先順位に基づいて構造化された枠組みを持つ。なおこのTFPは境界パーソナリティ障害の治療を目的として始まったが、他の障害を持つ患者についてもその対象を広げている。

Clarkin, J.F., Levy K.N., Lenzenweger M.F. et al .: Evaluating three treatments with borderline personality disorder: a preliminary mu1ti-wave study of behavioral change. Am J Psychiatry 164(6);922-92. 2007
Kernberg, O.:Severe Personality Disorders: Psychotherapeutic Strategies. Yale Univ Press 1984(西園昌久: 重症パーソナリティ障害―精神療法的方略. 岩崎学術出版社, 東京, 1997)

DBT(弁証法的行動療法)は米国のMarsha Linehan (2006) により自殺傾向の強いDBTの患者を対象に開発された認知行動療法の一種である。米国精神医学会によりBPDの治療として推奨されているが我が国での普及は十分とは言えない。DBTにおいては患者は問題解決のための感情調節のスキルを学ぶとともに、自身に対する妥当性を承認される環境を与えられる。治療は個人療法とグループスキルトレーニングなどの複合的な構造を有し、このうちグループスキルトレーニングでは、マインドフルネス・スキル、対人関係保持スキル、感情抑制スキル、苦悩耐性スキルを高めることを目指す。

Linehan M.M., Comtois, K.A., Murray, A.M. et al. :Two-year randomized controlled trial and follow-up of dialectical behavior therapy vs. therapy by experts for suicidal behaviors and borderline personality disorder. Arch Gen Psychiatry 63(7);757-766. 2006

遊佐安一郎、 宮城整ほか (2019) 感情調節困難の家族心理教育―境界性パーソナリティ障害,神経発達障害,摂食障害,物質関連障害,双極性障害などで感情調節が困難な人の家族のために― 精神経誌 第121巻第2号 pp131ー138

DDP(Dynamic Deconstructive Psychotherapy 力動的脱構築精神療法)は、ボーダーライン・パーソナリティ障害(BPD)や自殺傾向のある患者のために開発された精神療法である。この治療法は、対象関係理論や神経科学、脱構築哲学などを盛り込んだ治療指針を有し、リカバリーを目的としたものである。それは問題解決やアドバイスではなく問題の背後にある脆弱さに注目し変革的な癒し transformative healing を提供するものとされる。
Gregory RJ,De lucia-Deranja E, MogleJA (2010) Dynamic deconstructive psychotherapy versus optimized community care for borderline personality disorder co-occurring with alcohol use disorders: 30 months follow-up. J Nerv Ment Dis 198:292-298.


2025年12月25日木曜日

PDの精神療法 書き直し 3

 BPDかASDかCPTSDかを判断するという方針は治療を見据えたPDを知る上での一つの指標であると考えたい。それは何よりもこれらが昔で言う第一軸診断に関与しているからである。例えばある否定的感情や離隔、制縛性などが特徴な人に関して、その人がASDの診断基準を(少なくともある程度は)満たすことに気づかれた場合、その治療指針はより支持的で心理教育的な要素を持つことになるだろう。また過去のトラウマが存在し、否定的感情、離隔などが顕著な特徴とされる人の場合、その人がCPTSDを満たすことでよりトラウマに焦点づけられた治療が求められることになるだろう。

Gabbard によるPDの心理療法の9か条 

PDに対する心理療法を行うにあたり心がけておくべきことをGabbard2017)は実証的な研究と脳科学的な研究から以下の項目について必要性を語っている。これらはこれは主としてBPDの治療に向けられたものであるが、広くPD一般に通じるものと考えられる。これに加えて筆者が必要と感じる項目を以下に述べる。

