2016年1月21日木曜日

入稿一歩まえ(1)

最近こればっかり書いていたので・・・・ PEPWEB、1100 ドルを支払った甲斐があった。この論文に使った資料のほとんどが、このサービスによるものである。


精神分析におけるトラウマ理論
                  
                 
はじめに

現代の精神分析において「トラウマ」が一つのキーワードとなりつつあることは、ある意味では時代の必然と言える。 それは精神分析理論の変遷という歴史的な流れの中に位置づけられよう。Freud は1890 年代の終わりに「性的誘惑説」を棄却して内的欲動論に向かい、それが精神分析理論を生んだと一般に理解されている。Freud はその後の理論の発展(Freud, 1926)で、欲動論の一部を大幅に修正したが、それにより彼は新たにトラウマの問題に関心を向けたとみなすこともできる(岡野、1995)。しかし Freud は基本的にはリビドー論や欲動論的な視点を終生堅持し、いわゆる「葛藤モデル」の代表として位置付けられ、それは伝統的な精神分析の主要なモデルであり続けた。後に様々な学派により、養育上の欠損やトラウマを病因として重んじる、いわゆる「欠損モデル」が提唱されたが、Freud の立場はそれとは理念上一線を画していたと言える。そのためか1970 年代以降になり、PTSD や解離のトラウマに基づく病理が盛んに論じられ始めた時、主として関係精神分析を代表とする新しい精神分析の流れがトラウマの問題をいち早く取り上げたが、伝統的な精神分析はその対応に出遅れていたという感があった。しかし最近ではトラウマ理論の影響は精神分析の世界に広く浸透し、クライン派によるトラウマ理論も提出されるに至っている(Garland, 1998)。

精神分析へのトラウマ理論の取入れ

精神医学全体を眺めれば、1980年のDSM-III で PTSD および解離性障害が診断項目として掲げられて以来、心的なトラウマの精神への影響に対する関心は急速に高まっている。個々の精神分析家もその影響を受け、その理論を修正発展させることはある意味では自然のことであろう。その例としてOtto Kernberg をあげることが出来る。Kernberg は米国で1970年、80年代に境界パーソナリティ障害についての理論を展開した(1984)。その彼が同障害の病因として論じていたのが、クライン派の考えに沿った患者の生まれつきの羨望や攻撃性であった。しかしその後1995年には、次のように述べてかつて提唱した理論の一部修正を行っている。
「…同時に私は生まれつきの攻撃性についても曖昧ではなくなってきている。問題は生まれつきの、強烈な攻撃的な情動状態へのなりやすさであり、それを複雑にしているのが、攻撃的で回避をさそう情動や、組織化された攻撃性を引き起こすようなトラウマ的な体験なのだ。私はよりトラウマに注意を向けるようになったが、それは身体的虐待や性的虐待や、身体的虐待を目撃することが重症のパーソナリティ障害の発達にとって有する重要性についての最近の発見の影響を受けているからだ。つまり私の中では考え方のシフトが起きたのだ…。」(Kernberg, O.,1995, p.326)。
この Kernberg に見られたような路線変更はおそらくほかの学派においても程度の差こそあれ見られた可能性がある。しかしトラウマ概念の導入の仕方やその治療的な扱いは、学派によりさまざまに異なるのも事実である。たとえば前掲書に代表されるクライン派の捉え方(Garland, 1998)によれば、トラウマとは Freud のいう刺激障壁が破られることにより生じ、トラウマ的な出来事は、内的な恐怖や空想の中で最悪なものを確証させることであると理解される。そしてその治療技法としてはやはり転移解釈が主たる技法であるという主張がなされる。それと比較して、間主観性理論の立場に立つ Robert Stolorow のトラウマ論(Stolorow, R. 2007)は、トラウマをより関係論的でコンテクスト的にとらえる。そしてトラウマは、愛する人がいつ何時死ぬかもしれないという現実を自覚することにつながり、その孤独を理解してくれるのは、同様のトラウマを体験した人でなくてはならないとさえ主張する。
 このように精神分析においても最近はトラウマへの注目がみられるが、むしろその流れは精神分析の歴史の中に既に存在しつつ、ある意味では傍流として扱われていたという事情がある。その源流を Freud の初期の理論に位置付けてみよう。

