昨日書いた内容で、一番肝心な点は、診断は治療のために必要である、ということであった。もちろん診断は治療のため以外になされることもある。そもそも精神の異常にはどのようなものがあるかについて純粋に研究し、分類する立場があってもよいし、かつての精神医学は治療に関しては非常に悲観的であったから、診断とは一種の博物学的な興味とも繋がっていた。
しかし現在の精神医学では、特に薬物療法の発展とともに、多くの精神障害が治療により改善される可能性がでてきているのである。
ここで余談であるが、現代の診断が治療とより結びつく一方では、かえって結びつきを弱めているものがある。それが病因である。といっても昔は病因が明らかだった精神障害が、不明になってきた、といっているわけではもちろんない。以前は安易に原因を追求し、またそれを突き止めたことになっていたような精神障害について、実はそれが極めて多くのファクターが原因となっており、安易に一義的な原因を突き止めることは出来ないという理解が深まりつつあるのである。
何しろ統合失調症 schizophrenia の原因として、「統合失調症を生む母親 schizophrenogenic mother」 という概念がまかり通っていたのは、まだ半世紀しか前の話ではない。DSM-IIIやDSM-IVはその原因を問わないという姿勢において首尾一貫し、それだけに批判も集めていたが、原因を問わない、という診断基準がそれでもこれだけ使用に耐えていることは、上述の病因と診断との乖離を反映しているのである。
診断が治療と深く結びついているというのは、例えば薬物療法を考えた場合には歴然としている。抑うつ症状を示す患者に抗うつ剤を投与する場合、その患者が単極生のうつ病の診断を持つか、双極性障害を持つかは、薬物を用いる際の心構えや用心すべき点を考える上で非常に重要である。いうまでもなく抗うつ剤の副作用としての躁転をここでは意味しているのだ。米国では双極性障害の人には抗うつ剤は禁忌である、とさえ言う精神科もいるほどである。
30分面接の時間配分
ここで本来のテーマに戻り、30分の診断面接の構造について考えてみたい。
まずは最初の15分である。この時間は、患者の原病歴のあらましを描き出すことに全力が注がれる。
最初の3~5分。この時間はまずラポールの形成に用いられなくてはならない。有効な情報の聴取は、よりよいラポールの形成の上になされる。出会いの最初はまず患者を笑顔で迎え入れ、座るべき場所を示し、来談したことへの敬意を表する。この面接が30分であり、いろいろ質問に答えていただくことになることを伝え、了解していただく。ここで丁寧に「おっしゃりたくないことならお答えにならなくてもいい」と付け加えてもいいだろう。
この最初の段階で基本的データの収集を行うという方針もありうる。患者の年齢、居住環境、職業の有無、婚姻歴などは、いずれは聴取しなくてはならない重要な情報である以上、最初にチェック項目のようにして聞いてしまうのも悪くはない。ただしそれもラポール形成の上である。患者の側が「いきなり個人的なことを根掘り葉掘り聞かれてはたまらない」と感じてしまうようでは、面接はよい滑り出しを得たとは決していえないのだ。
最初の5分の残りの部分は、米国の面接法の講義などでは、できるだけオープンクエスチョンを与えて患者の話し方の様子を伺うべし、とある。これは正しい示唆であるといえる。30分面接は、これから終わりになるに従って、ますます構造化されていく。とすれば最初は柔らかく始め、患者が自由な表現の機会をどのように用いるかを知ることには意義が多い。ただしそれでもそのオープンクエスチョンとして選ぶのは、それだけの価値のあるものをお勧めする。それは端的に「今一番来談の理由とすべき事柄は何か?」「一番困っていることは何か?」といった、主訴に繋がる質問である。
2011年4月30日土曜日
2011年4月29日金曜日
勉強嫌いの精神科医
私は渡米した際には、基本的には日本の平均的な精神科医のあり方に近かったか、やや新しいものに関する勉強を怠るというタイプの医師であったと思う。すなわち「臨床はそれなりにやるが、精神医学の勉強はその本質にかかわらないから、あまり必要としない」と考えていた。これは60~70年代に学園紛争の波に呑まれた一部の精神科医の間に広がっていた空気であり、私も卒後はそれに暴露されて不勉強の口実に使った。そしてそれはまた博士号をとるこ矢研究論文を書くこと、学会発表をすることへの否定的な考えにもつながっていた。
