2021年6月30日水曜日

私の考えが固まっていったプロセス 3

 そこで私の中に展開が起きたのは、渡米してからの34年間の間、という事になりますが、そこで最も私が関心を持っていたのは、精神分析におけるセントラルドグマ、すなわち匿名性、禁欲原則、受け身性などの治療原則が、どうして当てはまる場合とそうでない場合があるか、という事の一点にかかっていました。関係論、というよりはむしろそちらの方が気になっていたのです。そしておそらくそれらの問題意識を持つ一番の源流は、おそらくメニンガーの病棟で患者さんたちのインタビューをしたことです。当時は「しがない国際留学生」という立場で、後からは精神科のレジデントとして、私はメニンガーで精神分析を受けている沢山の患者さんの生の声を聴きましたが、彼らは一様に自分たちの主治医やセラピストに対して憤慨していました。メニンガーでは患者はすべて分析的な治療を受けています。そして私はその彼らが持つ不満を聞き取る役になったのです。国際留学生は正式なセラピストの資格がありませんし、言葉のハンディキャップもありますから、エラそうな治療者としての振る舞いも出来ません。最初は自己紹介から始めるわけです。「私は日本から見学性としてここに来ました。よろしくお願いいたします。」とあいさつをすると、患者の一人は、「おお、君は普通に自分のことを話すんだね。」と驚きました。その男性の患者さんは自分のセラピストが黙ったままで何も言ってくれないので腹が立って仕方ないという話をしました。そして若い精神科のレジデントが来ている薄いピンクのシャツについて、「おしゃれですね」とコメントしたところ、そのレジデントは「それは貴方の隠れた同性愛傾向を意味していますね」と解釈をされて激怒したという話をしてくれました。彼らはメニンガーで医師たちから幾分見下されている感じがし、私たちのような立場の見学性と同一化する傾向があるようでした。私は精神分析的治療やメニンガーでの試みについて理想化し、期待も大きかったので、このように内側で起きていることを知ることで、精神分析的な治療とはいったい何なんだろうと考えるようになりました。精神分析では治療者は患者に対して、分析的な治療原則に沿った独特なスタンスでアプローチをするわけですが、それが多くの場合逆効果を生んでいるのを見て深く考え込んだわけです。

そして得た結論は、治療者が自分を隠すか、開示するか、患者の願望を満たすか満たさないか、等はことごとく相対的な問題であり、治療状況で異なるという事実でした。そしてそれをもとに書き上げたのが「新しい精神分析理論」でした。

ただし基本原則は相対的だという姿勢は結局治療者が特権的な位置にあるというアサンプションを否定することであり、ヒューマニススティックなアプローチとつながり、ある意味ではサリバンが訴えていたことでもあります。

2021年6月29日火曜日

私の考えが固まっていったプロセス 2

 私にとって関係論的な転回がいつ起こったのか?

年代から言えば私が最年長という事で口火を切らせていただきますが、私が精神分析に触れたのは、心を考えることを生業にしようと考えた医学部時代でした。しかしフロイトを読んだというわけではなく、唯一の例外は、医学生のころフロイトの夢判断を文庫で読んだという体験ですが、これには全く歯が立たないという印象でした。ただ心を分析する、という意味の精神分析は、フロイト理論だけではないとその頃は思っていましたので、精神分析に興味は持ち続けていました。