フロイトの「誘惑仮説」の見直し

Freud は精神分析理論を構築する前の段階では、トラウマの問題に深く関心を寄せていた。1893年の『ヒステリー研究』に関連する3篇の段階で、Freud はトラウマを以下のように定義している。
「神経系にとって、連想を用いた思考作業によっても運動性の反応によっても除去することが困難な印象はすべて、心的外傷になるのである。」(全集1.p307)
これは脳科学的な視点を取り込んだ現代的な理解と符合する、先駆的といえるものだった。
Freud は当初はヒステリーの原因として、上述のような心的トラウマの中でも特に幼少時期の性的トラウマを重んじていた。Freud は1896年には、扱ったヒステリーの18例すべてに性的なトラウマが聴取されたという報告を行った(Freud, 1896)。これが後に「誘惑仮説」と呼ばれるようになったものであるが、その時ウィーンの医学界の反応は非常に冷淡なものであったとされる。さらに同年12月6日にフリースにあてた書簡では、Freud は虐待者はすべて父親であったという見解にまで至ったとされる(Makari, 1998) 。しかしその翌年の9月21日に、突然同じくフリースあての書簡(Freud, 1986)で、この「仮説」が棄却されたのであった。
このFreud のやや唐突な翻意に関しては従来さまざまに議論されてきた。しかし後に新たな資料が公開され、近年はそれに基づき、この「誘惑仮説」が棄却された経緯を再検討するという動きがみられる。その中で1980年代に発表された Jeffrey Masson の「真実への侵襲」(Masson, 1984) は、それが Freud 自身が学問的ないしは社会的な孤立を恐れたために真実をねじ曲げたためであるという説を提示し、大いに議論を巻き起こした。しかし Masson の著作には学術的な誤謬も多く、またその扇動的な内容は多くの批判にさらされた。最近ではこのテーマに対するより冷静かつ公平な見解がみられる((Makari, 1998, Lothane, 2001, Reisner,2003)
それらの研究が一様に強調するのは、Freud の「翻意」は自らの見解を180度切り替えたというわけではなく、むしろ「すべてのヒステリー患者が現実に性的なトラウマを負っていたというわけではない」という、より穏当な見解への方向転換を意味していたということである。そこには Freud が当時の疫学的研究の結果を受けて、父親がヒステリーすべての原因であるという見解を保持できなかったという事情もあったとされる(Makari, 1998) 。むしろ実際には Freud は「誘惑説を決して捨て切れなかった」という見解(Lothane, 2001)に向かいつつある。
現代的な観点から検証した場合、Freud の「翻意」には様々な理由があったにせよ、以下のような理論的な推移があったと考えるのが妥当のようである。それはトラウマとなるための必要条件は幼少時において性器への過度の刺激が生じたことであるが、それは直接の性的な暴行だけではなく、子供がファンタジーや自慰行為を行い、それを抑圧することでも生じるという発想を得たことであった(Makari, 1998)。従って Freud は幼少時に「性的誘惑」は決して起きず、すべてがファンタジーであったと結論付ける必然性もまたなかったのである。
 むしろ Freud のトラウマ理論に問題だったと考えられるのは、性的な暴行を受けることにより偶発的に生じる可能性のある性的興奮と、自慰などによる性器の刺激が全く心的な意味合いを異にするという点、そして性的な意味合いを持たない虐待も当然存在していたという点に十分な注意を向けなかったことである。言うまでもないことであるが、幼少時に生じる加害行為には性的な意味合いを欠いた身体的な暴力も、精神的な虐待もネグレクトも存在する。それは幼児を脅威におとしいれ、その主体性を蹂躙し、傷つける行為である。Freud がそのようなトラウマの基本的な性質に重きをおかず、性的な興奮という観点でしか考えていなかったことが問題であるといえよう。
ちなみに本稿でも用いている「誘惑仮説」という表現の中の「誘惑」という言葉が持つ問題についても指摘されている(Makari, 1998) 。「誘惑」という言葉には誘惑する側とされる側が想定し、子供が性的虐待に間接的に加担したというニュアンスを与える可能性があるからである。
上述のように Freud は幼児に対する性的な虐待の存在の事実を全面的に否定することはなかったが、トラウマに関連した解離という現象やその概念については、きわめて否定的であったといわざるを得ない。
 Freud は「ヒステリー研究」以前の 1892年の時点では、Breuer の解離に関する見解 (いわゆる「類催眠状態」) に全面的に同調して次の様に述べる。
「したがって、我々はその限りにおいて既に、ヒステリーの素因の特徴づけをもくろむ次のような仮定を取り上げることなくして、ヒステリー諸現象の成立の条件を論ずることは不可能であつた。その仮定とは、ヒステリーにおいては一時的な意識内容の解離が容易に生じるということと、連想によって結びついていない個々の表象複合がいきなりばらばらにされてしまうという事態が容易に生じるということである。よって我々はヒステリーの素因を、そのような状況が(内的な原因によって)ひとりでに発生するか、あるいは、外部からの諸影響によって容易に誘発されるという点に求めることになるのだが、その場合に我々は、ある系列においては、この二つの要因がさまざまに程度を変えて関与しているものと見なしている。」
ここには解離が生じる原因として、当人の持つ素因とともにトラウマ因を重視したバランスの取れた見解が示されている。しかしすでに「ヒステリー研究」(1895)において、Freud は類催眠状態の概念は本来自らのものではないとし、Breuer の同概念の、トラウマや退屈さのために不快な体験がスプリットされるという考え方には、力動性という概念が欠如していることを、以下のように批判したのである。
奇妙なことではあるが、私は自身の経験において真性の類催眠ヒステリーに遭遇したことがない。私が着手したものは、防衛ヒステリーヘと変化したのである(P365)
手短に言えば、私には、類催眠ヒステリーと防衛ヒステリーはどこか根っこの所で重なり合っているのではないか、そして、その際には防衛の方が一次的なのではないか、という疑念を抑え込めないのである。しかし、これについては何もわからない。(同 P365)