この種の空気に染まると医師は驚くほど不勉強なままに臨床経験だけを重ねていき、しかもそのことに気がつかない。私も渡米した当時は、医師として4年も経ったのだから、大抵のことは知っているであろうと思っていた。そこで当時のECFMGという試験の対策用の問題集を買い求めた。ECFMG(今は別名に変わっている) はアメリカ人の医学生が受ける国家試験と同レベルものを、私のように外国の医学部を卒業した医師が受けるように作成したものである。世界全土で実施し、日本でも東京が会場となり、年に二回実施されていた。アメリカで医師免許を獲得するためにはまずはこのECFMGに合格しなくてはならないので私もその受験勉強をしたのだが、内科、小児科、外科、などなど各科がある中で、他の科はまだしも、精神科の問題集だけは楽勝だと思っていた。しかしこれがさっぱり出来ない。それは端的に、精神科医になってからあまり教科書的な勉強をしないということを意味していたのだが、そのこと自体の自覚が私にはなかった。
ちなみに私はこのECFMGにも日本に滞在していたころから実は数限りなく受けては落ち続けて、パリ留学中もパリ会場で受験しては落ち、渡米して一年目にようやく合格したのだが、まあ私が試験に落ちる話はもういいだろう。
アメリカで晴れて医師免許を取得して、メニンガー・クリニックで精神科のレジデントとして働き始めたのだが、何しろ学科の授業が週に二日はある。そして4年間のレジデント教育のうち、第2,第4学年には、PRITEという模擬試験が行われる。これは実は専門医試験と同じフォーマット(すなわち実技と学科)であり、そのためにたくさん勉強を強いられるのである。そして卒業してから2年して受け始める専門医試験、これが曲者であることはすでに述べた。
それに比べて日本の精神医学教育は、少なくとも国のレベルで定めているものとしてはゼロに近い。卒業して精神科医になったら、所属先の医局でクルズス(少人数の講義)という名の教育は受けるが、それで勉強は終わり、というところがある。それに試験という形でチェックされない知識というのは、多寡が知れている。(ちなみに現在の精神科の専門医制度は、この部分を変えようとしているのであり、ある程度の成果は出ているかもしれない。)
ここまでで長文になりつつあるが、私が言いたいのは、そのアメリカの精神医学教育の中の主要なものとして、精神科の症候学と診断学が当然含まれるということだ。いや、それが大部分といっていい。日本の医師のように「診断なんて・・・・DSMなんて」と言っていられない。そしてその為の標準化されているテキストがある。それがDSMというわけである。
さて30歳代のはじめに米国に渡った私は、かの地で精神科の臨床をや利、それで生計を立てるためにこのレジデントトレーングを経たわけであるが、30歳を過ぎても勉強と試験を繰り返すことについては、基本的に大嫌いだった。診断基準などを覚えこむことも苦手であるし、先述のとおり治療の本質にはかかわらないこと、という思いがあった。「診断で患者さんを治せるか!」などと嘯いていたものである。しかし嫌々ながら専門医試験を受け続け、得たものは非常に多かった。精神の問題は奥が深く、実に様々な様相を呈す。それはある程度までは分類できるが、それ以上は個人間のバリエーションが大きく、またいくつかの問題が重ね着状態になってその人の問題を形作っている。患者を前にして自分が何を扱っているのかを知ることでしか、それをどのように治療すべきかということは決まってこない。というよりはどのような治療をするべきかを決めるために必要な手段として、診断があるのである。私たちが疑問点を明らかにし、好奇心を満たすというだけのために診断が存在するのではないということ点は非常に重要である。
これは不思議な現象なのだが、ある患者さんがかなり置いて訪れ、その臨床像を忘れそうになっている時に自分の過去のカルテを読み返す場合、一番さがすのは、「診断」の部分なのだ。過去に自分がその患者さんと会い、アセスメントを行い、何を結論づけたかのエッセンスは、一語の診断に込められていると言っていい。昨日のブログで「診断とは医師の間のコミュニケーションの手段だ」といったが、まさに過去の自分とのコミュニケーションを行うようなものなのである。
なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?
