2014年7月9日水曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)9

例の本とは、Bruce Ecker , Robin Ticic , Laurel Hulley,:Unlocking the Emotional Brain: Eliminating Symptoms at Their Roots Using Memory Reconsolidation. Routledge; 2012. すばらしい本だ。

この本のエッセンスをひとことで言えば、記憶の再編、すなわち再固定化を促すのは、その記憶が想起された際に加わるある要素であるという。それを彼らは「ミスマッチ」と呼ぶ。記憶は、思い出すと同時に何か過去とマッチしないことが起きなくては再編されない。
再固定化=再活性化+ミスマッチ
ということになる。改めて式にするまでもないか…。
再固定化についての知見が広まった当初は、記憶が呼び起されることだけで、再固定化が起きるという誤解が広まっていたし、今でもそのような誤解があるという。確かに臨床の場面でも、外傷の記憶を呼び覚ますだけで「徐反応が起きた!」と考えて、それが治療の一環だと思う臨床家は少なくないかもしれない。ところが記憶が呼びさまされた状態でミスマッチな情報や刺激を与える。一定の時間内に(それをこの本ではそれを5時間の「再固定化の時間帯 reconsolidation window」としている。P.22)それを繰り返すことで、新たな学習が成立する。
ではこのミスマッチとは何か。それは期待を裏切るような salient novelty or an outright contradition であるという。つまり目につくような新奇さや、露骨な矛盾ということだ。たとえばネズミが一定の音を聞いて、「いよいよこれから足にショックが来るな」と身を縮めた時、ショックの代わりに温かいミルクを与えられたり、柔らかい物体で体をなでられたり、ということだろう。そして「期待したことと違うことが起きた!」というエラーメッセージが脳のどこかから出されなくてはならない。それにより徐々にネズミは「一定の音」により身をすくますことがなくなっていく。
ところでここで大事な点なのだが、この再固定化は、このネズミが記憶している「音が鳴った後に足に刺激を与えられた」という思い出(すごーく頭のいいネズミということにしよう。本当は人間の例にするべきだった)を消すことにはならないという。電気刺激を受けて、不快を覚えたことは覚えているが、身をすくませることはない。つまりは陳述的な記憶はそれとしてきちんと保存されているというわけだ。

とにかくこれを目指す治療法を本書で展開していく。


2014年7月8日火曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)8

コワ~い台風が近づいている。案外関東に来るころには温帯低気圧になったりして。

再固定化と治療への応用

これまで少し長めに再固定化についての最近の研究について振り返ったが、今後治療論に進むに当たって、少しおさらいしておきたい。最初に述べたように、これまでは記憶というのは一度形成されたら、後はそのままだと考えられる傾向にあった。たとえて言えばレコード盤の上に記録された微細な凹凸のパターンのようなものであり、そこをレコード針によりなぞって再生させることが記憶を甦らせることだという考えを持っていたのである。そこで再固定化について考える上で、このアナロジーを引っ張ってみたい。 
 最初にプラスチックのレコード盤に音が蓄えられる際、表面に細かい凹凸からなる溝が焼き付けられていく。記憶を再生するとは、それこそレコードの針を走らせ、その凹凸を感じ取り、音に再生することになる。最初のレコード盤の凹凸が同じである限り、再生される音も変わらないことになる。
さて再固定化が起きるためには、一度記憶が不安定になり、可塑的にならなくてはならない。レコード盤の比喩で言えば、レコード盤の表面のプラスティックが、逆に新たな凹凸をレコード盤に刻み込む必要がある。これを起こすにはどうしたらいいのか? 単に思い出すことでは足りないらしい。
ちなみに単に思い出すことにも用語がつけてある。それが再活性化 reactivation というそうだ。すでに出来上がったレコード盤の上を針がなぞることである。そこでレコード盤の針が表面の凹凸を拾っているときに、何かが加わるとプラスチック盤上の凹凸が書き換えられる。それがこれまでの研究では「新しい情報」ということだった。単に受動的に音を拾っていただけのレコード針が、逆に能動的にレコード盤に新たな情報を刻んでいく。
おそらくレコード盤の音を拾っている針を同時に動かすような発想を私たちは持っていなかった。そんなことがおきようとは考えていなかったのである。問題は、この「新しい情報」がいったい何なのかがわからないことなのだ。しかしそのヒントになるような治療法が提唱されつつある。