フロイトはさらに Janet の解離理論についても、患者がもともと持つその人の心の弱さやスティグマに還元されるという点について批判を行っている(Freud, 1895)。近年のトラウマ理論における解離の概念の扱われ方は、本稿の後半で再び論じる。

Ferenczi の先駆性

上述の通り、Freudは精神分析理論を構築する過程でトラウマのテーマから距離を置くようになったが、他方ではSándor Ferenczi が幼児期の性的トラウマに関する関心を高めていった。しかしそのFerenczi の見解はFreud 自身によって敬遠され、彼の理論が精神分析の本流に位置づけられることはなかった。ところが近年になってこのFerencziの先駆性およびトラウマ理論の重要性が見直されつつある。2008年にはニューヨークにフェレンチセンターも立ち上がり、またわが国でも森茂起らによる翻訳や紹介により、Ferencziの業績が再考される機会が与えられている(Ferenczi,1994,1995)。
それらの研究が示すのは、Ferenczi の驚くべき先見の明であり、後のトラウマや解離に関する理論を事実上先取りしていたという事実である(Aron, Harris, 1993) Ferenczi の業績の再評価は、そのまま精神分析における外傷理論の再評価を表しているとも考えられるであろう。
Ferenczi の理論の先駆性を示す概念の一つに、「攻撃者との同一化」がある。この概念は、一般には Anna Freud(1936) が提出したと理解されることが多い。彼女の「自我と防衛機制」(A.Freud,1936)に防衛の機制一つとして記載されている同概念は、「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する。(p. 113).」と説明される。しかしこれは当初 Ferenczi が考えたものとは大きく異なったことが指摘されている(Frankel, 2002)。Ferenczi がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」(Ferenczi, 1933) を参照してみよう。