この種の空気に染まると医師は驚くほど不勉強なままに臨床経験だけを重ねていき、しかもそのことに気がつかない。私も渡米した当時は、医師として4年も経ったのだから、大抵のことは知っているであろうと思っていた。そこで当時のECFMGという試験の対策用の問題集を買い求めた。ECFMG(今は別名に変わっている) はアメリカ人の医学生が受ける国家試験と同レベルものを、私のように外国の医学部を卒業した医師が受けるように作成したものである。世界全土で実施し、日本でも東京が会場となり、年に二回実施されていた。アメリカで医師免許を獲得するためにはまずはこのECFMGに合格しなくてはならないので私もその受験勉強をしたのだが、内科、小児科、外科、などなど各科がある中で、他の科はまだしも、精神科の問題集だけは楽勝だと思っていた。しかしこれがさっぱり出来ない。それは端的に、精神科医になってからあまり教科書的な勉強をしないということを意味していたのだが、そのこと自体の自覚が私にはなかった。
ちなみに私はこのECFMGにも日本に滞在していたころから実は数限りなく受けては落ち続けて、パリ留学中もパリ会場で受験しては落ち、渡米して一年目にようやく合格したのだが、まあ私が試験に落ちる話はもういいだろう。
アメリカで晴れて医師免許を取得して、メニンガー・クリニックで精神科のレジデントとして働き始めたのだが、何しろ学科の授業が週に二日はある。そして4年間のレジデント教育のうち、第2,第4学年には、PRITEという模擬試験が行われる。これは実は専門医試験と同じフォーマット(すなわち実技と学科)であり、そのためにたくさん勉強を強いられるのである。そして卒業してから2年して受け始める専門医試験、これが曲者であることはすでに述べた。
それに比べて日本の精神医学教育は、少なくとも国のレベルで定めているものとしてはゼロに近い。卒業して精神科医になったら、所属先の医局でクルズス(少人数の講義)という名の教育は受けるが、それで勉強は終わり、というところがある。それに試験という形でチェックされない知識というのは、多寡が知れている。(ちなみに現在の精神科の専門医制度は、この部分を変えようとしているのであり、ある程度の成果は出ているかもしれない。)
ここまでで長文になりつつあるが、私が言いたいのは、そのアメリカの精神医学教育の中の主要なものとして、精神科の症候学と診断学が当然含まれるということだ。いや、それが大部分といっていい。日本の医師のように「診断なんて・・・・DSMなんて」と言っていられない。そしてその為の標準化されているテキストがある。それがDSMというわけである。
さて30歳代のはじめに米国に渡った私は、かの地で精神科の臨床をや利、それで生計を立てるためにこのレジデントトレーングを経たわけであるが、30歳を過ぎても勉強と試験を繰り返すことについては、基本的に大嫌いだった。診断基準などを覚えこむことも苦手であるし、先述のとおり治療の本質にはかかわらないこと、という思いがあった。「診断で患者さんを治せるか!」などと嘯いていたものである。しかし嫌々ながら専門医試験を受け続け、得たものは非常に多かった。精神の問題は奥が深く、実に様々な様相を呈す。それはある程度までは分類できるが、それ以上は個人間のバリエーションが大きく、またいくつかの問題が重ね着状態になってその人の問題を形作っている。患者を前にして自分が何を扱っているのかを知ることでしか、それをどのように治療すべきかということは決まってこない。というよりはどのような治療をするべきかを決めるために必要な手段として、診断があるのである。私たちが疑問点を明らかにし、好奇心を満たすというだけのために診断が存在するのではないということ点は非常に重要である。
これは不思議な現象なのだが、ある患者さんがかなり置いて訪れ、その臨床像を忘れそうになっている時に自分の過去のカルテを読み返す場合、一番さがすのは、「診断」の部分なのだ。過去に自分がその患者さんと会い、アセスメントを行い、何を結論づけたかのエッセンスは、一語の診断に込められていると言っていい。昨日のブログで「診断とは医師の間のコミュニケーションの手段だ」といったが、まさに過去の自分とのコミュニケーションを行うようなものなのである。
なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?