 本格的に精神分析理論を勉強したのは、やはり精神科の研修医になり、小此木先生の指導を受けるようになってからです。このようなパーソナルな触れ合いというのは決定的ですね。目の前に偉大なロールモデルがいて、声をかけてもらえるという体験です。そしてその人のようになろうと思ったり、その姿に一歩でも近づこうとするわけです。1982年からの3年間、慶応の精神分析セミナーに毎週通いましたが、小此木先生はまだ50代の前半で最も脂が乗りきっていた時期といっていいでしょう。そこでフロイト、クライン、ウィニコットやフェアバーンなどの対象関係論、カンバーグ理論などについて網羅的に教えていただきました。小此木先生は百科全書のような人でしたから、何を聞いてもわかりやすく答えてくれる、しかも熱意をもってという感じでした。個人的に「岡野君、岡野君」とかわいがってくれたという体験は私にとっての宝でした。なぜならセミナーは10人程度のメンバーでしたから、先生は顔を覚えてくれたのです。私にはこの体験はとても大きいものでした。なぜなら精神分析ではそれ以降父親的な優しさを与えてくれる先生にはあまり出会わなかったからです。そして実に不思議なことに、その頃私はクライン派に対する苦手意識はありませんでした。私はその当時はどの理論がどのようなことを主張しているかについて、一生懸命勉強して覚えこむのに精一杯でしたから、それらの個々の理論に対する意見を持てるような状態になかったわけです。

その様なわけで私は最初はどの理論にも特に親和性を覚えていたわけではありません。ですから1987年(31歳)で渡米した段階では私の頭はまっさらで、すなわち全く無知で、だから「関係論的展開」も何もなかったのです。そしてそれから12年後の1999年には43歳で「新しい精神分析理論」を書きましたが、そこに書かれていることは、今の私の主張とほぼ同じです。その本にはホフマンも出てきていますし、「無意識はあまりに複雑すぎて、私たちには太刀打ちができない」などのことを書いていますから今と大体同じようなことをすでに言っていたわけです。という事は1987年に渡米してから10年間のうちに「展開」が訪れたという事になります。

さてもう少し私が「転回」にいつ頃至ったかを絞って考えると、1991年ごろ、35歳のレジデントの3年目には明らかにクライン派よりはコフート派にひかれていました。私はクライン派のバイザーのとらえ方に明らかに違和感を持っていましたし、レジデントの最終年度は自分に会ったバイザーを選ぶことが出来ましたので、コフート派の先生であるドクターキューリックを選びました。この年は「治療者の自己開示」も書いて分析研究に掲載されたということは、もうこのころは私は確信犯だったといえるでしょう。

という事は時期としては1987年から1991年までに、少なくとも好き嫌いははっきりしていったわけです。そしてこれ以降は

1991年  治療者の自己開示 (これは匿名性についての再考です)
1996
年  禁欲原則の再考  (これは文字通り禁欲原則の再考です)
1997
年  自己開示再考、治療者が自分を用いること (これはある意味では治療者の受け身性に関する再考です。)と発表しました。

すなわちフロイトの基本原則、つまり匿名性、禁欲原則、受け身性についてことごとくそれをそのままでは受け入れるべきではないという立場を表明し、それぞれが「新しい精神分析理論」の主だった章になったという事は、私は1990年代前半にこの立場を形成したという事になります。そうしてこのような基本原則に対する相対的な立場に近い理論としてはコフート理論や関係論があったという事でごく自然に関係論に結びついていったという流れになります。


2021年6月28日月曜日

嫌悪 11

  他方嫌悪についてはどうか。アルコールは苦手だという人は、お酒のコマーシャルを見ると、「ゲーッ」となる。その時脳の活動を見ると、少なくとも報酬系は興奮せず、とこか別のところが興奮するらしい。報酬系の反対の役割をする部位はおそらくたくさん脳内にあるはずだが、仮にそこを扁桃核に代表されるような「処罰系」という場所を想定するならば、そこが興奮することになる。ということは断酒のための嫌悪治療は少し込み入ったプロセスを必要とする。一つには報酬系が興奮しなくなること、そしてもう一つは処罰系が興奮するようになること。これら二つのプロセスを成功させなければならない。さもないとお酒は、たとえば「美味不味(ウママズ)い」となってしまう。ちょうど鞭で打たれるのが「イタキモチいい」となるように。酒の匂いを嗅ぐだけでも嫌になってこそ断酒が出来るのに、これでは何かのはずみでいつまた飲み始めてしまわないとも限らないではないか。しかし嫌悪治療では見事に酒を「嫌い」になるのだ。なぜだろう?
 おそらく嘔吐剤がいかに脳に働きかけるかにより、この治療の効果が決まってくるのではないだろうか。吐き気を催しているときには、何を食べてもおいしいと感じない。吐き気を感じることで、あらゆる食物は一気に嫌いな対象になってしまうという仕組みが出来上がっているらしいのだ。私は子供の頃よく熱を出した。すると食欲が落ち、吐き気が生じたが、その時口に入れたものはとてもまずいと感じ、それは熱が下がった後も嫌いな食べ物になってしまうことに気が付いた。そんな経緯で特にニンジンが嫌いになった。ただ私は熱を出す前にすごくニンジンが好きだったわけではない。その体験の前にニンジンは私の報酬系を興奮させていたわけではないのだ。ということは私がニンジン嫌いになるためには、一つのプロセス(ニンジンを食べることで処罰系を興奮させる)を果たすだけで済んだわけである。