「彼らの最初の衝動はこうでしょう。拒絶、憎しみ、嫌悪、精一杯の防衛。『ちがう、違う、欲しいのはこれではない、激しすぎる、苦しい』といったたぐいのものが直後の反応でしょう。恐ろしい不安によって麻痺していなければ、です。子どもは、身体的にも道徳的にも絶望を感じ、彼らの人格は、せめて思考のなかで抵抗するにも十分な堅固さをまだ持ち合わせていないので、大人の圧倒する力と権威が彼らを沈黙させ感覚を奪ってしまいます。ところが同じ不安がある頂点にまで達すると、攻撃者の意思に服従させ、攻撃者のあらゆる欲望の動きを汲み取り、それに従わせ、自らを忘れ去って攻撃者に完全に同一化させます。同一化によって、いわば攻撃者の取り入れによって、攻撃者は外的現実としては消えてしまい、心の外部ではなく内部に位置づけられます。」(p.144-145)
 このように Ferenczi は、この概念の意味するところとして、「子供が攻撃者になり替わる」とは述べていない。彼が描いているのはむしろ、一瞬にして自動的に起きる服従なのである。
 このようにトラウマの犠牲になった子供は、むしろそれに服従し、自らの意思を攻撃者のそれに同一化する。そしてそれは犠牲者の人格形成や精神病理に重大な影響を及ぼすことになる。Ferenczi はこの機制を特に解離の機制に限定して述べたわけではないが、多重人格を示す症例の場合に、この攻撃者との同一化が、彼らが攻撃的ないしは自虐的な人格部分を形成する上での主要なメカニズムとする立場もある(岡野、2015)。

2016年1月20日水曜日

精神分析におけるトラウマ理論(仕上げ)6


トラウマ理論は「誘惑的」か?

最後に最近のトラウマ理論に対する批判的な見方についても触れておこう。Reisner は「トラウマ:誘惑的な仮説」という論文(Reisner, 2003)で、昨今のトラウマ理論への批判を展開する。彼はトラウマ理論においては、トラウマがいわば病原のように取り除かれるべきであり、他方の患者は被害者であり、特別な存在であるというナラティブが支配的になっているとする。そしてその背景には政治的な意図が見えるという。その文脈で Reisner が紹介しているYoung(2001)の論文は、DSM-III の作成委員会が、戦闘兵を犠牲者として扱い、障害者年金を獲得することのできる存在として位置付けるべきとの議論があったという。そしてそのためには「戦争神経症」という診断はふさわしくなく、「トラウマを受けることによる反応」というニュアンスの診断、つまりPTSDが必要だったのである。そしてそれがこの概念の大きな成功を生んだという。
Reisner, S.: Trauma: The Seductive Hypothesis. J. Amer. Psychoanal. Assn., 51:381-414., 2003
Young, A.: Our traumatic neurosis and its brain. Science in Context 14: 661-683.,2001

ちなみに Reisner の議論の中で、PTSDの概念とFreud の現実神経症の概念との類似が示されている点は興味深い。現実神経症とは、現実の性生活から引き起こされる問題であり、自慰過多,頻回の夢精、禁欲、早漏、中絶性交のような性的満足が妨げられた場合に生ずる不安症状その他の精神症状とされる(精神分析事典、該当項目より、小此木ほか、2002年)。Freud はこれと精神神経症を分け、前者は心がそこに介在しないという意味で分析は不可能と考えていたようである。この分類によれば、外的な外傷因により引き起こされる精神疾患は、Freud にとってはそこに心が介在せず、心理療法として扱うに値しない問題として棄却される可能性があるということになろう。

