2025年1月18日土曜日

統合論と「解離能」 7

 


ここでこの図を見ていただきたい。これは野間先生がDBSの説明をなさっている論文からお借りして、私が少し変えたものである。この図にあるように、人間の心の状態は、いくつかの代表的なプロトタイプに分かれているというのがDBSの趣旨である。ここで「いい子の自分」「父親に甘える時分」、「父親におびえる自分」あるいは「父親と性的なかかわりを持つ自分」などを例として挙げているが、これは父親からの性的虐待を受けた娘の場合に相当し、それらの間を流動的に変わることが出来ず、甘える自分からおびえる自分にポンポンと飛ぶ傾向を示す。このあり方がDBSの「離散的 discrete 」という意味である。そしてそれは父親が豹変することに対応を迫られた子供が作り出した複数の自己状態ということになる。通常は甘えている時の自分の状態とおびえている自分の状態は、それらがさほど極端でない場合は連続しているはずであり、それをまとめているのがForrest 先生の説によるとOFCということになる。しかし解離となるとOFCの力も及ばず、それぞれが切り離され、思い出せないことになる。

ところでおそらくハウエル先生の本で読んだと思うのだが、いくら探しても出てこない。それは治療とは虹色の他者に対してこちらも虹色で出会うことが出来るようになることだという内容であった。そこで私の言葉でこのことを書いてみよう。要するに普通の人が様々な感情状態を示すのに対して(つまり天然色で生きているのに対し)、解離を持つ人はそれに自分も天然色を出しながら対応するのではなく、例えば光の三原色のように、赤、青、緑の飛び飛びの反応しかできないということが起きている。それが基本的にはDBSが述べていることである。ではどうするのか。それは3つの色を12色に、さらには24色にしていくということだろう。これがハウエルさんの言った、文脈的な相互依存性 contextual interdependence というのはわかりやすく言えばそういうことだ。しかしその3つを無理に統合すると、白の一色になってしまう。(色の三原色で言えばクロになる)。それではいけないだろう。天然色同士の人間関係が彼らの言う意味での健全な生活というわけだ。


2025年1月17日金曜日

統合論と「解離能」 6

 以上のDBSの議論を脳科学的に支えるのがケリー・フォレストの理論(Forrest, KA (2001) Toward an etiology of dissociative identity disorder: a neurodevelopmental approach Conscious Cogn 10:259-93.)であるので、これを簡単に紹介しよう。
 彼の理論では、解離に関して現時点でもっとも有効な理論は、パットナムのDBSの理論だが、その背景となる生物学的なメカニズムは何かについて考えられるのは、眼窩前頭皮質OFCを含む前頭前野であるという。そもそも人間が自己の異なる部分を統合する機能は人が持つ幾つかの機能が同じ人の複数の側面として、「全体としての自分 Global Me」として機能する必要があるが、それを支えているのが、この眼窩前頭皮質OFCなのだ。そしてOFCの機能の低下により、多面性が失われて、それぞれの側面がAさん、A’さん、A’’さん・・・と別々の人として振舞うのがDIDである。

2025年1月16日木曜日

統合論と「解離能」 5

次にエリザベス・ハウエル先生の統合についての考え方について述べてみよう。ハウエル先生は精神分析的立場から論じているという点も親近感を感じる。彼女の著書「心の解離構造」(柴山雅俊、宮川麻衣訳 金剛出版、2020年)を参照してみる。

ハウエル先生はこの本でかなり本音を語る。「そもそも統合 integration という語やその背後にある概念が問題だ。ラテン語の integer は単位とか単体 unit or unity であり、統合という概念はワンパーソン心理学の概念なのだ。」(143). 関係論的な立場の人にとっては、ワンパーソンサイコロジー(一者心理学)といわれると、もうそれだけで「終わっ」ていると言っているようなものだ。そしてハウエル先生はもちろん関係論の立場だろう。そして彼女の書いているおそらく一番大事な文章。「文脈的な相互依存 contextual interdependence という概念により、解離対統一という対立項を回避することができる」(143)。

たとえるならば「男性は怖い」という反応に留まり、囚われるのではなく、人生の別の文脈では「男性は優しい」「男性はどうしようもない存在だ」などと体験できるようになることがこの文脈的な相互依存ということであるという。そしてこの「文脈的な相互依存 contextual interdependence は、「解離 vs 統一」という対立構造を回避することができる。」(p.143)とある。

ちなみにハウエル先生はパトナムのDBS理論に依拠しているという。ではDBSとは何か。フランク・パトナムの離散的行動状態理論 (Frank W. Putnam: Dissociation in Children and  Adolescents: A Developmental Perspective. Guilford  Press, 1997) その前提となるのは 1.人間は最初は精神状態・行動状態をいくつも持つが、発達に伴いそれらの状態間をスムーズに移行出来るようになる。