1.柔軟性を保持すること治療者は患者のニーズに合わせ、治療者のそれまでの訓練に基づく治療技法やアプローチを柔軟に用いるべきであろう。理論にとらわれず、探索的なアプローチと支持的なアプローチはその時々で柔軟に使い分けられるべきであろう。特にBPDの治療に際しては治療者が情緒的に揺さぶられることも多く、治療構造を守ることの重要性は言うまでもないが、初心の治療者がそのために防衛的になることは、患者にとっては冷淡で反応に乏しいと思われがちになることに気を付けなくてはならない。治療はいわば患者との「ダンス」であり、そこで患者が持ち込む様々な関係性のパターンを体験することになるが、そこでの治療者の自発性もまた大きな意味を有する。
2. 精神療法を実行するための条件を確立すること特に確かな治療構造と治療契約を結ぶことが重要となる。そしてその治療構造は患者にとっても治療者にとっても安全が確保されるようなものである必要がある。そして治療者は差し迫った自殺の危険性に対しては入院も必要となる可能性があること、治療者に何が出来て何が出来ないかを伝えることも推奨される。セッション間の電話などによる通信に関しては治療スタイルにより異なる対応がなされるが、危機的状況では連絡がつくようにすることは患者が理解され抱えられる感覚を得るためには必要であろうとされる。

 3.受け身的なスタンスを回避すること。治療者は受け身的なままにとどまらず、患者が見ようとしていないものにも目を向けることを促すべきである。治療者は患者に、変化を起こすためには努力が必要であるということを伝え、よりよい刺激を与えるために治療者は積極的であるべきことを強調する。そして患者が自分のことを考えること、として他者の気持ちを考えることの努力がBPDの治療のためには必要である点を強調する。
4.「悪い対象」となるという役目も引き受ける用意を持つこと。患者の多くはわずかなトリガーに反応し、治療者に怒りを向けることがある。それは半ば生物学的に定められている。治療者は客観的、中立的な存在のままでいたいという願望を放棄し、言わば「程悪い対象 bad-enough object」となることをいとわないことも重要である。患者から怒りや攻撃性を向けらた時に「程よく悪い対象」になることを引き受けることで、無反応な治療者を力ずくで動かしたいという患者の試みを回避することが出来るかもしれない。
5.怒りの背後にある痛みに共感すること。患者からの挑発に怒りで返すことは、BPDの患者の過去において繰り返された対象関係に加担することになる。むしろその背後にある患者の傷付きに注目すべきである。従来の考え方では、患者が本来有する攻撃性の解釈が有効であるとされるが、これには例外がある。特にトラウマを受けた患者の場合はその傷が十分に癒えることが第一の目標となろう。
6.メンタライゼーションを促進すること。後に述べるようにBPDの治療において中核的となるのが、患者が自分自身の思考や行動が他者の心にどのように映るかについての理解を深めることである。例えば患者の挑発的な言動について、それを咎めたり早計な解釈を行ったりするのではなく、詳しく尋ね、それが外界の他者ないしは治療室における治療者にはどのように映るかについて率直に話し合うという方向性が重要となる。
7.必要な時に限界設定を行うことこれは上述の治療構造とも連動して強調される。治療構造を設けることは、治療者が恣意的ないしは懲罰的に患者に対する限界設定を行っているという誤解を防ぐ意味でも重要である。
8.治療同盟を確立し、維持すること。 PDの心理療法においては治療関係やラポールの成立や維持が極めて重要であり、治療の成否を占うものであるともいえる。そしてそのために必要なのが、最後の項目である。
9.逆転移感情をモニターすること治療者が自分が治療場面でどのような感情状態にあるかについて知ることは、力動的な治療を超えて恐らくあらゆる治療のモダリティにおいて必須である。そのために治療者は適切なスーパービジョンやケース検討の機会を利用する用意がなくてはならない。

10.トラウマの視点を忘れないこと。今の患者のあり方が過去に経験したトラウマを反映している可能性があるという視点を保ち続けることで、患者に向ける共感の質や度合いが変わることがある。もちろんそれはすべてをトラウマで説明しようとする試みとは異なることは言うまでもない。

11.患者を変えようと思わないこと。治療者が治療的なヒロイズムに陥り、患者の不適応的な側面を改善しようと試みることは、時には患者に多大なストレスとなる。患者が発達障害傾向を有する際には、特的のものの見方や行動パターンを変えることは自分の感覚を失うことに匹敵するような意味を持つ。


2025年12月24日水曜日

PDの精神療法 書き直し 2

見立てにおいて必要な指針(BPDかASDかCPTSDかの視点)