小此木、北山他 精神分析事典、岩崎学術出版社、2002年

Reisner は現在のトラウマの問題には、自己愛の問題が絡んでいるという点も指摘している。米国では、トラウマは崇高な位置を得ており、トラウマのサバイバーは権威を与えられ、尊敬のまなざしで見られる傾向にある点、トラウマの体験は、芸術家や創造者がなかなか得られないものを得ることを可能にし、トラウマストーリーにおいては、被害者は無知で純真であることが期待されている、とする。さらにトラウマの被害者は責任を逃れる事が出来、トラウマの犠牲者は一般大衆に代わって苦しみを背負っているとも論じる。そしてこのような考えの典型として、Davies, Frawley の次のような文章を引用する(1994)。「誘惑説は、患者の子供時代の現実の人々の証拠に基づくものである。それは自分の自己愛的な満足を得るために子供を利用する大人を罰するものであった。エディプス葛藤は、それに対して、子供時代の性的虐待は、子供自身の性的な願望によるファンタジーによるものだということを強調するのである。」そして中立性を守ろうとする分析家は、結果として被害者側の方に過剰に寄り添ってしまうと批判する。

Davies, J.M., & Frawley, M.G.: Treating the Adult Survivor of Childhood Sexual Abuse: A Psychoanalytic Perspective New York: Basic Books, 1994. 

 臨床に携わる人間としては、ここに一つの大きな溝があり、両方に属する人間の間には一種の対立が見られることがわかる。それは現代的な分析の立場対フロイディアンの対立。トラウマ論者対トラウマ理論に批判的な論者との対立、などである。この両者をよく見据えながら、中立性を保たなくてはならないということがよくわかる。しかしその上で言えば、世間はやはり被害者の方に冷たいこともまぎれもない事実なのである。

 最後に

現代の精神分析におけるトラウマ理論の占める位置について論じた。トラウマ理論が徐々に大きな位置を占めることには時代の要請があり、またそこには伝統的な精神分析に不足した視点を補う意味もあったと言えるだろう。しかしトラウマ理論にはそれに偏重した場合の様々な問題があることは、本稿で最後に触れたとおりである。私たち臨床家が、葛藤理論とトラウマ理論が真に臨床的な意味を持つ形でバランスを取りつつ、私たちの患者の理解に用いられることを願う。

 

2016年1月19日火曜日

精神分析におけるトラウマ理論(仕上げ)5

トラウマ理論と発達理論

最近のトラウマ理論との関連でぜひ触れておきたいのが、attachment trauma” (愛着トラウマ)の概念である。この概念を提唱しているのが、臨床家でもあり脳科学者でもあるAllan Schore 博士である(Schore, 2009)。
Schore は乳児が生後の一年間で、母親と乳児の間できわめて重要なコミュニケーション、彼が言うところの「右脳間でのコミュニケーション」が行われ、そこで精神生物学的な意味での調律が行われるとする。この時期に乳児の大脳皮質は十分発達していず、今後のその発達を支える意味でのグラウンドワークが、母子間で行われるのだ。そこでは匂いや音、皮膚感覚などを通して、大脳辺縁系でのコミュニケーションが行われ、乳児の覚醒レベルが維持されていく。そこで大切なのは、刺激が大きすぎず、少なすぎずということであり、母子が情緒的に同期化していることである。もしそれが起きないと、母子間で一種の情緒的な衝突、彼が「間主観的衝突」と呼ぶものが生じ、それが乳児の情緒不安定の成立の妨げにつながる。Schore はこの深刻な事態を愛着トラウマと呼び、その後の様々な情緒的な問題や解離症状につながると論じる。
 