ということで「例の本」につなげていくわけだ。


2014年7月7日月曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)7

 再固定化の話、さらに続くのであるが、ネットでは4年前に富山大学で、画期的な研究が行われたことが報告されている。以下にこのサイトの記載を参考にする。(http://www.jst.go.jp/pr/announce/20100323/)
アクチビンという物質がある。動物の体内で分泌されるホルモン因子として、「さまざまな臓器において増殖や分化を制御することが知られていた」が、その脳における働きは不明であったという。ところが富山大の井ノ口馨教授の研究グループは、これが再固定化のメカニズムに関与していることを発見したという。そのためにまずまず脳内アクチビン活性を人為的に制御できる遺伝子操作マウスを世界で初めて作製したという。日本人の手でというのだから、これはすごいことだ。そして「このマウスを用いた研究により、記憶の再固定化が起きる実験条件下では、いったん強固に形成された恐怖記憶でも想起時に脳内アクチビンを阻害すると、その後、恐怖記憶が減弱すること、また消去学習が起きる実験条件下では、想起時に脳内アクチビン量を増やすと消去学習が抑制され、いったん形成された恐怖記憶が消去されにくくなることが分かりました。これらの結果から、脳内アクチビンは恐怖記憶の再固定化と消去学習の両方を制御していることを明らかにしました」という。
私なりに理解したところでは、このアクチビンとは、記憶の消去された部分や書き換えられる部分に対して働き、シナプスの新生や増強を促すことになる。これまでに紹介したアニソマイシンがこのプロセスにマイナスに働くとしたら、アクチビンとはプラスに働く、おそらくBDNF(脳由来神経栄養因子、精神科医はこちらのほうになじみがある)のようなものではないか。
この研究は2010年3月ということだから、それから4年以上たってどれほどの成果が積み重なったかは、ネット上は明らかではない(というか、不思議なことにあまりこのテーマではヒットしないのだ。もっとセンセーショナルに扱われるはずなのだが)ただアクチビンを薬物として与えることでPTSDのフラッシュバックを抑えることができるのではないか、などと臨床家の夢は膨らむのである。


2014年7月6日日曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)6

 さて再固定化のプロセスには興味深い問題が潜んでいる。動物実験ではある記憶が十分に学習された後には、それを思い起こす際にタンパク質合成阻害剤のアニソマイシンを注入しても、もはやその記憶は障害されないというのだ。障害されやすいのはまだ十分に学習されていないものである。つまりたとえばある詩を完全に暗誦しつくしている場合は、それを再び声に出して朗読したからといって、その記憶が再編される可能性はないわけだ。そこで新たなタンパク質合成は行われないことになる。また想起の際に新しい情報が付け加わるような場合にも、アニソマイシンはその記憶自身を障害するという。
以上のことをどのように理解したらいいのだろうか?私の考えはこうだ。記憶といっても完全なものはない。その一部は多くの場合時間とともに徐々に失われていく。「消去」されていくのだ。するとあることを想起する際には、不完全になった記憶の部分を強化補強するためにシナプスが新たに再生、ないし新生されることになる。その可能性は二つあるという。一つはすでに出来ているシナプスが強化されること。もう一つはそれに参加している神経細胞の数がより多く動員されるということだ。(例の本Chapter 11 Memory Reconsolidation or Updating Consolidation? Carlos J. Rodriguez-Ortiz and Federico Bermúdez-Rattoni.  In Neural Plasticity and Memory: From Genes to Brain Imaging (Frontiers in Neuroscience) CRCP ress, 2007より ← 買う必要なし。なぜかネットですべて読める。)いずれにせよ思い出すということは、その記憶のうち失われた部分を強化する、そのためにタンパク合成が行われるということを意味するが、そこに記憶の改変が同時に起きてもおかしくない。
 たとえばかやぶき屋根の農家に年に一度避暑に出かけるとしよう。しっかり作られた家だが、一年のうちには修繕する必要が生じ、そのために新しい萱を用いたり、襖を張り替えたりすることになるだろう。それが新たなタンパク合成ということだ。
 ここで完璧な記憶の例としては、一年に一度使う資料をコンピューターのハードディスクから呼び出すという例が考えられる。この場合はおそらく年度を書き換えるということさえしなければ全く同じ資料をそのまま用いることになる。しかし生身の人間にこのような現象は絶対に起きないのだ。とすれば記憶を想起するということは、多かれ少なかれかやぶき屋根の農家モデルに従うことになる。