2011年4月28日木曜日
初回面接とは診断面接である
初回面接で何をやるのか、という問いに対する答えがこれである。診断を決めること。いや実を言うと、これは正確ではない。治療方針を定めること。そしてそのために診断を確定することが最優先課題となるのだ。治療をするためには診断を下さなくてはならない、という言い方に抵抗を持つ人もいるであろう。私も昔はそうであった。「精神科の診断なんていい加減だから」、とか「いろいろな人が異なる診断基準を使うのだからあてにならない」、という意見も出そうである。診断は単なるレッテル貼りである、という考えも成り立つ。しかし診断はレッテルであったとしても、どのようなレッテルを貼るかは非常に重要なのだ。私がよく用いる表現であるが、「診断というレッテルは、貼った後はがすためにある」のである。すなわち診断とは、患者の示す多様な様相にひとつの切り口を与えてみせたに過ぎないことを自覚して行うものであり、別の視点や切り口からは別のものになりうることを理解しつつ用いることである。
診断はコミュニケーションである
よく診断は意味がない、とかDSMは操作的である、という日本の臨床家の話を聞く。彼らの気持ちが全くわからないわけではないが、アメリカでDSMを使い続けて十数年の経験を持った私としては、そのポジティブな意味も強調するべきだと考える。それは診断とはある種のコミュニケーションの手段であるということだ。誰から誰へのか?臨床家から臨床家へ、である。たとえばDSMの定義するうつ病がある。日本で何かと批判の的になっているこの診断基準をここであえて例に出そう。ある患者についてA医師がうつ病と診断をしたということをB医師が知るということで、その患者に対するA医師の評価の結果が伝わる。「そうか、Aはそのように考えたのか」というふうに。それが診断の目的なのである。その際重要なのは、二人が同じ診断基準であるDSMを用いているということだ。そしてその同じDSMの基準は、出来るだけ細かく作っておくほうが言い。そのほうがA医師の意味するうつ病と、B医師が意味するうつ病が一致するからだ。
するとたとえば「DSMではうつ病として取る範囲が広すぎる」、という批判は本質的ではない、ということになる。A医師もB医師も、その範囲の広いDSMのうつ病という基準を同時に用いているのであるから、同じものを見ているということには変わりないからである。DSMのうつ病に関しては、アメリカでの精神科医のコンセンサスから成り立っている。それを広すぎると主張する日本の精神科医のほうが「正しい」という保証はない。うつ病としてアメリカの精神科医とは別のものをイメージする、ということだけかもしれないのである。(続く)
診断はコミュニケーションである
よく診断は意味がない、とかDSMは操作的である、という日本の臨床家の話を聞く。彼らの気持ちが全くわからないわけではないが、アメリカでDSMを使い続けて十数年の経験を持った私としては、そのポジティブな意味も強調するべきだと考える。それは診断とはある種のコミュニケーションの手段であるということだ。誰から誰へのか?臨床家から臨床家へ、である。たとえばDSMの定義するうつ病がある。日本で何かと批判の的になっているこの診断基準をここであえて例に出そう。ある患者についてA医師がうつ病と診断をしたということをB医師が知るということで、その患者に対するA医師の評価の結果が伝わる。「そうか、Aはそのように考えたのか」というふうに。それが診断の目的なのである。その際重要なのは、二人が同じ診断基準であるDSMを用いているということだ。そしてその同じDSMの基準は、出来るだけ細かく作っておくほうが言い。そのほうがA医師の意味するうつ病と、B医師が意味するうつ病が一致するからだ。