ところで「処罰系」が分からないといっていたが、こんなネットの記事を拾った。

Brain Pathways of Aversion Identified ·February 14, 2019(Summary: Researchers have identified a specific pathway between the hypothalamus and habenula that controls feelings of aversion).

何と、もとの論文がネットでただでダウンロードできた!!

Lazaridis,I., Tzortzi,O., Weglage,M. et al. (2019)  A hypothalamus-habenula circuit controls aversion. Mol Psychiatry 24, 13511368. 

 嫌悪をコントロールするのは、脳下垂体と手綱 habenula の間の経路である、という。こんなことが最近になってわかったのだ。という事はこれまでは「いやだ!」という時に能のどの部分が活動しているかが分かっていなかったという事になる。
 この報告によると、恐れに関しては扁桃核が一番怪しいとされていろいろ研究されていたが、不快や嫌悪についてはあまりわかっていなかったという。そして最近では手綱という部位が快感や不快に携わっているという動物でのデータが得られているという。そしてこの部位の脳部刺激がうつ病に効果があるということもわかってきた。この部位はセロトニンもドーパミンもコントロールするということだ。

この種の研究を探しているうちに、次の論文を発見した。

 Kawai,T., Yamada, H., Sato, N. et al. (2015) Roles of the lateral habenula and anterior cingulate cortex in negative outcome monitoring and behavioral adjustment in nonhuman primates. Neuron, 2015, DOI: 10.1016/j.neuron.2015.09.030

  筑波大と関西学院大学と京都大学の先生方の研究だが、イヤな体験をするとき、サルの脳では前帯状皮質と外側手綱核という部位が興奮する。そうか、「処罰系」の代表はここだったのか。しかし両者の役割が違う。後者は嫌なことがあれば同じように反応するが、前者は「またかよ、やってられないぜ」という反応の仕方をするのだ。それが重なるたびにより大きな反応をするのだ。これはある意味では不快体験の蓄積、あるいは積分値に反応していると言えるのではないか。


     医学部時代の講義前の仲間との写真。筆者は二段目右から二番目



2021年6月27日日曜日

嫌悪 10

 以上のことからある重要な考えが浮かび上がる。「嫌悪=ストッパー説」である。そして実際嫌悪刺激を嗜癖などの治療に使うという試みが知られる。ネットで手に入る論文を読んでみた。
Elkins, RL, Richards, TL, et al (2017) The Neurobiological Mechanism of Chemical Aversion (Emetic) Therapy or Alcohol Use Disorder: An fMRI Study. Frontiers in Behavioral Neuroscience.2017.00182