この愛着トラウマの際に生じる自律神経の過覚醒状態について、Schore はこれを最近の Porges の polyvagal theory と結びつける(Porges, 2001)。この理論によれば副交感神経系には二種類があり、腹側迷走神経は、通常の適応につながるが、ストレス下では背側迷走神経という、いわばアラーム信号に匹敵するシステムが働き、低覚醒状態、痛み刺激への無反応性を生む。こうしていわば解離が生じるためのメカニズムが発動するのである。
この Schore の議論の背景にあるのが、精神分析における愛着理論の歴史である。Bowlby により始まった愛着理論は、Mary Ainsworth のストレンジシ・チュエーション・パラダイムの研究を経て愛着のタイプ分けの研究につながったが、その後継者 Mary Main がSolomon とともに新たに提唱したのが、いわゆるタイプDの愛着である(Main, M., & Solomon, J. ,1986)。このタイプDでは非常に興味深いことが起きる。タイプA, B, Cにおいては、戻ってきた親に対して子供はしがみついたり、怒ったりという、比較的わかりやすいパターンを示すが、タイプDの子供は混乱と失見当を呈する。これは虐待を受けた子供の80パーセントにみられるパターンといわれるが、Schore は、それを解離性の反応とし、それを愛着トラウマと結び付ける。このパターンを示す子供の親はしばしば虐待的であり、子供にとっては恐ろしい存在なため、子供は親に安心して接近することが出来ない。逆に親から後ずさったり、他人からも距離を置いて壁に向かっていったり、ということが起きるのである。
 このように Schore はトラウマの理論を愛着の失敗ないしは障害としてとらえ、それを上述の解離理論とも結びつけて論じているのである。そして特定の愛着パターンが解離性障害と関係するという所見は、時には理論や予想が先行しやすい分析的なトラウマや解離の議論にかなり確固とした実証的な素地を与えてくれるのだ。
 
Schore, A: Attachment trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In (Dell, Paul F. (Ed); O'Neil, John A. (Ed), (2009). Dissociation and the dissociative disorders: DSM-V and beyond., (pp. 487-493). New York, NY, US: Routledge/Taylor & Francis Group)
Porges SW: The polyvagal theory: phylogenetic substrates of a social nervous system. Int J Psychophysiol. 2001 Oct;42(2):123-46.
Main, M., & Solomon, J. (1986). Discovery of an insecure-disorganized/ disoriented attachment pattern: Procedures, findings and implications for the classification of behavior. In T. B. Brazelton & M. Yogman (Eds.), Affective Development in Infancy, 95-124. Norwood, NJ: Ablex.)
Hesse, E., & Main, M. (2006). Frightened, threatening, and dissociative parental behavior in low-risk samples: Description, discussion, and i nterpretations. Development and Psychopathology, 1 8, 309-343.)


2016年1月18日月曜日

精神分析におけるトラウマ理論(仕上げ)4

フェレンチの先駆性の話だった。最近はすっかりフェレンチ三昧、フロイト三昧である。あとは学生さんの論文読み。これが結構なボリュームである。

それらの研究が示すのは、Ferenczi の驚くべき先見の明であり、後のトラウマや解離に関する理論を事実上先取りしていたという事実である(Aron, Harris (eds.) The Legacy Of Sandor Ferenczi (1993). Editors: Lewis Aron & Adrienne Harris.Routledge)Ferencziの業績の再評価は、そのまま精神分析における外傷理論の再評価を表しているとも考えられるであろう。
Ferenczi の理論の先駆性を示す概念の一つに、「攻撃者との同一化」がある。この概念は、一般には Anna Freud(1936) が提出したと理解されることが多い。彼女の「自我と防衛機制」(A.Freud,1936)に防衛の機制一つとして記載されている同概念は、「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する。(p. 113).」と説明される。しかしこれはかなり誤解を招き、そもそも Ferenczi の考えとは大きく異なったものである(Frankel, 2002)。Ferenczi は、この概念の意味するところとして、「子供が攻撃者になり替わる」とは言っていない。彼が描いているのはむしろ、一瞬にして自動的に起きる服従なのである。
Freud, A. (1936) The Ego and the Mechanisms of Defense,
 International Universities Press.(アンナ・フロイト著作集 2, 岩崎学術出版社、1998年) 
Frankel , J (2002) Exploring Ferenczi's Concept of Identification with the Aggressor: Its Role in Trauma, Everyday Life, and the Therapeutic Relationship. Psychoanalytic Dialogues, 12:101-139.