するとたとえば「DSMではうつ病として取る範囲が広すぎる」、という批判は本質的ではない、ということになる。A医師もB医師も、その範囲の広いDSMのうつ病という基準を同時に用いているのであるから、同じものを見ているということには変わりないからである。DSMのうつ病に関しては、アメリカでの精神科医のコンセンサスから成り立っている。それを広すぎると主張する日本の精神科医のほうが「正しい」という保証はない。うつ病としてアメリカの精神科医とは別のものをイメージする、ということだけかもしれないのである。(続く)
2011年4月27日水曜日
精神科30分面接
新たな原稿を書く必要性が生じた。今度は精神科医が行うインテーク面接についてのものである。精神科医が初診で患者と会って最初の30分以内で診断的な見立てを行い、それを患者にフィードバックし、治療方針を決める、というところまで持っていくにはどうしたらいいのだろうか?これは精神科医が実は毎日のように行っていることでありながら、方法論が定められていず、教科書もないという驚くべき事情がある。
例えばゴルフを学ぶなら、最初にクラブをどのように握るか、というところから入るだろう。ところが精神科の面接の教科書には、いきなりコースに出たところから論じ始めるか、あるいはそのような教科書すらも全然存在しないかもしれないのである。それぞれの教育機関で作られているものはあるかもしれないが・・・・。そこで精神医学の先進国(ある意味では、であるが)米国ではどうかと言えば、これがあまりないのだ。その代わり・・・・それを試験官の前で行わせて合否を決めるというコワーい試験がある。アメリカで精神科のレジデントを終えて2年ほどすると、精神科の専門医 board certified psychiatrist になるための実技試験を受け始める。この試験に合格するために、アメリカの精神科医の多くがこの30分面接に頭を悩ませるのだ。合格率は6割程度だが、この実技試験は、私のような外国人の医師にはかなりきつい。ヒアリングの悪さが露呈してしまうのだ。
私はこの試験のことを実によく知っている。というのもこの試験に○回も落ちたのだ。一年に一度チャンスがあるこの試験のための練習をし、受け、惜しいところで落ちというところを何年も続けたために、かなりの方法論を身につけることが出来た。私に最後まで欠けていたのは、英語の聞き取りの力により患者(実際の患者が日当を支払われた上で用いられる)が語る内容のわずかなニュアンスをつかむ能力だったのだ。
思い出すだけで辛い思いであった。カリフォルニア州ロサンゼルス、フロリダ州タンパ、カリフォルニア州サンディエゴ、コロラド州デンバー、オハイオ州シンシナチ、ワシントン州シアトル・・・・しまった。これだけあげると、何度落ちたかバレてしまうではないか。)
実はこの試験、筆記試験と実技試験がある。筆記試験を受かったものが3回の実技を受けることが出来る。これを3度落ちると再び筆記試験。それに受かるとまた3回の実技試験が受けられる。自らの名誉のために言えば、私は筆記に関しては一度も落ちなかった。いつも高得点でパスである。そして実技であえなく撃沈を繰り返した。筆記も実技もアメリカのあらゆるメジャーな都市で行われるのであるが、もちろん飛行機代もホテルの滞在費も、受験料も持ち出しである。観光の名所に行き、筆記試験のプレッシャーにおびえながら、また落ちるのかと暗い予想が頭をよぎり・・・・。街を歩く観光客たちをしり目にホテルに籠ってシャドウボクシングならぬ「シャドウインタビュー」に明け暮れた。つまり目の前に患者をイメージして、30分面接をしてみるのである。
最後に私を救ってくれたのは、ICボイスレコーダーだった。自分の30分インタビューを何度も録音しては聞き直し、自分の発音の癖、聞き取りの苦手な部分を修正するということで始めて私がこの試験にパスした時は、実は2004年の帰国が近い将来に迫っていたのである。
ということで暗い思い出話はそのくらいにして・・・・