 アルコールの嫌悪治療aversion therapy などはいくつかの研究がある。この研究ではアルコール依存症の患者さんたちを入院させて、嘔吐剤を服用したのちアルコールを試飲してもらう。当然激しい嘔吐を引き起こすので、「アルコール=気持ちを悪くするもの」という条件付けが生まれるわけだ。これを数セッションやると、被検者の多くはアルコールを見ただけで嫌悪観を催し、飲まなくなるという。約70%の患者さんは一年が経過してもアルコールを飲んでいなかったというのだ。
 この研究の一つの売りは、fMRIを用いて、断酒に成功した人の脳の活動を調べ、明らかな変化が見られたということである。後頭葉に活動の低下が見られたと報告している。
 ちなみにこの研究は少し予想に反しているところがある。本当は活動が低下してほしいのは側坐核などの報酬系のはずである。後頭葉がどうして関係してるのかわからない。
 そこで改めて考えてみる。嗜癖とは何か。アルコール依存の人は、お酒のコマーシャルを見ると喜びを覚える。報酬系が興奮するのだ。ただし実際にお酒を飲んでいるわけではないので、「一杯やりたい!!」となる。これを渇望craving という。この渇望が最近のDSMのクライテリアにも新たに導入されたという。(ちなみに物質依存の診断基準も随分変わったものだ。以前ならアルコール濫用とアルコール依存を区別し、後者の条件としては離脱と耐性がある、というシンプルなものだったが、ここにそういえば渇望はなかった。確かに「吞まないでいると苦しい(離脱)、酔うために飲む量が増えていく(耐性)」というだけだと、肝心の「飲みてー!」(渇望)に言及していないことになる。(まあ飲まないと苦しくなり、たくさん飲むようになった人が「呑みてー!」とならない、ということはほぼあり得ないが。)これは物足りないことになる。ともかくもDSM-5ではアルコール問題を軽度、中等度、重度に分けているだけだ。そしてそれは11のクライテリアのうちいくつを満たすかによって決まってくる。23つだと軽度、45だと中等度、6以上だと重度だという。しかしこの11の中には、離脱(11番目)と耐性(10番目)も含まれる。この二つだけガッツリ満たしている「軽度」アルコール使用障害もあるんだろうか?それはおかしな話だ。

2021年6月26日土曜日

嫌悪 9

  嫌悪というテーマで書いているのであるが、実は嫌悪に直接触れてはいない。私はもっぱら快、不快について書いていたのだ。でもやはり不快と嫌悪は違う。というよりは不快感に含まれるが、それ独特の性質を持つ。言うまでもないことだが、対象性である。嫌悪は対象に対して向けられる。英語ならばAversion, dislike, hate…。「~を嫌悪する」という場合は目の前から消し去りたい、目を背けたい、そこから遠ざかりたいような「何か」に対する感情である。そしておよそあらゆる生命体がその反応を示す。おそらくそれは実際にその生体にとって危険物で、その生存を脅かすためにいわば条件反射として備わった反応なのである。私たちはそれが脳の辺縁系という部分にある偏桃体と深く関与することを知っている。ということは嫌悪とは偏桃体において何らかの対象物が感作された状態とみていいだろう。偏桃体が切除された場合に生じる反応はクリューバー・ビュッシー症候群と呼ばれ、興味深い記載はネットですぐ見つけることができる。
平山 恵造順大学脳神経内科)先生による、「Klüver-Bucy (クリューヴァ・ビュシィ)症候群」の記載(Brain and Nerve 脳と神経 26巻4号 (1974年4月))からの引用。

 1937, 1938, 1939年にわたつてHKlüverPCBucyが,猿の両側の側頭葉切除に際して現われた症状を記述した。すなわち,生物,無生物,有害物,無害物を問わず,逡巡することなく接近する行動,すなわち Lissauer 連合型精神盲,または視覚失認を思わせるような行動を呈する(psychic blindness物をやたら口にもって行き,口中に入れ,噛み,なめずり,唇でさわり,鼻先でにおいをかぐなどの動作がみられる(oral tendencies).食べられないものは捨て,食べられるものはのみ込む。目にうつるものは生物,無生物を問わず,あちこちと視線を送り,それに反応する。周囲の事物,変化に対しあたかも強いられたかのごとくに反応する(hyper—metamorphosis)。怒り・不安の反応が消失し,危険物をさけなくなり,無表情となることもあり,情動行為が変化する。ときには攻撃的反応をとることもある。(emotional behavior changes性行動が変化し,heterosexualhomosexualautosexualなどの性行動がみられる(increased sexual activity)。