 Ferenczi がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」を少し追ってみよう。

Ferenczi, S. (1933/1949). Confusion of tongues between the adult and the child. International Journal of Psychoanalysis, 30, 225-230. (フェレンツィ「おとなと子供の間の言葉の混乱」(「精神分析への最後の貢献―フェレンツィ後期著作集― 森茂起ほか訳 岩崎学術出版社、2007年 に所収」。
 「彼らの最初の衝動はこうでしょう。拒絶、憎しみ、嫌悪、精一杯の防衛。『ちがう、違う、欲しいのはこれではない、激しすぎる、苦しい』といったたぐいのものが直後の反応でしょう。恐ろしい不安によって麻痺していなければ、です。子どもは、身体的にも道徳的にも絶望を感じ、彼らの人格は、せめて思考のなかで抵抗するにも十分な堅固さをまだ持ち合わせていないので、大人の圧倒する力と権威が彼らを沈黙させ感覚を奪ってしまいます。ところが同じ不安がある頂点にまで達すると、攻撃者の意思に服従させ、攻撃者のあらゆる欲望の動きを汲み取り、それに従わせ、自らを忘れ去って攻撃者に完全に同一化させます。同一化によって、いわば攻撃者の取り入れによって、攻撃者は外的現実としては消えてしまい、心の外部ではなく内部に位置づけられます。」(p.144-145)

解離の理論との関連

このようにトラウマの犠牲になった子供はむしろそれに服従し、自らの意思を攻撃者のそれに同一化する。そしてそれは犠牲者の人格形成や精神病理に重大な影響を及ぼすことになる。Ferenczi はこの機制を特に解離の機制に限定して述べたわけではないが、多重人格を示す症例の場合に、この攻撃者との同一化が、彼らが攻撃的ないしは自虐的な人格部分を形成する上での主要なメカニズムとする立場もある(岡野、2015)
(岡野憲一郎:黒幕人格の成り立ち、解離トラウマ研究会、2015年12月20日、市谷)
精神分析におけるトラウマ理論を論じるうえで、近年目とみに論じられることの多い解離に関する理論に触れておく必要があるだろう。その先導者ともいえるDonnel Stern やPhillip Bromberg の著書は邦訳も入手可能である(Stern, D.,2010, Bromberg, 2011)。
Stern, D.: Partners in Thought: Working with Unformulated Experience, Dissociation, and Enactment (Psychoanalysis in a New Key Book Series, Routledge., 2010.ドンネル・スターン (著), 一丸藤太郎 (翻訳), 小松貴弘 (翻訳)「精神分析における解離とエナクトメント: 対人関係精神分析の核心」創元社、2014年
Bromberg, P.: The Shadow of the Tsunami: and the Growth of the Relational Mind  Routledge, 2011.
フィリップ・ブロンバーグ (著)、吾妻壮ほか(訳)「関係するこころ」誠信書房、2014年.
 Bromberg によれば、解離は基本的には正常範囲でも起き、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離に関しては、トラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになり、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Bromberg はまたトラウマを発達上のいわば「連続体」としてのそれ(発達トラウマ)としてもとらえる。この発達トラウマはまた、発達早期に親から受け入れられ、必要とされるという体験のそれが欠如することにも関係する。彼はこのトラウマtraumaを、性的虐待や暴力などに代表される、大文字のトラウマ Trauma と区別する。この発達との関連でブロンバークはまた、解離とメンタライゼーションとの関係についても論じ、Peter Fonagy や John Allen などの研究者による業績と自分の治療論を非常に近い位置においている。
このように Bromberg の立場は基本的にはトラウマモデル、ないしは欠損モデルのそれであり、そして彼が主として依拠するのは HS.Sullivan の理論である。すなわち解離において生じるのが Sullivan の概念化した「私でない自己―状態 not-me」なのである。その意味で、Bromberg ブロンバーグの彼の解離理論はトラウマ理論とサリバンの理論との合体というニュアンスがある。
Stern や Bromberg の解離の議論に特徴的なのは、その機制をエナクトメントの概念と絡めて論じる点である。エナクトメントは二者的な解離プロセスであり、その解離は患者だけではなく治療者をも包む繭のようなものとして表現される。そしてそれを治療的に扱う分析状況としてBrombergが提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期のトラウマを、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性なのである。Brombergはまた治療技法のひとつとしてFreudの「自由にただよう注意」に注目する。これはFreudが「強制的な技法」ではない自由な技法として提唱したが、患者の言葉の意味を見出すという作業にとってかわることにより、後世の分析家たちにとってはその目的を果たさなかったという。しかし関係精神分析的な「聞き方」とは、「絶えずシフトしていく多重のパースペクティブ」に調律することで、それは両者によるエナクトメントにも向けられるという。
Brombergの解離理論は、すでに新しい精神分析の行先を見越し、そこには解離と心の理論、愛着、脳科学などがキー概念となることを提唱していることである。ただ彼が扱う解離は精神医学的な「解離性障害」とは若干異なるということだろうか。ここで広義の解離と狭義の解離を区別すること、ないしは「精神分析的な解離」というタームを導入する必要が生じるかもしれないであろう。