30分面接と言っても漫然と患者と雑談するわけではない。おそらく一分一分が何らかの意味を持ち、ストーリーを追う形で過ぎていく。そこではあらゆることが起きうる。患者が突然泣き出すかもしれない。インタビュアーの態度に腹を立てるかもしれない。それらに動じることなく、あらゆることを想定内に収めつつインタビューを進めていくのだ。これは一つのドラマといっていい(続く)
例えばゴルフを学ぶなら、最初にクラブをどのように握るか、というところから入るだろう。ところが精神科の面接の教科書には、いきなりコースに出たところから論じ始めるか、あるいはそのような教科書すらも全然存在しないかもしれないのである。それぞれの教育機関で作られているものはあるかもしれないが・・・・。そこで精神医学の先進国(ある意味では、であるが)米国ではどうかと言えば、これがあまりないのだ。その代わり・・・・それを試験官の前で行わせて合否を決めるというコワーい試験がある。アメリカで精神科のレジデントを終えて2年ほどすると、精神科の専門医 board certified psychiatrist になるための実技試験を受け始める。この試験に合格するために、アメリカの精神科医の多くがこの30分面接に頭を悩ませるのだ。合格率は6割程度だが、この実技試験は、私のような外国人の医師にはかなりきつい。ヒアリングの悪さが露呈してしまうのだ。
私はこの試験のことを実によく知っている。というのもこの試験に○回も落ちたのだ。一年に一度チャンスがあるこの試験のための練習をし、受け、惜しいところで落ちというところを何年も続けたために、かなりの方法論を身につけることが出来た。私に最後まで欠けていたのは、英語の聞き取りの力により患者(実際の患者が日当を支払われた上で用いられる)が語る内容のわずかなニュアンスをつかむ能力だったのだ。
思い出すだけで辛い思いであった。カリフォルニア州ロサンゼルス、フロリダ州タンパ、カリフォルニア州サンディエゴ、コロラド州デンバー、オハイオ州シンシナチ、ワシントン州シアトル・・・・しまった。これだけあげると、何度落ちたかバレてしまうではないか。)
実はこの試験、筆記試験と実技試験がある。筆記試験を受かったものが3回の実技を受けることが出来る。これを3度落ちると再び筆記試験。それに受かるとまた3回の実技試験が受けられる。自らの名誉のために言えば、私は筆記に関しては一度も落ちなかった。いつも高得点でパスである。そして実技であえなく撃沈を繰り返した。筆記も実技もアメリカのあらゆるメジャーな都市で行われるのであるが、もちろん飛行機代もホテルの滞在費も、受験料も持ち出しである。観光の名所に行き、筆記試験のプレッシャーにおびえながら、また落ちるのかと暗い予想が頭をよぎり・・・・。街を歩く観光客たちをしり目にホテルに籠ってシャドウボクシングならぬ「シャドウインタビュー」に明け暮れた。つまり目の前に患者をイメージして、30分面接をしてみるのである。
最後に私を救ってくれたのは、ICボイスレコーダーだった。自分の30分インタビューを何度も録音しては聞き直し、自分の発音の癖、聞き取りの苦手な部分を修正するということで始めて私がこの試験にパスした時は、実は2004年の帰国が近い将来に迫っていたのである。
ということで暗い思い出話はそのくらいにして・・・・
30分面接と言っても漫然と患者と雑談するわけではない。おそらく一分一分が何らかの意味を持ち、ストーリーを追う形で過ぎていく。そこではあらゆることが起きうる。患者が突然泣き出すかもしれない。インタビュアーの態度に腹を立てるかもしれない。それらに動じることなく、あらゆることを想定内に収めつつインタビューを進めていくのだ。これは一つのドラマといっていい(続く)
2011年4月26日火曜日
今日はNHKに、あるラジオ番組の収録に行った。北山修先生のお誘いで2年前に収録したものと同じシリーズである。普段と全然知らない世界を垣間見るのは面白い。相手をしていただいたのは、黒崎めぐみアナ。2年前に同じように収録してからは、顔を見知ったことでNHKの番組でしばしば気がつくようになった。TVとラジオはまったく違う。ラジオで話すことは、例えば本を書くことに似ている。本もラジオも、メッセージを伝える側はどちらかと言えば受身的だ。本を買ってもらったり、ラジオのスイッチを入れてもらったりすることでメッセージが伝わる。テレビに露出することはなんとなく侵入的で、相手の世界に乱入するというニュアンスがある。それだけテレビは視覚的で感覚的なインパクトが強いメディアと言えるのだろう。