2.交代人格という状態は,その他の通常の状態とは違い、虐待などの外傷的で特別な環境下で学習されたものだが、それらの移行がスムーズに行われない。

パトナム先生によれば、人間の行動は限られた一群の状態群の間を行き来するのであり、DIDの交代人格もその状態群の中の1つであるとする.交代人格という状態は,その他の通常の状態とは違い虐待などの外傷的で特別な環境下で学習される.そのため,交代人格という状態とその他の通常の状態の間には大きな隔たりと,状態依存性学習による健忘が生じると考える.パトナムPutnam 1997)にとって精神状態・行動状態というのは,心理学的・生理学的変数のパターンからなる独特の構造である.そして,この精神状態・行動状態はいくつも存在し,我々の行動はその状態間の移行として捉えられる.


2025年1月15日水曜日

統合論と「解離能」 4

 ところでこの発表をまとめている中で、私はISSTDのガイドラインそのものがどのように変遷しているかに興味を持った。ガイドラインは、初版が1997年に、第2版が2005年に、そして最新のものが2011年に出ている。(今回、このブログをまとめていて、1997年度版もネットで見つけることが出来た!前回は探し方が下手だったのだ。)これらのガイドラインには、統合か否かというテーマについての温度差がみられる。

例えば1997年度版は、「統合が全体的な治療のゴールである」とシンプルに述べているだけだ。

しかし2005年のガイドラインではこうなっている。

解離性障害の分野のエキスパートの大部分は、最も安定した治療結果とは、すべてのアイデンティティの融合、つまり 完全なる統合 、混ざりあい、そして分離の消失であることに同意する。」(p.13)

ところが2011年のガイドラインには変化がみられる。                      

リチャード・クラフトによれば、最も安定した治療結果とは、すべてのアイデンティティの融合、つまり 完全なる統合、混ざりあい、そして分離の消失である。(p.133)


つまり統合を推進するのは「大部分のエキスパート」から「クラフト先生」に、表現が代わっているのだ。この3つのガイドラインの記載のされ方からも、治療においては統合が必須という考え方が変化している事情が見て取れるだろう。


2025年1月14日火曜日

統合論と「解離能」 3

 


なおガイドラインにはこうも書いてある。「一部の患者にとっては、より現実的で長期的な帰結とは、協力的な取り決め cooperative arrangement であろう。それはしばしば「解決 resolution」 と呼ばれ、最善の機能を達成するために、交代人格たちの間で必要な程度に統合され、協調された機能を営むことである sufficiently integrated and coordinated functioning among alternate identities to promote optimal functioning.」(p.134)

英文が混じって読みにくいかもしれないが、なるべく正確な翻訳を目指しているからだ。患者にとっての解決とは要するに「必要な程度の統合」と協調であるということだが、その統合を完全に一体化したものと表現するのではなく、十分にsufficiently という言い方をして、「ある程度の」でいいのだということをここで示しているといえる。そして統合が実際どの程度に行われるかということについては、以下のように書かれている。「治療結果についてのシステマティックなデータによれば、完全な統合(最終的な融合)に至るのは16.7~33%のケースである (Coons & Bowman, 2001, Coons & Sterne, 1986, Elliason & Ross, 1997)。(p.134) この数字はまだ統合が治療の目標であることは当然であるという了解が治療者の間になされていた時代のことである。おそらくこの16~33%という数字もかなり水増しされていたのではないかと私は考える。

ここで統合と融合という用語の使い分けにも触れておこう。ガイドラインには以下の文章がみられる。 統合 integration融合 fusion などの用語は混同されて用いられている。クラフトの以下の文章が引用されている。『[統合とは]人格の数や特徴が減少し始める以前から生じている、解離的な分離のあらゆる特徴が解消されるような現在進行形のプロセスである』。」(Kluft, 1993, p109.)

ここでやはりクラフトがどのような使い分けをしているかを示していることが興味深い。経典はクラフトの文章、という印象がある。そしてガイドラインは次のように述べている。「融合は二つ以上の交代人格が合わさり、主観的な個別性を完全に失う体験を持つことである。最終的な融合とは患者の自己の感覚が、いくつかのアイデンティティを持つという感覚から、統一された自己という感覚にシフトすることである。」そして再びKluft の引用。「クラフト は「最終的な融合 final fusion」完全なる統合 complete integrtion」を同等に扱っている。(同1993)

