解離症状としての知覚異常と幻覚
このように幻覚を含む知覚異常は多岐に及び、その機序を解明することは難しいが、それらのうち器質的な原因が明らかでないものを解離の文脈でとらえる傾向が近年みられる(Longden, et al. 2012)。そこで改めて解離性障害の症状としての知覚異常は精神医学的にはどのように位置づけられているかについて確認しよう。
DSM‐5‐TR(2022)においては知覚異常などを含む転換性障害は「8.解離症群」とは別の「9.身体症状症および関連症群」の中に「機能性神経症状症(変換症/転換性障害)」として分類されている。またICD-11(2022)では同障害は解離症のカテゴリーのもとに「解離性神経学的症状症」として記載されており、筆者はこちらの分類の方が理にかなっていると考えている。
DSM-5における機能性神経症状症の感覚症状については、「皮膚感覚、視覚、又は聴覚の変化、減弱、又は欠如が含まれる」とあり、症状の形態としてはあらゆるものを取ることを想定している。また診断基準としては「認められる神経学的、ないし医学的障害と症状の間に不一致があること」が挙げられ、またストレス因は関係している場合もそうでない場合もあるとされる。DSM-5日本語版、p.314‐315)すなわち解離性の知覚異常は、場合によってはある心理的な要因を伴って生じ、またその表れ方が状況により変動するという性質を有するものと理解されているのだ。
ここで解離性の知覚の異常には、解離の陰性症状としての、知覚脱失も生じうることに注意すべきであろう(構造的解離)。また解離性の知覚異常を捉える際に重要なのは、それがその他のあらゆる精神性、運動性、感覚性の解離症状を随伴し得る可能性があることにも注目したい。ここではそのようなあり方をする古典的な例を示しておくことが有用であろう。
症例アンナO.(ブロイアー)に見られる知覚異常
ここで紹介する症例(アンナO) は J.Breuer と S.Freud による「ヒステリー研究」(1895)で直接治療に当たったBreuer によりきわめて詳細に紹介されている。このケースは解離性障害が示しうる症状群を一挙に紹介してくれるという意味ではとても参考になる。その中で彼女がどの様な文脈の中で幻覚ないし知覚異常を示したかを知る意味でも簡単にまとめてみよう。
フロイト全集 2 1895年 ヒステリー研究 芝伸太郎 (編集, 翻訳)岩波書店、2008年
アンナO.の発症は彼女が敬愛する父親の発病(1880年7月)をきっかけに始まった。そしてそれは多くの症状が複合したものであった。つまり「特有の精神病、錯語、内斜視、重篤な視覚障害、手足や首の完全な、ないし部分的な拘縮性麻痺」である(フロイト全集、p.25)。そして父親の容態と共に彼女も徐々に憔悴し、激しい咳と吐き気のために父の看病から外される。
ここでBreuerが呼ばれたが、彼はアンナが二つの異なる意識状態を示すことに気が付く。一つは正常な彼女だが、もう一つは気性が荒く、又常に幻覚を見たり、周囲の人をののしったり枕を投げつけたりしたという。これがいわゆる意識のスプリッティングという現象であったが、それは多彩な幻覚を伴っていた。その一つは黒い蛇であったが、それは彼女の髪やひもが変容したものであったという。それと共に最初は午後の傾眠状態で現れた解離症状に錯語(言語の解体)や手足の拘縮が伴うようになった。
また特有の色覚異常も伴い、特定の色だけ、例えば自分の服の色だけ、それが茶色であることはわかっているのに青に見える、などの体験を持った(p.39)。そしてそれは父親が来ていたガウンの青色が関係していることが分かったということだ。
Breuer はまたアンナO.に見られた聴覚異常についても丹念に記録している。それは誰かが入ってきても、それが聞こえない、人の話が理解できない、直接話しかけられても聞こえない、物事に驚愕すると急に聞こえなくなる、などである。(p.43)
ここで興味深いのはアンナO. の幻覚はそれ自身が単独で生じているのではなく、実に様々な解離症状(意識の混濁や言語の解体や手足の拘縮など)を伴っていたということである。さらに彼女の知覚異常についていえば、それが時に応じて様々な形を取り、いわば浮動性を有していたことも特徴的である。
このようにアンナO.の体験した幻覚はその陰性のものも含めて様々な身体症状の出現の一つとして現われていたということがわかる。そしてそれは固定した病状を取ることはなく、時間とともに変遷し、また心理的な働きかけにより消長を見せたのである。
トラウマとの関連性
上述のアンナO.の例のように、解離性の知覚異常は心的なトラウマが引き金になることが多い。その中でもPTSDで見られるフラッシュバックはその代表と言える。これは過去のトラウマ体験が突然知覚、感覚、情緒体験と共に蘇る現象である。
このフラッシュバックを解離の文脈でどのように位置づけるかは議論が多かったが、DSM-5(2013)はそれを解離性症状としてとらえるという新たな方針を示した形になる。
DSM-5のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断基準にはDSM-IVに加えて「フラッシュバックなどの解離体験」という表現が加えられた。つまりフラッシュバックを改めて解離性のものとして理解する方針が示されたのだ。(DSM-5の記載はより正確には、「トラウマ的な出来事が再現されているかのように感じたり行動したりする解離反応(例えばフラッシュバック) となっている。)
DSM-5においてPTSDの症状を解離の文脈からとらえるという傾向は、いわゆるPTSDの「解離タイプ」が記載されたことにも表されている。つまりPTSDの症状に「離人体験かまたは非現実体験」の形での解離症状がある場合には、それが「解離を伴うPTSD」と特定することとなったのである。
近年の疫学的研究も、解離傾向と幻覚体験及びトラウマについての相関性を示している。特に小児期の性的虐待は統合失調症や双極性障害や一般人において幻覚との関連が報告されている(Varese F, 2012).直近ではJones et al (2023) によれば、主観的なトラウマの深刻さは幻覚傾性hallucination-proneness との相関があり、また幻覚形成と解離体験にも顕著な相関があると報告している。そして解離体験は主観的なトラウマの深刻さと幻覚傾性、特に幻聴との仲介をしているとされる。
Jones, O., Hughes-Ruiz, L., & Vass, V. (2023). Investigating hallucination-proneness, dissociative experiences and trauma in the general population. Psychosis, 16(3), 233–242.