2011年4月25日月曜日
このところ被災地の方々に何ができるか、と考え中である。これは明らかに私自身の問題でもある。何もしていないという後ろめたさだからだ。純粋に人助けをしたいというのとは違う。母校の精神科同窓のMLで、定期的に精神科医としてボランティアとして働ける人を茨城県、福島県その他で募っていた。月曜の午後の研究日をしばらく提供できないかと考え、距離的には茨城が限界と考えて申し出たが、それは間に合っているから福島を支援してほしい、とのことだった。さすがに福島まで週一度日帰りは無理なので、それではGW中に福島へ3日間、と応募したが、もうその期間は人手が足りているので、6月以降のウィークデイなら可能とのこと。しかし授業がある身ではそれも無理。結局私は何もできていない。私の側が中途半端なのである。被災地救援は、こちらの仕事を犠牲にするしかない。でも日本の臨床にしっかりとしたバックアップシステムがないのも問題だ。また米国での話になるが、同じ職場の精神科医たちはグループでバックアップをしあう関係を作る傾向にある。なぜなら夏や冬に長期の休みをお互いに取ることは互いに了解済みだからだ。相手が休みを取る数日は、処方だけはするなどの体制を作ることで、最小限に回していけるようにする。日本だとそれがない。日本人にとっての休みは、他の人も休みの時に一緒に取るタイプだ。「赤信号、みんなで渡れば・・・・」という訳である。そしてその根底には、仕事を休み、休暇を過ごすことへの後ろめたさがある。(私もその典型である。)
2011年4月23日土曜日
治療論 その6 (改訂版) 患者の人生の流れは・・・・・の続き
東京はヘンな天気である。突然降ったかと思えば、晴れ間が見える。今日の空模様のように、3月11日以来、現実の「予想のつかなさ」はより実感を持って迫ってきているような気がする。ある記事によれば、南関東に大地震が起きる確率は、この震災以来高まっているという。北の「北上山地」、南の「房総半島東沖」には余計なひずみがかかっているということだ。3月11日は、都心を襲う震災の前触れだったかもしれない。私は自分の年齢からいって、何が起きても甘んじるしかないと思えるが、若い人にはこの種の将来の不安を抱えて生きていくことは可哀想なように思える。関東に住むことは確かにある種の爆弾を抱えて生きていくことなのかもしれない。
さて「患者の人生の流れは、容易には変えることが出来ない」という認識を持った治療者はどのように患者に接するのだろうか? それは患者への関わりに対する自己愛的な思い入れへの反省を、治療者自身に促すことになる。それは端的にいうならば、従来の精神分析における「解釈」に対する考え方を変えることに繋がるといっていい。
フロイト以来、精神分析における解釈とは、治療者がその分析家としての叡智を結集する形で患者に対して行う治療的なかかわりの中でも決定的なもの、最も本質的なものとみなされてきた。古典的な分析理論においては、治療者は解釈以外のことは行わないという了解が不文律としてあった。精神分析的治療が米国に導入されて以来、早くから精神療法における「探索的(表出的)関わり」と「支持的な関わり」との区分が唱えられてきたが、そこでの決め手は、この解釈をめぐるものだった。前者は精神分析を筆頭にした解釈を中心としたかかわりであり、後者は解釈以外の支持的なかかわりや種々の「パラメーター」を混入させたものであった。そして探索的療法の、支持的療法に対する優位性については暗黙の了解があった。それはそもそもフロイトが唱えた「解釈か、(非解釈的な)示唆 suggestion か」、というテーマと、前者の後者に対する優位性に端を発していたといっていい。フロイトは何しろ前者を金、後者を混じり物の入った合金というたとえを用いて紹介しているからだ。前者がより本質的で価値のあるものであるという含みは明らかである。