これは実に恐ろしいことを意味する。つまり最初からあいまいな記憶はそれが想起される際に、誰かから誤った情報を与えられることで、少しずつ形を変えていくということにならないか?つまり記憶は操作されてしまうことになる。本人が気が付かないうちに。しかし同時にこれは、固定されて何度もよみがえってくるような記憶を改変する可能性を秘めているということになりはしないか?そう、それが治療への応用可能性を示していることになるのだ。

2014年7月5日土曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)5


ちなみに私が読んだもう一つの論文、というよりはブックチャプター(Almut Hupbach*, Rebecca Gomezy, Lynn Nadely: Episodic Memory Reconsolidation: An Update の紹介する実験は、実際の人間を使ったものであるが、やはり興味深かった。何しろ人間が被験者の場合、足に電気ショックを与えるわけにもいかず、アニソマイシンを脳に打ち込むことに同意してくれるわけもないから、ラットに行った実験をそのまま人間に応用するわけにはいかないのだ。
 その実験はうろ覚えだがこんな感じだ。あるグループの人たちに20の品物を覚えてもらった後、数日たって集まってもらう。その際グループを二つに分ける。一つの群は数日前の20の品物を漠然と思い出してもらったのちに、新たな20の品物を覚えてもらう。もう一つの群には数日前の20の品物には触れることなく、新たな20の品物を覚えてもらう。さらに数日してから両方のグループを呼び出し、最初の20の品物を思い出してもらう。すると最初に覚えたという彼らの20の品物には大きな違いがあった。

端的にいえば、のちの20の品物を覚えてもらうときに、最初の20を一緒に思い出してもらった最初の群には、多くの混同がみられた。つまり最初の20の品物には、次の20の品物がたくさん混じってしまっていたのである。それに比べて「思い出し」を行わなければ、その混同が非常に少なかった。どういうことだろうか?一度覚えてもらった記憶が、妨害され、書き換えられたのだ。

2014年7月4日金曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)4

ところでこのミサニン先生の実験、後に更にソフィスティケートされた形で2000年にナダー先生とそのグループによりなされ、それがかなり決定的な力を持っていたという。(
Nader,K, Schafe GE, LeDoux, JE. Fear memories require protein synthesis in the amygdale for reconsolidation after retrieva. Nature 2000; 406:702) [Pubmed: 10963696]  この先生のグループの研究には、ル・ドゥー先生の名前もあり、やはり先生の指導のリーダーシップのもとで行なわれていることがわかる。この研究では、同じくラットを用いて、音を鳴らした後に足にショックを与えるというところまでは同じだが、今度はその後に電気ショックを与える代わりに、脳の扁桃核にアニソマイシンを注射したという。すると音を鳴らしてもそのマウスは何も反応を示さなくなった。ということはアニソマイシンにより一度形成された学習が消去されてしまったということになる。またこの学習が残っているかどうかについては、ボトルを舐めるという行動の変化から、体の動きを止める(フリージング)の長さという形に改められたという。これっていわば解離反応の長さという風にも考えられるな。
このナダー先生たちの研究が優れている点は二つあった。一つは電気ショックの代わりに蛋白質合成阻害剤のアニソマイシンを用いることで、学習の際のシナプスが形成されることを疎外したという過程がより明確になったということ、(ちょっと説明が必要かもしれない。長期記憶が成立する、ということはシナプス間のつながりが成立するということで、それは究極的にはそこでの蛋白合成が行なわれるということである。シナプスの素材はたんぱく質だからだ。)そして何よりもそれを注入した場所、すなわち扁桃核が特定できたということである。
しかしこの辺の研究、相当やられているようだ。固定と再固定では、一体何処に違いがあるのだろうか、どのような物質が用いられる(逆に用いられない)ことがその違いを生んでいるのか、ということについて、多くの研究があるものの、はっきりしない。コンピューターのアナロジーが好きな人はこう考えるといい。文書を作り最初に登録する。次にそれを引き出してすこし手直しをして、更新して登録する。一体コンピューターの中ではどのようなことが起きていて、初期の登録と更新にはどのような違いがあるのだろう?そんな話だ。