結局私自身の結論としては次のようになる。2つの人格が一つになる程度なら融合 fusion と呼ぶ方が適切であろう。単に二つが一つになるという意味で。ただしそれは人格全体の中の部分的なプロセスを描いているというニュアンスがある。ところが全体が一つになるという意味ではやはり統合 integration が使われるべきだ。ただしその意味では融合も広い意味では統合の一つのプロセス、ということが出来るのだ。  


2025年1月13日月曜日

統合論と「解離能」 2

    ここで私の発表の骨子について3項目あげておきたい。論文で言えば「抄録」の部分に相当するだろう。
●解離性同一性障害における治療目標として従来は人格の「統合 integration」が掲げられてきた。しかしその根拠はどうやら希薄である。
●この問題の背景にあるのは、解離を本来病的なもの(脳の誤作動?不具合?)と見なす姿勢であろう。 
●解離を一つの能力(「解離能 dissociative capability」)と考える立場は、「統合主義」に対するアンチテーゼとなりうるであろう。 

 では本論に入る。最初にある当事者の言葉を紹介したいと思う。これは昨年8月に精神科専門誌に発表された論文の一部である。その一部を引用する。
 「治療者から一人の人格への統合を目指すように言われている当事者は後を絶ちません。しかしDIDの場合、統合はプロセスの一部であって目標にしてはならないと思います。目指すは “functional multiplicity”[機能的な多重性]という状態です。」

 この言葉は私には非常に大きな意味を持っている。そこでまず問うてみよう。現在の解離性障害の治療において統合を目指すのかどうかについて、専門家の公式見解を求めるとしたら、それはどこであろうか?
「トラウマと解離に関する国際研究協会 International Society for the Study of Trauma and dissociation」 がDIDの治療ガイドラインを発表している。それが解離性障害についての国際誌 Journal of Trauma and Dissociation に掲載されているが、それを参照することで、おそらくその「公式見解」に近いものが得られるであろう。 そこでこのガイドラインには治療目標に関してどのように書かれているかを見てみよう。「治療的な帰結として望ましいのは、交代人格の実現可能な統合 workable integration ないしは協調 harmony である。」(p.133)「リチャード・クラフト (1993) によれば、最も安定した治療的な帰結としては、すべてのアイデンティティの最終的な融合 final fusion-つまり完全なる統合 complete integrtion, 融合 merger そして分離の消失である。」 (p.133)「しかし相当な治療の後でも、かなりの数のDIDの患者が、最終的な融合に至ることが出来ず、またそれが望ましいと考えない。」 (p.133)「この最終的な融合の障害となるものは、たとえば併存症や高齢である。」(p.133)I
nternational Society for the Study of Trauma and Dissociation (2011): Guidelines for Treating Dissociative Identity Disorder in Adults, Third Revision, Journal of Trauma & Dissociation, 12:2, 115-187Kluft, R (1993) Clinical approaches to the integration of personalities. in R.Kluft & CG Fine (Eds) Clinical perspectives on multiple personality disorders (pp.101-133)Washington, DC. American Psychiatric Press. 

2025年1月12日日曜日

統合論と「解離能」 1

 


しばらくは昨年12月のJASDの大会で発表した「統合論と『解離能』」の文章化である。

最初に私たち臨床家を悩ます二つの問題から入りたい。

①人格の統合を目指さなくてもいいのだろうか?

② 解離の治療には特殊な技法が必要なのだろうか?(EMDR?自我状態療法?・・・・

まずそれぞれに説明を加えたい。

①に関しては、私の今回の発表の目的とも関係している。私は今回の発表では、これまでと少し違ったことを言いたかった。私は統合は「絵に描いた餅」であることが多い、ということを言っていたので、「いや、統合したというケースもありますよ」という発表をしたかったのだ。同じ主張ばかりしていると、その論点に凝り固まってしまい、周囲に飽きられてしまう。それに自分の理論を守ることに躍起となってしまい、現実に起きていることを捻じ曲げてしまいかねない。そこでいっそ反対のことを言い出してはどうか、と思うのだ。おかしな発想かもしれないが、これを私はかなり前からやっているところがある。

②についてはこれも私自身の問題であるDIDをはじめとする解離の治療にはいくつかの流派やテクニックが存在する。私はそのどれにも習熟しているとは言えないし、多くの治療者は同様であろう。これでいいのだろうか?この点も少し深堀したかったのだ。

勿論ここに書いてあるEMDR,自我状態療法以外にもたくさんある。少し上げただけでも以下のようなものが思い浮かぶ。

  • BSP (ブレインスポッティング)

  • TFT (思考場療法)

  • HT (ホログラフィートーク)、

  • BCT (ボディコネクトセラピー)、

  • SE (ソマティックエクスペリエンス)、

  • TF-CBT (トラウマ焦点付け認知行動療法)