フロイトの確立した精神分析の最も魅力的な部分は、患者の無意識を治療者が知ることが出来、そしてそれを伝えることで患者の精神の構造が本質的に変わる、という考えである。それが心の治療に関心を持つ多くの人を惹きつけ、トレーニングへと誘い、理論の勉強へと駆り立てる。私自身もそうして精神分析に魅せられ、それを学んできたが、実際の臨床における患者のあり方は、フロイトが想定したものと若干の(あるいはかなりの)齟齬を見せる。患者は治療者の解釈以外のところで反応し、言葉によるかかわりとは少し別の部分(「しばしば関係性」と漠然と呼んでいるもの)から影響を受ける。その中で治療者が実は何をしたいと望んでいるのかを知っておくことが、(患者の人生を変えたいという欲望も含めて)より重要視されるようになってきている。治療者が自分のできることは、高々現実を提供することに過ぎない、という謙虚な姿勢であることは実は非常に重要な点なのである。(ここでの「現実」とは何か、を言い出すとヤヤこしくなるので、ここでは省略。)
さて「患者の人生の流れは、容易には変えることが出来ない」という認識を持った治療者はどのように患者に接するのだろうか? それは患者への関わりに対する自己愛的な思い入れへの反省を、治療者自身に促すことになる。それは端的にいうならば、従来の精神分析における「解釈」に対する考え方を変えることに繋がるといっていい。
フロイト以来、精神分析における解釈とは、治療者がその分析家としての叡智を結集する形で患者に対して行う治療的なかかわりの中でも決定的なもの、最も本質的なものとみなされてきた。古典的な分析理論においては、治療者は解釈以外のことは行わないという了解が不文律としてあった。精神分析的治療が米国に導入されて以来、早くから精神療法における「探索的(表出的)関わり」と「支持的な関わり」との区分が唱えられてきたが、そこでの決め手は、この解釈をめぐるものだった。前者は精神分析を筆頭にした解釈を中心としたかかわりであり、後者は解釈以外の支持的なかかわりや種々の「パラメーター」を混入させたものであった。そして探索的療法の、支持的療法に対する優位性については暗黙の了解があった。それはそもそもフロイトが唱えた「解釈か、(非解釈的な)示唆 suggestion か」、というテーマと、前者の後者に対する優位性に端を発していたといっていい。フロイトは何しろ前者を金、後者を混じり物の入った合金というたとえを用いて紹介しているからだ。前者がより本質的で価値のあるものであるという含みは明らかである。
フロイトの確立した精神分析の最も魅力的な部分は、患者の無意識を治療者が知ることが出来、そしてそれを伝えることで患者の精神の構造が本質的に変わる、という考えである。それが心の治療に関心を持つ多くの人を惹きつけ、トレーニングへと誘い、理論の勉強へと駆り立てる。私自身もそうして精神分析に魅せられ、それを学んできたが、実際の臨床における患者のあり方は、フロイトが想定したものと若干の(あるいはかなりの)齟齬を見せる。患者は治療者の解釈以外のところで反応し、言葉によるかかわりとは少し別の部分(「しばしば関係性」と漠然と呼んでいるもの)から影響を受ける。その中で治療者が実は何をしたいと望んでいるのかを知っておくことが、(患者の人生を変えたいという欲望も含めて)より重要視されるようになってきている。治療者が自分のできることは、高々現実を提供することに過ぎない、という謙虚な姿勢であることは実は非常に重要な点なのである。(ここでの「現実」とは何か、を言い出すとヤヤこしくなるので、ここでは省略。)
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