 この様子を思い浮かべる限り、この猿の心は壊れてしまっているという印象を受ける。特に⑤が興味深い。いろいろなものとセックスをしたくなるのだ。人間の症例などを読むと出てくるが、ごみ収集車やエッフェル塔と性交をしたがる、などの兆候が表れるとも記載されている。つまり偏桃体とは生命体が経験から、あるいは本能的に嫌悪するような対象を識別し、そこから身を遠ざけるのを助けてくれる器官なのだ。そして性交渉などの特別な対象との特別な行為の際にのみにこの偏桃体による抑制が外れるということなのだろう。

2021年6月25日金曜日

私の考えが固まっていったプロセス 1

 私が精神分析に触れたのは、心を考えることを生業にしようと考えた医学部時代でした。しかしフロイトを読んだというわけではなく、唯一の例外は、医学生のころフロイトの夢判断を文庫で読んだという体験ですが、これには全く歯が立たないという印象でした。ただ心を分析する、という意味の精神分析は、フロイト理論だけではないとその頃は思っていましたので、精神分析に興味は持ち続けていました。

 本格的に精神分析理論を勉強したのは、やはり精神科の研修医になり、小此木先生の指導を受けるようになってからです。1982年からの3年間、慶応の精神分析セミナーに毎週通いました。小此木先生はまだ50代の前半で最も脂が乗りきっていた時期といっていいでしょう。そこでフロイト、クライン、ウィニコットやフェアバーンなどの対象関係論、カンバーグ理論などについて教えていただきました。個人的に「岡野君、岡野君」とかわいがってくれたという体験は私にとっての宝でした。なぜならセミナーは10人程度のメンバーでしたから、先生は顔を覚えてくれたのです。私にはこの体験はとても大きいものでした。なぜなら精神分析ではそれ以降父親的な優しさを与えてくれる先生にはあまり出会わなかったからです。そして実に不思議なことに、その頃私はクライン派に対する苦手意識はありませんでした。私はその当時はどの理論がどのようなことを主張しているかについて、一生懸命勉強して覚えこむのに精一杯でしたから、それらの個々の理論に対する意見を持てるような状態になかったわけです。私は2004年に帰国してからクライン派の理論には苦手意識を持つようになりましたが、それはアメリカで精神分析を勉強して帰ったという身でクライン派から一種の敵意やライバル視をされるという体験を持ってからのことです。勘の鋭い人間であれば、例えばクライン派とコフート派では全くの水と油ということはわかるはずですが、私は実際にクライニアンの先生方との情緒的な衝突を体験するまでそれがわからなかったという非常に鈍いところがありました。
 さてもう少し私が「今の考え」にいつ頃至ったかを考えると、1991年ごろ、35歳のレジデントの3年目には明らかにクライン派よりはコフート派にひかれていました。私がバイザーの先生方とどのような論争をしていたかを考えるとそれがわかります。この年は「治療者の自己開示」も書いて分析研究に掲載されたということは、もうこのころは私は確信犯だったといえるでしょう。
 さて精神分析にどのような理論があるのかについて一通りの文献に触れたのが1998年くらいでしょうか。トピーカのインスティテュートに入ることを許されて19941998年にレクチャーコースを修了するころには一通りの理論に触れていたことになります。さて私が新しい精神分析理論を書き上げた1999年には、ほぼ今言っていることをその本の中で言っています。脳科学のことはあまり出てきませんが、「無意識はあまりに解剖学的に複雑すぎて、私たちには太刀打ちができない」、などのことを書いていますから、基本的な概念は脳科学由来です。またこの本で紹介した「提供モデル」という概念は、私が分析研究に1998年に発表しています。しかしこの本にはまだ1998年に出された Hoffman の「儀式と自発性」からの引用はありません。それは私が2003年に出した、続編ともいえる「中立性と現実」にやや詳しく紹介してあります。