患者のヒストリーを追い、その「認知、感情、対人関係、衝動の制御」(DSM-5)に基づくPDの診断を考慮する際に、従来の臨床家なら、DSMの10のカテゴリーの中のどれに一番当てはまるかを考えるかもしれない。しかし現代の精神科医はもう一つの考える指針を手にしている。それはDSM-5の第三部の代替案やICD-11のディメンショナルモデルに掲げられた「特性」を手掛かりにするという方針である。そしてその際患者がどのようなPDを有するのかを特定する必要はない。それはPDの程度(軽度、中等度、重度)と顕著な特性をいくつか挙げるだけでいいことになっている。

 特性 trait としては、DSMとICDで多少の差はあるものの、以下の5つが提示されている。ここではICD-11 に従うと、否定的感情(鬱・不安などのネガティブな感情が支配的である)、離隔(他者との対人的・情緒的距離を保つ)、非社会性(他者の権利や感情を無視する)、脱抑制(唐突に行動する)、制縛性(強迫的な思考、行動パターン)の5つであるが、そこに並んでボーダーラインパターン(不安定な対人パターンや衝動性、見捨てられ不安)が加えられる。つまり患者の話を聞きながら、これらの特性のどれがどのくらい強いかを考える事になる。
 ただしここに二つの大きな要素が加わることを忘れてはならない。それは最近精神科医や心理士の間で急速に関心が高まっているASD傾向、そしてCPTSD(複雑性PTSD)に見られるパーソナリティ傾向である。
 ちなみにこれらは実はカテゴリカルモデルにも、ディメンショナルにもみられないものである。要するにディメンショナルモデルの5つは Goldberg のいわゆる big five factor に由来し、少なくとも半分は遺伝的に支配されるものと想定していたというところがある。つまりこれらが定められた過程で発達障害や幼少時のトラウマという観点は薄かったということである。ところが臨床的には多くの患者が多かれ少なかれASD的な特性を併せ持ち、また幼少時の愛着に関連するトラウマを抱えているという事実がある。
 このように考えると、ASDにおいては、否定的感情、離隔、制縛性などが関与し、CPTSDにおいては否定的感情、離隔などが顕著な特徴として表れている可能性がある。そしてPDの傾向としてはBPD傾向に加えてこれらのファクター(BPDかASDかCPTSDかの視点)を念頭に置いて見立てを行うことを私は臨床家に勧めたい。 


2025年12月23日火曜日

JASDの2025年年次大会について

 JASD(日本解離研究会)の年次大会が12月14日にあったのでそのことについて忘れないうちに書いておきたい。今年は市ヶ谷のアルカディアでの開催であった。特別講演に内海健先生をお招きし、また学術講演は野間俊一先生、ケース報告は松井浩子先生が担当し、最後はシンポジウムで盛り上がった。全体としていい会であったと思う。参加者もオンラインを含めて200名近くあったと聞く。
私としては身近に感じていながら一度も学会での発表を聞いたことがなかった内海先生の講演が聞けたことが一番の収穫であった。今、精神病理学会ではASD(自閉症スペクトラム症)の研究が盛んであるというが、内海先生の「自閉症スペクトラムの精神病理」(医学書院、2015年)をこの大会を前にして読み、初めて精緻なASD論の存在を知ったという経緯がある。そしてこれが英訳されて海外に知られていないことを非常に残念に思った。柴山理論にせよ、野間理論にせよ、日本には世界に知られていない研究業績が山のようにある。近い将来日本語で発表されたものがすぐさまAIにより英訳され発表されるという時代が来ると思うが、それを待ち遠しく感じる。
しかしそれにしても、柴山先生、野間先生、そして私のグループがもう20年近くこの会を12月の第2日曜日に開き、徐々に年齢を重ねていくことに不安を感じる。柴山先生も後の懇親会で言っていたが、今後解離に興味を持つ若手にぜひ参加して欲しいと願う。 