2016年1月17日日曜日

精神分析におけるトラウマ理論(仕上げ)3


さらには「誘惑仮説」という表現の中の「誘惑」という言葉が持つ問題についても指摘されている(Makari, 1998) 。言うまでもなく「誘惑」という言葉には誘惑する側とされる側が想定し、子供が性的虐待に間接的に加担したというニュアンスを与える可能性がある。
上述のように Freud は幼児に対する性的な虐待の存在の事実を全面的に否定することはなかったが、同様にトラウマに関連した概念である解離という現象はその概念については、きわめて否定的であった。この概念についても、Freud は当初は深い理解を示していた。1892年の時点で、Freud は Breuer の解離に関する見解 (いわゆる「類催眠状態」) に全面的に同調して次の様に述べる。
「したがって、我々はその限りにおいて既に、ヒステリーの素因の特徴づけをもくろむ次のような仮定を取り上げることなくして、ヒステリー諸現象の成立の条件を論ずることは不可能であつた。その仮定とは、ヒステリーにおいては一時的な意識内容の解離が容易に生じるということと、連想によって結びついていない個々の表象複合がいきなりばらばらにされてしまうという事態が容易に生じるということである。よって我々はヒステリーの素因を、そのような状況が(内的な原因によって)ひとりでに発生するか、あるいは、外部からの諸影響によって容易に誘発されるという点に求めることになるのだが、その場合に我々は、ある系列においては、この二つの要因がさまざまに程度を変えて関与しているものと見なしている」
『ヒステリー研究』に関連する3篇、岩波「全集」1、p308(FREUD, S. (1892). Sketches for the ‘preliminary communication’ of 1893. SE1,  148.)。
ここには解離が生じる原因として、当人の持つ素因とともにトラウマ因を重視したバランスの取れた見解が示されている。しかしすでにヒステリー研究(1895)において、Freud は類催眠状態の概念は本来自らのものではないとし、Breuer の同概念の、トラウマや退屈さのために不快な体験がスプリットされるという考え方には、力動性という概念が欠如していることを批判した。
Freud, S. Studies on Hysteria SE 2 ヒステリー研究 フロイト全集2(岩波書店)
さらに Janet の解離理論についても、患者がもともと持つその人の心の弱さに棄却されるという点について批判を行っている。近年のトラウマ理論における乖離概念の扱われ方は、本稿の後半で再び論じる。

Ferencziの先駆性

こうしてFreudはトラウマのテーマから距離を置くようになり、1930年代になると、あたかも自身の1890年代までの性的外傷説の内容をより精緻化したかのようなFerenczi の発表に対しては、Freud自身が全力を持ってその公開を阻止しようとした。
 しかし近年の関係精神分析においては、このFerencziの先駆性およびトラウマ理論の重要性が見直されつつある。2008年にはニューヨークにフェレンチセンターも立ち上がっている。わが国でも森茂起らによる翻訳により、Ferencziの業績が再考される機会が与えられている。

Sándor Ferenczi S., Dupont, J. (ed.)  The Clinical Diary of Sándor Ferenczi Harvard University Press,  1995 (フェレンツィ著、 森茂起ほか訳 臨床日記 みすず書房、2000
Further Contributions to the Theory and Technique of Psychoanalysis Ford Press, 2007精神分析への最後の貢献―  (著), 森 茂起 (翻訳)  フェレンツィ後期著作集 岩崎学術出版社、2007年。