2021年6月24日木曜日

関係性精神療法セミナーの告知です

          関係性精神療法セミナーの告知です
    【Web開催!】関係性精神療法セミナー【Web開催!】

        精神分析の学び方:関係論編

このセミナー・シリーズは、2011年に第1回が開かれ、今年で第11回目を迎える。関係精神分析(関係論、関係性理論、関係性精神療法)は、対象関係論、サリバン派、コフート派、間主観性理論、自我心理学などを包括的に含み、現代のアメリカ精神分析の新しい流れを総括するものである。
これまで本セミナーでは、エナクトメント、動機づけシステム、共感と解釈、フェミニズム精神分析、無意識空想など、精神分析の根幹に関わる様々な概念をテーマに取り上げ、フロアの先生方と議論してきた。こうした議論は、精神分析の伝統的な理論体系を再検証することで、関係論の立場からの臨床実践を豊かにすることに貢献するものだったと思っている。しかし同時に、そうした議論がときには概念の知的理解が中心になりやすい印象があったことも否めない。
そこで今年は、精神分析を学ぶということがどのようなことなのにかついて、関係論の立場から考えてみたいと思う。関係論の立場からの訓練や学習は、伝統的な精神分析の訓練や学習と異なるのだろうか、それとも、同じなのだろうか。精神分析を実践する者は、初学者から経験者まで、必ず何らかの訓練や学習に触れていたはずである。フロアの先生方とともに、それぞれの体験を共有しながら精神分析の学び方について考えてみたい。今回は、京都の精神分析的心理療法の研究所KIPPで訓練を受けられ、卒業後も積極的に精神分析実践を探求しているA&C中之島心理オフィスの長川歩美先生を指定討論にお招きし、さまざまな学習の場所や方法を広く視野に入れながら議論を深めていきたいと考えている。当日は、アンケートなどを用いながら、参加者と積極的に対話を進めていきたいと考えている。(※Web開催のため、ご自宅にいながらセミナーに参加可能です)

参考文献: 吾妻壮 著(2019)『精神分析の諸相: 多様性の臨床に向かって』(金剛出版)富樫公一著(2018)『精神分析が生まれるところ』(岩崎学術出版社)
Koichi Togashi (2020) The Psychoanalytic Zero: A Decolonizing Study of Therapeutic Dialogues. New York & London: Routledge.
岡野憲一郎著(2018)『精神分析新時代―トラウマ・解離・脳と「新無意識」から問い直す臨床場面での自己開示と倫理』(岩崎学術出版社)

◆ 日 時:2021年7月4日(日曜日) 午前10時~午後3時
(進行具合により多少の延長も考えられます)
◆ と こ ろ:インターネット会議室zoom利用
      *事前に専用のアプリをインストール頂く必要があります。
      *インターネットに接続されたご自宅のPC、スマホ(3G以上)等、利用可能。
◆ 発 表 者:岡野憲一郎(京都大学)・ 吾妻壮(上智大学)・富樫公一(甲南大学)
◆指定討論:長川歩美(A&C中之島心理オフィス)
司 会: 岡野憲一郎、富樫公一
◆ 受 講 料: 5,000円
◆ 定 員: 60名
◆ 申込方法:参加申込書にご記入の上、E メール、 FAXまたは郵送でお申し込みください。
受講の可否を申込書に記載の E メールまたははがきにてご連絡いたします。
振込み先を ご確認の上、受講料をお振込みください。
◆ 申 込 先:〒160-0004 東京都新宿区四谷 3-4 SC ビル 6 階
小寺記念精神分析研究財団セミナー事務局 FAX 03-3350-9749
E-mail:kodera.kt@nifty.com
◆ 申込期限:2021年6月28日(月)
主催:小寺記念精神分析研究財団