2025年12月22日月曜日

PDの精神療法 書き直し 1

 見立て

PDを有すると目される患者とのインテークでは、面接者はその抱えている問題の全体像の把握を試みる。患者はそのPDにより自ら困り、あるいは周囲が困っていることになる。DSM-5の表現を借りるならば、「臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、またはほかの重要な領域における機能の障害を引き起こす』とあり、ちょっとスマートな書き方になっているが、実際は同じ意味である。そしてPDについて考える際に、それが「その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った、内的体験および行動の持続的様式でこの様式は以下のうち二つの領域に表れる。認知、感情性、対人関係機能、衝動の制御」というわけだが、実際に患者は「自分は〇〇というパーソナリティの問題がありまして・・・・」と言って訪れるわけではない。大抵は「~という事で困っています」だったり「周囲から受診を薦められました」だったりする。あるいは何らかの症状(鬱、不安など)で受診をしていて主治医からカウンセリングを勧められたと言って来談なさり、その場合には自分が有しているかもしれないパーソナリティ症には比較的無自覚だったりする。それはヒストリーを追っていった面接者が「ああ、ここにはPDが絡んでいるのではないか?」と始めに気がつく、という形をとるかもしれない。いずれにせよ主訴を同定して、見立てをし、治療方針を決める、という段取りでスムーズには進んでは行かない可能性がある。


2025年12月21日日曜日

JASD 終わったけれど 3

解離について:

問題はΦの成立が解離性の人格の形成にとって必須かということである。内海氏の立場は以下の通り。
ASDでは他者から影響を被りにくいという事はない。むしろそれが非常に強い場合もある(直観的な共鳴、体験の地続き性)。ASDの「自己質量は軽い」からこそ影響もうけ、翻弄される。自分=司令塔はそもそもΦの存在に由来するが、ASDでそれが不十分、ないしは不在であるという事は、「自分がない」状態とも言える。

このように被影響性が強く、かつΦが未形成であることは、解離性の病理を生み易い、と内海は言う。ASDで「物まねをするとその人そのものになる」という傾向が指摘されるが、それは最たるものであろう。ドナ・ウィリアムズの、他者の視線に飲み込まれるという体験も同じであろう(内海、147))。
 例えば母親の「いい子でいなさい」と言われると、それが「いい子」の人格を生むという場合を考えよう。ASDの場合、「いい子でいる」は直接入って来る。母親の心を媒介にはしていないという事だ。それは言い方を変えると、母親の考えが自分を押しのけて、もう一つの自分となるのだ。ASDにおける自己の質量は軽いから(内海)すぐ飛んで行ってしまう。ニュアンスとしては「玉突き現象」だ。

それに比べて定型者の場合、「あなたはいい子よ」という母親の心が入ってきて自己と衝突するが、質量をもっている自己は消えずに背後に回る。少なくともそこには一種の葛藤が生じる。これは同じ玉突きでも、自己は飛んでいかずに席を譲る。


2025年12月20日土曜日

JASDに向けて もう終わったけれど 2

 文脈が読めない:Φは一頭地を抜く存在であり、それがないと「文脈が分からない」という事になる。俯瞰できずに文脈に飲まれてしまうからだ。これがいわゆる「空気を読めない」という現象になる。そしてこれは(文脈を)「読む」という言い方をしてはいても直観的にわかるものである。


mind reading の有無:Φが成立しているということは他者のまなざしに触発され(ハッとして)、羞恥心を持つという体験につながる。まなざしが私たちの心を揺さぶるのは、そこから無限の共鳴状態(岡野)が始まるからだ。相手の視線を通じて対象化される自分。それは自分を対象化する(すなわち自分がある)視点と重なる。自意識を持つ人は、たとえば「自分はこんな恥ずかしいことをしていて、人には言えないな」と感じるだろうが、それを丸ごと目にするかもしれない人の存在に驚愕するのである。それゆえに他者の視線は怖いが、その自分が実は他者に対して同じことをしている。そのことを向こうも知っている。つまりそこには無限の交互性がある。例の対人関係における「無限地獄」である。
この無限交互の世界に入ることは、他者と会うという行為がそのままその他者の自分に対する経験のモニターの成立を意味する。世界は他者体験が「込み」になり、対象は「もの」(視線触発をしてこない)と他者(してくる)に分かれる。またそこで自分が存在していないと、この無限交互的な体験は「自分を失う」という恐怖を伴う体験となる。