2014年7月3日木曜日

昨日の続き

きのう書いた後ネットで調べたら、本当にこんなニュースがあった。驚きである。てんかん発作を人工的に起こさせて、嫌な記憶をなくす、という試みである。

The Wall Street Journal 2013年12月23日
電気けいれん療法、記憶消去実験で成果―オランダの神経科学者
オランダの神経科学者らが、ヒトの脳に電流を流し、辛い記憶を消去する実験を行い、その成果を22日発行の専門誌「ネーチャー・ニューロサイエンス」に掲載した。これは、トラウマ(心的外傷)や精神障害、薬物中毒などの疾患に対する治療改善に向けた野心的な探求の一環である。
 実験では、患者はつらい話を聞かされ写真を見せられる。1週間後に電気けいれん療法(ECT)を受けた後、話を思い出してもらう。その結果、話は完全に記憶から消えていたことが分かった。実験を主導したオランダ・ラドバウド大学ナイメーヘン校の神経科学者Mrijn Kroes博士は「かなり強い影響がある」と、成果をあげたことを明らかにした。
 かつては、記憶がいったん脳に定着すると、ずっと保持され変わらいないと見られていた。不安障害の患者は、新たな記憶を組み込むことで不安に打ち勝つよう治療された。だがそれでも古い記憶は残り、いつ思い出すのかわからないとされていた。
 しかし10年ほど前に、実験用のマウスに恐怖を覚えた出来事を想起させたところ、その出来事の記憶は一時的に不安定になったように見えたが、何もしなければ2度目にはその記憶は定着したことが分かった。これが、再固定化(リコンソリデーション)と呼ばれるプロセスである。
 ところが、再固定化のプロセスを妨害する薬剤をマウスの脳に直接注入すると、恐怖の記憶はすべて消去されたものの、その他の記憶は消去されなかった。
 ヒトの記憶の固定化のプロセスを妨害することができるかどうかは難しいとみられていた。ヒトの脳に薬剤を注入するのは危険なことだからだ。Kroes博士らはその問題を避けられる方法を見いだした。
 同博士らの実験は、ECTを受けている深刻な鬱病患者39人を対象に行われた。これら患者は、ナレーションとともにコンピューター画面に映し出された2件のつらい話の写真を見せられた。1つは、自動車事故に遭った子供が手術で足を切断せざるを得なくなったというもの。もう1つは、姉妹が誘拐され、いたずらされたという話だった。
 1週間後、39人は無作為に3グループに分けられた。39人はつらい物語のうちの一方について詳細を思い起こす(リアクティベート)ようさせられる。
 Aグループはその直後にECTを施され、翌日に両方の話をどの程度覚えているか複数回答のテストを受けた。すると、リアクティベートを行っていない方の話については詳細をほとんど思い出した。
 しかしリアクティベートを行った話は記憶が極めてあいまいで、当てずっぽうといってもいいものだった。
 Bグループは、ECTを施された後、すぐに記憶テストを受けた。同グループの患者の記憶は両方の話とも完全だった。このことは、記憶に損傷を与えるには時間が掛かることをうかがわせる。
 CグループはECTを受けなかった。このグループは記憶がむしろはっきりした。これは、リアクティベーションもECTも記憶の再固定化を妨げ、ヒトの記憶を混乱させることを示している。

http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303745204579275433986226114